第十七話『騙し騙され』

 カルレッシアに頼み込んで暫し退席して貰い、フォルティノへと現状を説明する。


 そもそも、フォルティノは遠方の魔法都市にいたんだ。僕が唐突に賞金首になったと聞いて舞い戻り、ルヴィに誘導されてここにいるだけ。情報は全くといって良いほど足りないはず。


 彼女は迂闊というか直情的な所はあるが、基本的には聡明な女性だ。話せば理解はしてくれるし、正式にこちらの味方に引き込む事だって出来るはず。


 一通りの事情を説明し終えると、フォルティノは洞察鋭く紫の瞳を輝かせた。


「つまり――お前があの魔性を騙して利用し、廃魔現象を治療しようとしてるって事だな?」


 そういう事にした。


 どう足掻いても魔導師たるフォルティノが魔性との取引を許容するとは思えないし、理解はするだろうが説得は不可能だ。


 というのも、本来魔性に相対する存在は探索者ではない。――魔導師なのだ。


 魔境に住まい、人類種の生存圏を脅かし続ける魔性。これに対抗すべく、魔を体系化し、自然の力をもって魔性を穿たんとする魔導師という構図。


 魔導師から見れば、ただの探索者は自分の利益のためだけに魔を行使する半端もの。


 魔導師による探索者ギルドのみが真に魔境を開拓できるのだと彼女らは信じている。その筆頭が『大図書館』と呼ばれる魔導師のみで構成されたギルドだ。


 元パーティメンバーに隠し事をするのは気が引けるが、あながち嘘を言っているわけでもない。取引ってものは、要は相手を利用して利益を得る事だし。


「って事は、自分があいつを締め上げて、さっさとお前の治療を済ませるよう言ってやれば良いわけだな。本当に治療なんて出来るか疑わしいが。よぉしちょっと待ってろ」


「待て。話を聞け」


 こほん、と軽く喉を鳴らす。


 頭の中で、フォルティノをどこに誘導するかを必死に想定する。ルヴィとパールの奴は、僕の身体に絡みついてくるだけで大した援護射撃もしてくれない。


「その手は無駄だよ。ボクも一度殺してみたけど、死ななかった。本体は別の所にいる。ここで脅しても何の意味もないだろうね」


「そりゃあお前らの理屈だろうパァル。このフォルティノ様は魔導師だぜ。無能どもと違ってやりようは幾らでもあるっての」


「へぇ、まるでボクが無能とでも言いたいみたいだね」


 そして勝手に対立しだすし。そうだった、君らは昔からこうだったな。だからフォルティノは遠隔の魔法都市まで講師に行かせて、パールは遠征に行かせたんだ。まさかそれが裏目に出て、追放までされるとは思ってなかったが。


「とにかく、僕がもう一度ギルドを設立にするのにも、カルレッシアの協力がいる。廃魔現象は勿論、資金面でもな。これは絶対条件だ。――だからフォルティノ、魔導師の君に受け入れろとは言わない。納得できないなら、僕を見限ってくれたって構わない」


 そもそも、フォルティノは最初は僕を殺しに来ていたわけで。ルヴィがどう説得したのかは知らないが、一時的とはいえ味方につこうとしてくれたのは、元パーティメンバーという縁あってのものだろう。


 ――そいつが魔性と取引してましたなんて情報があったなら、普通なら即座に首を刎ねたって文句は言われない。魔性と人類種の溝は、それほどに深い。


「正直、僕は君に何も与えられない。ルヴィとパールにも言ったが、ここで王都に戻った方がよほど賢い選択肢だと思うね」


「ふ、ふぅん。そいつらにもか」


 フォルティノは得心したようにふんふんと頷いて、軽く身体を傾ける。


 本来なら、フォルティノほどの戦力は嘘を塗り固めてでも引き留めておくべきだ。


 彼女がこちらについたという情報は、王都にも相応の衝撃を与えるはず。現状を思えば、手段を選ぶべきではない。


 それでも――やはり彼女は、僕の元パーティメンバーなのだ。


 魔導師の卵であり、傲慢にして絢爛。それでいて泣き癖のあった過去のフォルティノ=トロワイヤを知っていると、どうにもそんな気になれない。


 パールもそうだがフォルティノにだって、もう僕には十分付き合って貰った。どん底におちた後も一緒に来いなんて無様な誘い、僕には到底出来ない。


 フォルティノは紫瞳をくるりと転がし、長い両脚を組んでから答えた。


「んだよ、そんな目で見るなよ。別にここで王都に帰ったりしねぇよ」


 つんっと唇を尖らせて、軽く目線を逸らしながらフォルティノは続ける。


「いや違ぇ! 別に納得はしねぇよ! だがな忘れたのかアーレ。お前はギルド連盟の賞金首だ。そいつが魔性と取引してますって言われて、このフォルティノ様がおめおめと王都に帰れると思うか! だから自分がお前を監視するんだよ監視!」


