少女の秘密

名前も知らない人の素性を調べるなんて、無茶な話だ。

ましてや衣吹が言っていることが本当なら──。


廊下を通って組長の部屋に行く途中、神楽はとある部屋の前でお盆の上に乗っているご飯を見つけた。

昼は疾うに過ぎた。

それなのにまだご飯が残っていると言う事は、ここがあの少女の部屋と言うのは間違いない。



「ん?どうしたんっすか、神楽さん」


急に足を止めるものだから、神楽の後ろを歩いていた後藤ごとうが不思議そうに声をかけた。


後藤は神楽の兄弟関係で、舎弟に値する者。

金髪でピアスバチバチのせいか、かなり目立つ派手な人物だ。



「何でもねえ」


再び歩き始めた神楽。


今回後藤を呼んだのには理由がある。

彼は情報に関してはピカイチで、横の繋がりが広いから情報を探るのにもってこいの人材なのだ。



「じゃあ僕、ここにいるので」


組長の部屋にから少し離れた所で、後藤が足を止める。

頭を下げる後藤を背に、神楽は組長の部屋へと向かって声をかけた。





「で、何がわかった?」

「はい。あの少女、小林こばやし羽瑠はるという名前でして。近隣の女子校に通う高校2年生です」


静まり返る組長の部屋は無音と言っていい程で、淡々とした神楽の声が聞こえるだけ。



「2年に進級すると共にどうやら学校には行ってないらしく、退学届が出された、と」

「いつだ。それは」

「今月に入ってからです」


「……そうか」と、溢すように言葉を出した組長。

その姿をチラッと一瞬だけ確認するように視線を上げ、神楽は言葉を続ける。



「それと家族構成ですが、10年前に母親が他界し、その後再婚した父親も他界。それ以降は義母の元で生活。後に義母方は再婚しております」


組長は頭を押さえ、唸った。

無理もない。


羽瑠はおおかた義母に気に入られず、虐待されたのだろう。

調べた時に神楽は大体の検討が付いたが、今まさに組長がそのタイミング。



「そこに子供はいなかったのか?」

「高校1年生の息子が1人いらっしゃいます」

「……そうか」

「それと、1つ気になった点がありまして……」

「何だ」

「あの少女、死亡届が出されています」



一瞬にして空気が変わった。


「は……?」と、心底驚いたような声を出した組長。

こんな組長を見るのは久しぶりだが、神楽もその事を知った時は同様に驚いた。


何故死亡届が出されているのか。

何故そんな事をしたのか。


答えは簡単。


──羽瑠は捨てられた。



「虐待……か」

「……そうですね。その方があの怯え方に説明がつきます」


人間を怖がり、恐怖する。



「もう一つの方はどうなった」

「すみません、まだ調査中です。取り急ぎお伝えしようと思いましたので……」


組長の眼差しが鋭くなった。

別に怒っている訳ではないが、大事な話をする時はいつもこの目をする。



「もし衣吹の言ったことが本当なら、早いところ対処しねぇとウチの若い衆が何しでかすかわからん。頼んだぞ」

「重々承知の上です。では、失礼します」


一礼して、神楽が部屋から出ようとした時だった。

組長が思い出したかのような声を出したのは。



「神楽。あの娘の様子も見ておいてくれ」

「わかりました」


神楽はもう一度頭を下げ、静かに襖を閉めた。

組長の部屋から神楽が出てくると、離れた場所にいた後藤が早足で駆けてくる。



「どーでした?」

「例のやつ調べるぞ」

「あ、はい」


廊下を通って玄関に向かう途中。

まだ残っているお盆の上の物を見て、神楽は再び足を止めた。


「どーかしました?」


何もわかっていない後藤は、素っ頓狂な顔で神楽の事を見る。



「おまえちょっと先に行っててくれ」


そう言葉を残して、ズンズンと先を進んで行く神楽に、後藤は動揺を隠せずにはいられなかった。

追いかけるべきか、自分の仕事を全うするべきか。



「ちょ、か、神楽さん!」


そう声をかけても彼からは「すぐ戻る」の言葉しか返って来ず、後藤は仕方なく神楽の言われた通り、先に行くことにした。


そんな神楽が向かった先は台所。

そこは明かりが漏れていて、1人の女性の姿があった。

ショートヘアで可愛らしい雰囲気を持つその女性は、組長の妻に当たる人。そう、睦美むつみだ。

彼女は神楽の存在に気付くと、振り返り、優しい笑顔を向けた。



「あら、けいくん。どうしたの?」

「あ……邪魔でした?」

「ううん。大丈夫よ。でも珍しいわね?ここに来るなんて」


