第十八話『廃魔現象』

 旧王都グランディス。人類種最古の地であり、人類が初めて生存を許された土地。


 僕、いいや大多数の人類にとって、ここはそれ以上の意味を持たない。


 されど魔性カルレッシアは、まるで歌うように囁いた。


「不思議なものです。かくも人類種の方々は、歴史を軽視される。自分達のルーツも、その意味も気にならないのですか?」


 問いかける顔に、嘲弄の色はない。彼女の問いは、間違いなく魔性の本心なのだろう。人類が魔性を理解していないのと同様に、彼女らもこちらを理解していない。


 まさかこんな場所で異文化接触を図る事になるとは思ってなかった。


 案内されるまま、彼女の後を追いながら地下の暗い部屋へと入る。途端、眩暈を起こしそうになった。視界が上手く定まらない。


「……悪いが、そいつは魔性の理屈だよ。特に僕みたいな人間は、精々五十年も生きれば良い方だ。歴史を積み上げるより、今日を生きる方が大事でね。何百年も生きる君たちとは話が違う」


「無粋ですが、理解はいたしましょう。ですが、アーレ様はご存じになるべきかと」


 何故。ここには『治療』に来たはずだろう。


 そんな疑問をかき消すように、カルレッシアが暗い部屋で軽く指を鳴らす。


「グランディスの歴史は、アーレ様の廃魔現象にも関わりのある事ですので」


 瞬間、部屋の燭台に次々と火が灯り、部屋の様子が見えて来る。


 思わず、息を呑んでしまった。先ほどから気分が悪くなる一方だった理由がそこにある。今の僕には、少々堪える光景だ。


「……この部屋の有様も、その歴史が教えてくれるのかい?」


 内部は決して狭い部屋じゃない。奥に向かって広がりがあり、応接間の数倍はあった。


 元は何かしらの役割を持っていた部屋なのだろう。埃だらけにはなっているが、足元にはぶ厚い絨毯が引かれ、壁には額縁だけとなった絵画が並んでいる。


 しかし殊更に目をひくのは――人類種を象った数多の彫刻と、それら全てを覆い尽くすように乱立する魔力結晶の輝き。歩くスペースがかろうじて確保されているが、もはや部屋と呼ぶより物置の様相だ。


 魔石商が見れば一目で卒倒するほどの結晶の数。これだけ集まれば、当然空気中の魔力濃度は急激に増加する。先ほどからの不調の原因はこいつだ。


「その通りです。歴史は全ての原因の生き証人ですから」


 カルレッシアは言い、部屋の中心で歩みを止めた。

 

「魔力結晶とは、即ち魔力の残滓。アーレ様もご存じでしょう、かつてこの地に数多の魔性が足を踏み入れた事を」


「勿論。僕らは大侵攻と呼んでるよ、凄惨な戦役だったと聞いてる」


 メイヤ北方王国がグランディスを失陥した魔性の大侵攻。


 死人が数え切れないほどに出た、人類最大の敗北。魔性との争いにおいて、相応の魔の応酬があったはず。さほど違和感のある話じゃあない。


 しかし、僕の言葉を聞くとカルレッシアはくすりと喉を鳴らした。それ所か、おかしくて堪らないという風に声さえ上げ始めた。


「ふふ、申し訳ありません。余りにもアーレ様が無邪気な事を言われるもので、ついつい」


「そりゃ悪かった。こちとら魔性様からすれば生まれたばかりの赤子なんでね」


 両肩を竦めると、カルレッシアは笑みを浮かべたまま言った。


 まるで、他愛もない戯言でも零すかのように。


「ええ。その通りです。――アレは戦役などではありません。ただわたくし達が、人類圏を踏みにじるためだけのものです。戦いなどではないのです。決して」


 その一言には、鋭利な刃物が混じっていた。際限のない悪意であり、こみ上げる憎悪。


 自然と焦燥が内側からこみ上げて来る。


 不味いな。読み違えたか。カルレッシアがどれほど友好的に接してきたとはいえ、彼女は魔性だ。人類種とは永遠に分かり合えない天敵。


 そんな奴の言葉を信じたのが誤りだったか。


 しかし、カルレッシアはすぐにその感情を引っ込めた。彼女の顔つきには、やや恥じらいのようなものさえ見えている。


「……失礼いたしました。過去を思い出してしまいまして。アーレ様は関係ありませんのに」


 すぐに、普段のカルレッシアへと戻る。


 今のはわざとか、それとも本当に思いがけず零れてしまった感情なのか。それをこちらに悟らせない内に、彼女はすぐ口を開く。


「ではアーレ様、もう一つ問いかけを。経緯は数多あれど、我らの侵攻によってこの地は陥落いたしました。だとすれば、不思議ではありませんか?」


「……どうして、魔性がこの地から先へ進まなかったのか」


 カルレッシアは今度は笑わずに、こくりと頷く。どうやら、先生の希望には添えたらしい。


「素晴らしい。その通りです。王都を陥落させたならば、後は全てを飲み干すまで。――それを行わなかったのは、決して気まぐれなどではありません。わたくしどもは、侵攻しなかったのではなく、出来なくなったのです」


