第一章  幸せの風景

タイトル:レモンティーな朝焼け


※※※※※※※※※※※※


開け放たれた窓にレースのカーテンが揺れている。

梅雨の晴れ間の朝、太陽が木漏れ日の隙間からさわやかなエナジーを降り注いでくれる。

食器を置く音が音楽のように響くのを、晴彦は心地よく聞いていた。

新聞越しにチラリと覗くと、一瞬の風になびいた白い網目模様の布地が妻の姿をフワリと隠している。


だからだろうか、再び潤みがちな瞳が現れると一層まぶしく思えた。

柔らかなウェーブがかかった髪は微かに染めた色が光に反射して、まるで透けるように繊細に見える。

染みひとつ無い肌はまだ朝の化粧をしていない。

それでいて、その無垢なまでの白さが唇の色を瑞々しく際立たせていた。

夫の視線に気づいたのか、香奈子はフッと口元を緩めた。


「あなた、コーヒーでいいですか?」

「あ、あぁ・・・」


あいまいに頷いた晴彦のカップに湯気の立つサイフォンから黒い液体を静かに注いだ。

香ばしい匂いがダイニングに漂う。

窓から見える広い庭には木々や草花が美しく咲き誇っている。


「遅いわね、あの子・・・まだ鏡を見ているのかしら?」

自分も席に着いた妻は部屋の奥を見ながらつぶやいた。


「フフ・・・」

晴彦はコーヒーを口に含むと小さく笑った。


「圭子も高校二年生か・・そういう年頃なんだな・・・」

「私達が知り合ったのも、丁度あの頃ね・・・」


二人は目を合わせると遠い眼差しになって過去を振り返った。

お互いを最も愛し合っていた頃を。


「ねえ、ママッ・・ママッー・・・」

短い時間旅行を弾けるような声がさえぎった。


「やっぱり、アップにした方がいいかなぁ?」

細い両腕でたくし上げた髪を押さえたまま少女が駆け込んできた。


チェックのスカートが翻り、スラリと伸びた足が一層長く見える。夏服の白いブラウスはもう十分にそれと分かる程、胸に膨らみを作っている。

首元で結んだ水色のリボンが高校生らしい愛らしさを演出していた。

ふっくらした顔は妻の少女の頃と瓜二つで、幼さをまだ宿している。

それでいてスリムなあごの先端が輪郭を引き締め、大きな瞳と共に美少女としての条件を十分過ぎる程満たしていた。


うなじを露にした仕草に晴彦はドキリとした。

何故か急に大人びた印象に見えたからだ。


「ねぇ、ママァ・・・」

だが、母親に擦り寄る仕草はまだ子供らしさを失っていず、少しホッとするのだった。


「さあねぇ、どっちかしら?」

はぐらかす妻に圭子は拗ねるような口調で言った。


「だって、真理・・・みんなが子供っぽいって言うんだもん・・・」

「フフフ・・・」


娘の真剣な表情に思わず笑みをこぼしている。


「もう、ママったらー・・・まじめに答えてよぉ」

唇を尖らして詰め寄る娘に晴彦が助け舟を出した。


「パパは何時もの方が好きだな」

「そ、そう・・・?」


予期せぬ言葉に一瞬、声を詰まらせた圭子だったが、それで踏ん切りがついたのか、ようやく腕を下ろした。

フワリと髪が首筋を覆い、天使の輪が艶やかな髪に現れた。

セミロングの髪型は昔ならオカッパと呼ばれたのだろうが、アイドル風にアレンジされていて少しもおかしくない。

幼さは残るかもしれないが、愛らしい圭子の美しさが一層際立つと父は思った。


「うん、ママもこっちの方が好きよ・・・」

妻は優しい声で娘を抱き寄せた。


「そうかなぁ・・・?」

素直に身をまかせた圭子は、母の身体にもたれながら父の方に視線を向けた。


「本当にそう思う、パパ?」

不安そうに聞く娘に晴彦は力強く答えた。


「ああ、圭子はその髪型が一番良く似合うよ」

「圭子はパパが気に入れば、それでいいんでしょ?」

「そんな事、ないけどぉ・・・」


【フフフフ・・・】

寄り添う母と娘は顔を見合わせて微笑んでいる。


二人がいる。

幸せの風景がそこにあった。

晴彦はそれが儚く危ういものに感じた。

果たして二人が本当に自分の家族であるか自信が無くなる程、愛らしい親子である。

美しく若々しい妻は他人が見れば母よりも姉に思える事だろう。


事実、16歳の娘である圭子に対して母の香奈子はまだ34歳なのだ。

普通の女性なら早く子供を生んだとしてもせいぜい小学生くらいなのに。


「さっ・・・食事にしましょう」


母に促され、圭子も席についた。

青磁のティーポットから注がれた熱い紅茶を一口すすると母を見た。


「あら、これ・・・?」

「そう・・昨日、竹内さんから頂いたお茶よ・・・」