エプロンを付けている睦美は、流し台で水を流しながら米を研いでいる。楽しそうに鼻歌を歌いながら。

手慣れた手付きで米を研ぎ、水を流す。一通りの動作を見て神楽は口を開いた。



「……まだ作ってたんですね?全部任せればいいのに」


神楽の言葉に悪意は無い。

ただ純粋に思っただけ。

神楽がこの桜夜組に来た時から、睦美は家族や幹部のみんなにご飯を作っている。

昔からなのだ。

全部任せる訳にはいかないからお手伝いはいるのだけど。



「昔も今も変わらず作るわよ〜。慧くんは最近食べてくれないけどね」


ふふ、と笑う睦美に、神楽は困ったような顔をした。



「冗談よ。忙しいのでしょ?」

「まぁ……そうですね」

「あんまり無茶しないのよ?あなたの話はよく聞くんだから」


それはきっと神楽の異名の事を言っているのだろう。

睦美の言葉に神楽は苦笑いしか出来なかった。



「あの、姐さん」

「なぁに?」


少し言葉に迷った神楽は再び口を開く。



「あいつ……いや、あの少女、今朝飯食いました?」


睦美は驚いたように目を開き、困ったように頬に手を当てた。



「それが居間に呼んだのだけど出て来なくてね。だから部屋の前にご飯を置いたんだけど、全然。一緒に置いていたお水しか飲んでないの」


(やっぱり)

先程神楽が見たものも、コップの中が空っぽになっているだけだった。



「昼も食ってないっぽいですよ」


神楽の言葉に睦美は更に困った様子で、眉毛をグッと下げる。



「酷く傷を負ってるようで……」

「衣吹も彼女のことは心配してるのよ。どうして何も食べないのかしら……?」

「安心してください。それを調べるのが俺達なので」

「ええ。期待してるわ」


ニッコリと微笑む睦美に一礼し、神楽は台所を後にした。





先に車の中で待機していた後藤を見つけ、神楽は助手席のドアを開けた。


「悪い。待たせた」

「いえ。それよりどーやって調べます?死亡届が出てる時点でこれ以上はお手上げですよ」


後藤が深いため息をはき、神楽は考えるように顎に手をやる。

そして神楽の口から出た言葉が「……乗り込むか」だ。



「ちょ、やめて下さいよ!一般人に手を出したら組長に怒られますよ!?」

「そっちの方が手っ取り早くね?」

「ダメです」


とんでもない事を言う神楽に、後藤は断固として拒否をする。

そんな後藤の態度に苛立った神楽はチッと舌打ちをした。



「頭が硬てぇな」

「んな!そんなんだから神楽さん、桜夜組みの悪魔とか言われるんですよ!?一回手を出したら周りが見えなくなるんだから止めるこっちの身にもなってください!!」


ムキになってギャーギャーと騒ぐ後藤に、神楽は思わず耳を押さえる。



「あーわかったわかった。うるせぇよ」

「もー。本当にわかったんですか?」


「わかったわかった」と、軽い返事をする神楽。そんな事に全く気づいてない様子で、後藤はまだブツブツと何かを言っている。


とりあえず後藤を無視してどうやって調べるか考えようとした時だった。



「そう言えば神楽さん、鼻は利かないんですか?」


いつの間にか機嫌が戻っている後藤が、そう問いかけてきた。



「あ?今のところ何の反応もねぇな」


仮に衣吹と同じなら反応してもおかしくない身体。反応しないと言う事は違うと言う可能性もある訳で。

もしくは昔、衣吹によって鍛えられた鼻とか精神がその匂いに反応しないだけなのか。




『手ぇ出したらどうなるかわかってるんだろうな?』


殺気に満ちたドス黒いオーラを醸し出す組長の言葉を思い出した神楽は、身震いした。

(精神の方は100%組長で保ってるもんだな……)


ふぅ、と息をはいて、心を落ち着かせる神楽。



「仕方ねぇ。学校行って聞き込みするか」

「んーやっぱそれしかないっすよね」


そうと決まれば善は急げ。

車を走らせ数分。例の女子校に着いた。



特別綺麗な訳でもないし、大きい訳でもない。どこにでもありそうな学校。


正門の近くに車を停め、辺りをキョロキョロと見渡す後藤。



「人少ないっすね」

「土曜だから当たり前だ」

「あ!誰か歩いて来ますよ」


校舎の方からセーラー服を身に纏った2人組の女子生徒が、正門に向かって歩いてくる。

車から降りた2人。待ち伏せするようにその女子生徒がこちらに来るまで待ち、正門を通った瞬間、後藤が声をかけた。



「ねーねー君たち。小林羽瑠って子知ってる?」

「えっと……はい」


(お。ビンゴか?)


