第5話

「えー!ほんと!よかったじゃん!」


叶木かのうぎくんから告白された日。夜遅くに帰ってきた理子りこにそのことを話すと、彼女は興奮した様子を見せた。


「ありがとう。そういう理子は?彼氏とは良好?」

「うん、もうばっちりよ」

「そっか。そういえば理子の彼氏ってどんな人なの?」

ふと気になった。年上とだけ聞いているけど、それ以外は全く知らない。一体どんな人なんだろう。


「話すほどの人じゃないよ、普通のサラリーマン。それじゃ、私お風呂行くから」


私の期待に反して理子りこはそっけなく、一言だけで話を切り上げた。何か言いたくない理由でもあるのか。




「よかったらなんだけどさ、今度うちにこない?父さんと母さんが香苗かなえに会ってみたいらしいんだ」


叶木かのうぎくんと交際を始めて数ヶ月。そんなことを言われた。

どうしようか迷ったけど、せっかくならと行かせてもらうことにする。


「君が香苗かなえちゃんか!かなえの父、わたると言います。ささ、どうぞあがってください」

家に着くと、40代前半くらいの男性が出迎えた。大学生の親にしては、いささか若い気がする。


「お邪魔します。これ、つまらないものですけど……」

「ええ?そんないいのに。なんか申し訳ないね。ありがとう」

挨拶して手土産を差し出すと、わたるさんは頭を下げて受け取った。


リビングに通されて、ソファに座るよう言われる。部屋は綺麗に整っていて、白色に統一された家具が清潔感を増す。


「ただいま。遅くなってごめんなさいね」

しばらく3人で世間話なんかをしていると、玄関の方からドアの開く音がして、女性の声がした。


「お邪魔してます。海土路みどろ 香苗かなえと申します」

「こんにちは。あなたが……って、え?」


まもなく姿を見せた女性に挨拶すると、彼女はそう途中で口を止めた。わたるさんよりもいくらか年上に見える彼女は呆然とした感じで、叶木かのうぎくんが「どうしたの?」呼びかけても反応がない。


「二人とも、少し出かけてきて」


何かまずいことでもしてしまったかと焦りだした頃になってやっと、彼女は口を開いた。


「違う。あなたは残って。お父さんとかなえが出るの」

言葉に従って出ようとすると引き止められて、さっきのが私ではなく二人に向けられたものと知る。

「え?なんで……」

「いいから出て行って!」


わたるさんの疑問の声を遮る大声に、思わず身体が震える。




「私のこと、わかる?」


二人が出て行ったあと、彼女は私をダイニングテーブルに座らせると、開口一番言った。


けいよ。旧姓は小瀬川おぜがわ


わからず黙っていると、彼女は続けた。そうしてやっと、彼女が高校時代の友人であることに気付く。


「もしかしてけいちゃん?すごい偶然。私、少子化対策で……」

「五年」


再会を喜ぼうとした私とは反対に、けいは睨むように見つめてきた。


「……?」

まことが、私と付き合ってくれるまでにかかった時間よ」

わけがわからなくて首をかしげる私に、彼女はそう続けた。


まことはその間ずっと香苗かなえのことを引きずって、私を見てくれなかった。なのに、あなたはなに?未来にきて、さっさと恋愛?」


血の気が引く感じがした。心がきゅっと重たくなる。


「ふざけないでよ!私は高校生の時からずっとまことのことが好きだった!でも香苗かなえも好きなんならって諦めてたの!なのに……!香苗かなえは、まことのことなんかすぐに忘れちゃうの!?その程度にしか、思ってなかったの!?」

「そんな、ちが……」

「結婚した後もそう!生まれた子にあなたの名前を付けたいって言われた時の私の気持ちが、あなたにわかる!?」


言い訳をしようとして遮られた言葉が衝撃的で、頭が真っ白になる。


「その上私を置いてさっさと死んじゃうし、もう私の人生なんなのよ!」


さらにそう続けて泣き出すけいを前に、私はすっかり置いてけぼりにされる。


けいまことと結婚?息子が叶木かのうぎくん?誠が、死んだ……?


情報が頭をぐるぐるして、なにひとつ理解することができない。


香苗かなえ、母さん。一体何があったの?」


そんな時、後ろから声がした。振り向くとそこには叶木かのうぎくんの姿があって、彼の不安そうな瞳が私を貫く。


どうして、気付かなかったのだろう。彼の顔付き、言動、雰囲気、性格。今にして思えば、すべてが誠そっくりだった。知らず知らずのうちに、叶木くんに纏う誠の影を追いかけてしまっていたみたいだ。


瞬間、私は何かとんでもなく許されないことをしている気がしてきて、怖くなって家を飛び出した。


「待って、香苗かなえ!」

「ついてこないで!!」


引き止めてくれた叶木かのうぎくんに、勢いのまま言ってしまう。彼の眼が絶望に染まるのがわかった。でも、私は無視して走った。


走り疲れて気が付くと、川にかかる橋の上に居た。水面からは高さがあって、柵から頭を出してみると本能的な恐怖が身体を包む。


そんな時、スマホが振動した。鞄から取り出してみると、叶木かのうぎくんからの電話だった。

反射的に受話器を取りそうになって、さっき見たけいの顔が浮かぶ。

高校時代から歳をとって、少し痩せたようだった。目の光も少なくなっていたと思う。私が死んでいた30年の間に、色々なことを経験したみたいだ。


私はまことを裏切った。そしてあろうことか、その子どもを好きになってしまった。

許されることじゃない。この電話は、取るべきじゃない。


そう思って、未だ鳴り続けるそれを川に投げ捨てた。


スマホは数秒をかけて水面に落ちると、ポチャンと音を立てて沈んでいった。

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