「ふーん・・・」


男の名を聞いた時、晴彦には娘の表情が一瞬曇ったように見えた。


「どう、お味は?」

香奈子が興味深そうに聞く。


「うーん・・・少し薬みたいな匂いがするけどぉ」

カップを弄びながら呟いている。


「無理して飲まなくてもいいんだぞ」

晴彦が言葉を挟んだ。


「いくらパパの友達が売っている商品だからって、気を使わなくてもいいんだから」

「あら、大丈夫よ」


圭子は明るい声を出した。


「ダイエットのお茶にしては美味しいよ、このレモンティー・・・」

「本当?どれどれ・・・」


母も一口すすると大げさな表情で言った。


「美味しいじゃない、ねぇ・・・?」

「やだ、ママったらオーバーなんだからぁ」


【フフフフ・・・】


顔を見合わせ、笑っている。

本当に仲がいい。


「ようし、今日から毎日飲んで、やせるぞぉ」

おどけて言う圭子にいじらしさを感じる晴彦だった。


スリムな身体は母親ゆずりでダイエットの必要等、二人とも無い筈なのに。

父の友人という事で気を使ってくれているのだろう。

香奈子はともかく、娘の優しい気持ちが嬉しく思える。


「でも、ちょっとガッカリだったな・・・」

「何がだい?」


「パパのお友達だから、少し期待してたの・・・」

「ほう、そりゃどういう事?」


「だって、もっと格好いい人だと思ってた・・・

竹内のおじ様って、まるで熊みたいなんだもの・・・」


「圭ちゃんっ」

香奈子がキッと睨むと首をすくめた。


「ごめんなさい・・・」

その仕草が可笑しくて晴彦は吹き出した。


「ハハハハッ・・・」

明るい声で笑う父と目が合うと、母に見えないようにぺロッと舌を出した。


(ママったら、いつもそう・・・)

圭子にとって母の存在は絶対だった。


決して人の悪口を言う事など、許す人ではない。

カップを手に取り、レモンティーを飲んだ。

酸味がジーンと口の中に広がる。

母の方に視線を向けると、同じようにカップを口に運んでいた。


長い睫毛が揺れている。

上品なその仕草には、ため息が出る程だった。

友達のみんなが羨む程の美貌とプロポーションの持ち主である。

容姿以上に清らかさが評判だった。


どんな相手にも分け隔てなく応対する。

圭子が通う学校では小学校から高校まで常にPTAの活動を先頭だってやってきた。

学校行事だけでなくボランティアの奉仕活動も積極的に参加しては、その美貌もさる事ながら天使のような笑顔と優しさで人々を魅了していたのである。


そんな母を圭子は理想の女性として憧れていた。

そして心から愛してもいた。

父もそうだが、それ以上に母が大好きだったのである。


香奈子も娘を溺愛していた。

だが、甘やかしていたわけではない。

二年前に亡くなった父の影響もあるのだろうか。


娘には愛情だけでなく、時には厳しい態度で接していた。

自分が習い得た礼儀作法や茶道、華道それに日舞にいたるまでも優しく丁寧に教え、伝えたいと考えている。


香奈子にとって娘が人生そのものなのだ。

そのために青春の全てを捨てたと言っても過言ではない。

明るく素直な少女に成長した圭子を心から愛おしく見つめている。

だから夫の友人に対しての悪口等、たとえ冗談にしても娘には口にして欲しくはない。


(でも・・・)

香奈子自身も否定出来ない何かを感じていた。


勿論、竹内の容姿の事ではない。

久しぶりに会った男は昔のイメージとかけ離れていた気がした。


十七年ぶりだから無理は無いかもしれない。

まだ少女だった頃に一度紹介されただけなのだから。

それでも男は変わったと感じたのは何故だろう。

粗暴な雰囲気以上に不気味さを覚えたのだ。


「フフフ・・・」

「ハハハ・・・」


夫と娘が何か囁き合いながら笑っている。

会社の社長という多忙な毎日の中、朝食だけはなるべく一緒にとるようにしてくれている。

優しい夫である。


「フフ・・・」

香奈子も思わず笑みをこぼした。


だが、男の顔が浮かぶとその表情も何故か強張ってしまう。

笑顔で朝食をとる親子三人。

この幸せな風景が、何時か壊されてしまうような、そんな得体の知れない不安を感じる香奈子であった。

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官能小説の序章① 進藤 進 @0035toto

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