「はい。そういう事にするのですね。可愛い後輩のルヴィは納得しました」


「てめぇは黙ってろ!」


 ルヴィに向けて怒声をあげながら、ややも頬を赤くしたフォルティノが僕に杖を突きつけて来る。


 おいやめろルヴィ。君が怒らせると何故か僕の方に矛先が向くんだ。


「良いか。自分はまだ昔お前から受けた『仕打ち』を忘れてねぇからな! てめぇはこのフォルティノ様に借りがあるって事を忘れんにゃよ――!?」


 噛んだ。


 不味い。フォルティノがますます顔を熱くしている。こうなるとどんどんヒートアップして僕に突っかかって来るのが彼女だ。そろそろ抑え込んでおかないと、流石に僕の身体がもたない。


 そんな最中、まるで内部を見ていたかのようにノックが響いた。


「もう、宜しいでしょうか。アーレ様の治療につきまして、お話しておきたい事がございまして――」


 ――カルレッシアが、静かな声でそう告げた。


 *


「中々、お騒がしい方々を仲間とされているようですね」


 嫌味か。それとも本心か。


 どちらとも取れるカルレッシアの声を受けながら、邸宅の地下へと続く階段を降りる。応接間以外の場所に案内されるのは初めてだ。


 連れられているのは僕一人。本来であれば誰かもう一人くらいは付けて来るべきだろうが、カルレッシアからのご指名とあれば仕方がない。


 それにただの依頼であればともかく、『治療』のためだ。パール達は渋々といった様子で、階段に続く扉の前で待ち構えている。今頃こつこつと槍で床を砕いているに違いあるまい。


「個性豊かで良いだろう。あれぐらいじゃないと、王都でギルドを作れなくてね」


「確かに。個性という意味では魔性の面々よりも素晴らしい方々ばかりです」


 やっぱり嫌味だなこれ。顔には笑顔を張り付けているのが余計に不気味だ。


 地下に向かう階段は埃臭く、蝋燭で足元は照らされているものの、慎重にしなければすぐにも踏み外しそうなほどの光量しかない。階段そのものは螺旋状になっており、もはや何段降りたかの感覚も曖昧になってくる。


 それに――嫌な空気だった。まるで階段を一段降りるほど、生物の内臓の中にでも入り込んでいるような奇妙な圧迫感。肌で感じられるほどの濃密な魔力が、身体に異様を伝える。呼吸が徐々に荒くなってきた。


 大気に占める魔力の割合が上がっているのだ。


「おい。ちょっとくらい休憩を挟んでくれないか。これでも僕、君が言う通り病人なんだけど」


「申し訳ないですが、もう暫しです。それにこの程度の深度ならアーレ様の現在の身体でも耐えきれる計算ですので」


 逆に言えば、耐え切れないほどの場所もあるって事かよ。最悪だ。足を踏み外したら本当に終わりだな。


 ふらついてきた視界の中、ゆっくりと一段一段を踏みしめながら降りると、ようやく踊り場らしき場所に出た。複数の扉と、更に地下へと続く階段が見える。


 もしこれ以上降りると言い出したらどうしようかと思ったが、流石にカルレッシアもそこで止まってくれた。


 みっともなく腰を下ろす。多少服が汚れても構うものか。体力も限界だ。


「廃魔現象の影響だけでなく、体力も落ちてしまわれたようですね」


「そりゃそうだろ。魔力が使えなきゃ探索もまともに出来ない。生きる権利だって無いようなもんだ」


 だから、救って頂けるってのなら魔性の手だって取る。ようやく呼吸を整えて立ち上がると、カルレッシアは踊り場にある複数の扉の内、一つを選んで開いた。


「慣れて頂く必要がありますわ、アーレ様。治療は常に、この場で行うのですから」


「そうかい。病人をいたぶるのがお医者先生のご趣味ってわけだ。結構、御立派な趣味だこと」


 部屋に入ろうとすると、カルレッシアがぴたりと足を止めた。


 何事かと見上げると、彼女の顔がすぐ傍にある。蝋燭に照らされたその青白い顔つきはどこか幻想的で、瞳は深い夜空のように輝いている。


 彼女は僕をじっくりと見つめた後、ようやく口を開いた。


「雑談と受け取って頂いても構いません。アーレ様は、この土地。旧王都について、どの程度ご存じでしょうか?」


 他愛もない話のようでありながら、しかし異様な重みを持って、カルレッシアは口にしていた。


「……普通に語られている以上の事は知らないけどね。人類種最古の都で、二百年前に失陥。それ以来、人類は取り戻す気配さえ見えない。そんな所か」


 本当はもう少し細かな歴史や情報があるのだろうが、個人的にはさほど興味がない。過去ばかり見ていても、足元を掬われるだけだ。


 しかし、カルレッシアにとっては違うらしい。彼女はもはや笑みを浮かべていなかった。


 その表情を何と呼ぶべきか。鉄のように冷たい様子なのに、こちらを探ろうとする意志だけは熱い程感じ取れる。


 素晴らしく魔的だ。彼女が日頃常に笑顔でいる理由が分かった。こんな顔をしていれば、すぐに魔性とバレてしまう。


「では、演技ではなく本当にご存じないのですね。――二百年前にこの旧王都で起こった事さえも」


 美麗とも言える表情のまま、カルレッシアは語る。


 それはまるで、おとぎ話を聞かせようとするかのような、そんな口ぶりだった。

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