 その先を口にしようとしたカルレッシアに対して、手の平を向け言葉を制した。


 きょとんと、眼を丸くする彼女に対して先んじて言う。


「ちょっとまってくれ。その先は僕が聞いて良い内容なのか。こうもペラペラと話されると気味が悪い。廃魔現象に関係があると言っても、別に僕に伝える必要はないわけだろ」


 タダより怖いものはない。情報を必要以上に相手に与えるのは、よほど相手を信用しているか、ある種の思惑があるか。


 僕とカルレッシアは一度取引を済ませただけに過ぎない。こうも不必要に情報を与える意味はないはずだ。


「あら、やはりお分かりになってしまわれます? ですが、これはわたくしの信頼の証と思っていただければ構いませんわ」


「信頼?」


 思わず、そのまま言葉を返す。

 

 こちらの困惑が楽しくてたまらないという風に、カルレッシアは指先を軽く鳴らした。


「ええ。まさか、今までわたくしが取引を持ち掛けたのがアーレ様だけとお思いですか?」


「……ああ。詰まり、そういうわけか」


「恐らくはご想像の通りです。わたくしは今まで、多くの人類種に取引を持ち掛け、魔力結晶を預けました。しかし多くはそのまま消息が途絶え、一部はわたくしを脅して全てを奪い取ろうとしたものです」


 その連中が、今どうしているのかは敢えて聞かなかった。それこそまさしく、不要な情報だ。


 かつり、かつりと足音を鳴らしてカルレッシアが近づいてくる。身構える暇もなく、その美麗な顔がぐいと間近へと迫る。


 深い夜空を見上げるような瞳が見えた。


「ですが、貴方は違いました。即ち、情報を提供する理由とはそれだけです。信頼に応えるのは、神ではなく悪魔なのですよ、アーレ様」


 契約において真に得難いのは、信頼できる相手。そう語ったのは誰だっただろうか。


 特にカルレッシアの場合は自分が魔性だと、隠そうともしていない。それは彼女にとって当然であり、誇りというべきものなのだろう。例えその所為で、多くの裏切りにあおうとも。


 口調を軽くしながら、言葉を捻りだす。


「悪魔側の自覚があるようで何より。それなら有難く聞いておこう。君達がここから先に侵攻しなかった理由とやらをな」


「ええ、簡単な事ですとも。ただただ――かつて『勇者』と名乗る忌まわしい小娘が、この旧王都を境界として、人類圏に結界を引いてしまっただけの事」


 ――人類圏に存在する結界。聞いた事もない単語に目を瞬かせると、僕の頬を撫でるようにしてカルレッシアは言った。


「そうして、勇者の引いた結界こそが、アーレ様を苦しめる廃魔現象の正体でもあるのです」


「はぁ?」


 話が全く頭の中で繋がらない。


 僕のパーティメンバーだった勇者の数代前、大昔の勇者様が魔性を打ち払うために引いた結界とやらが、どうして廃魔現象に関わって来るんだ。


 それではまるで、僕が魔性と同じような扱いを受けているかのような――。


「――その通りですよ、アーレ様。あの小娘が造り上げた結界は、完璧ではありません。時に人類種の枠から外れるものを、全て魔性と捉えるのです」


 頬が僅かに冷たくなっているのが分かった。カルレッシアの指先が、妙に熱い。


 それは彼女の怒りのようであり、悲しみのようであり、深い憎悪のようでさえあった。


「アーレ様は、人類種の中では異質な存在であられたとか。それゆえに、人類種を外れたと認識されたとしても何らおかしい事はございません」


「……流石に、それをそのまま信じろってのは厳しくないか、カルレッシア」


 外で口にしたならば、妄言と断じられてもおかしくない言葉だった。

 

 勇者とは、メイヤ北方王国だけではなく、人類圏全体で称えられる英雄だ。カルレッシアの語る通り、かつての魔性の大侵攻において最後まで人類を守り通し、魔性の首魁を討ち取ったとさえ語られる偉業の主。


 御伽噺に近くはあるが、今でも各国には当時使われたと言われる装備品が伝承されており、相応しいものを勇者に祭り上げる風習は残っている。

 

 そいつが、各国で発生する廃魔現象を造り上げただなんて戯言、一体どこの誰が。


「では、この場で魔力を行使してみてください。アーレ様。ほんの一瞬でも問題はございません」


 何を、言っているのか。それが出来ないから、魔力を廃された者。廃魔現象とそう呼ぶのではないか。

 

 しかし、カルレッシアの言葉は真に迫っていた。悪魔が囁くように、嘯く。


「ここは僅かに結果の外。これだけの魔力結晶に囲まれていれば、魔境とほぼ変わりません。あの小娘の影響は無いと言って良いでしょう」


 まるで悪魔の誘いにのるようにして、随分と久しぶりに全身に魔力を走らせた。

 

 今までであれば、全身に激痛が走るだけであり、魔力の欠片さえ感じられなかったはずの行為。


 しかし――。


「――冗談だろ」


 濁っていた意識が、真っ白に洗浄されるような感覚。一撃で眩暈もふらつきも消滅していく。緑色の輝きが、指先に見えていた。


 これは、これこそは。


 何年もの間焦がれ続けた、魔力の循環。

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