「その子ってどんな子だった?」

「えっと……」


2人の事を不審に思った女子生徒は、急に何も話さなくなった。

それはそうだ。急に現れた人物に話す訳がない。しかもスーツを着た金髪に質問攻めされたら尚更。



「俺、羽瑠の兄なんだ。実は最近、腹違いの妹って知って……それで彼女を探してるんだ」


神楽の言葉にアホみたいに目を丸くする後藤は、周りに聞こえないくらいの小声で耳打ちをした。



「そうだったんですか!?」

「なわけねーだろ。嘘だよ、嘘」

「な、なぁ〜んだ」


1人安堵する後藤を無視して会話を続ける。



「だから羽瑠のこと教えてほしいんだけど……」


ニコッと作った笑みを見せた神楽。

黒髪の神楽ならまだまともに見えたのかもしれない。

女子生徒達は躊躇いながらも口を開いた。



「こ、小林さんならもう随分と前から学校に来てないです」

「うん。来ても早退とか、遅刻とかしてあんまり教室いなかった」



ね、と確認するように女子生徒達は顔を合わせる。

そんなやり取りを見て、神楽は疑問点が浮かんだ。



「随分前って、いつ頃?」

「えーっと……去年の3学期辺りだったかな?その辺りからあんまり来なくなったよね?」

「うん。あの頃はまだ小林さんの姿を見ていたけど2年に上がって全く見なくなった。辞めたって噂も聞いたよ」


(1年の……3学期?)

羽瑠が学校に行かなくなったのは2年になってからだった。

なのに女子生徒達はもっと前だと言うから、わからなくなってくる。

本当はもっと前から行っていないと言うのだろうか。



「何か悩み事があるって言ってなかった?」

「うーん。どうだろう……」


悩む2人は今までの事を振り返っているようで。神楽はカマをかけてみることにした。



「例えば、虐待されていたとか」

「えっ!?小林さん虐待されていたの!?」


ミスった。

この驚きよう、完全に知らない感じだ。



「いや、例えばの話。今のは忘れてくれ」

「虐待されてたから学校に来なくなったのかな?」

「そー言えば1年の2学期、小林さん痩せてなかった?」


2人の中で話が盛り上がっていくものだから、焦った神楽は会話を止めようと間に割り込む。



「例えばの話だから。最近そーいうドラマ見たから受け売り」


これ以上深掘りされたく無いが言えに咄嗟についた嘘。

バレてもおかしくはなかったけど、信じたのか女子生徒は「なーんだ」と言って、つまらなそうな声を出した。



「でもまぁ、新しい情報を手に入れられたから助かった」


ニッコリと笑みを作れば、隣にいた後藤も一緒になって笑顔を向けた。



「帰る所だったのに止めちゃって悪かったね。ありがと」


ヒラヒラと手を振る後藤に、女子生徒も手を振り返し帰っていく。

見た目チャラいのに人懐っこい笑みを見せる後藤は、こうやってすぐにいろんな人と打ち解けていく。それが顔が広い理由でもある。



「どう思う?」


突然の言葉に後藤の頭はハテナ状態。

何の話なのかすらわかっていない。



「虐待のことは秘密だったとしても、何で早退やら遅刻する必要がある?」

「えっと……?」

「バカか、お前は。虐待されてんのに何で学校から出ようとしてんのかって言ってんだよ。少なくとも暴力を振るう奴がいない学校の方が安全だろ」


やっと理解できたのか、後藤は「あ!」と大きい声を出した。

先程の話を聞く限り、学校で虐められている訳でもなさそうだった。


(あー!くそっ!!)


肝心な情報も手に入ってないのに謎が増える一方で、神楽は苛立ち始める。



そんな時。

「あの……」と、控えめな声が聞こえた。

見れば、今度は別の女子生徒が立っていた。



「小林さん、学校から出ようとしてたんじゃないよ」


機嫌が悪いせいか、女子生徒の言葉に余計苛立ってくる神楽。

(何だこいつ)


苛立った神楽が放つオーラは、女子生徒にとって途轍もなく怖かったと思う。

だけど震える手をギュッと握りしめ、意を決した彼女は真っ直ぐと彼等を見た。



「私、見ちゃったの。小林さんの秘密……」





桜夜家の門道を通り、神楽と後藤は早足で廊下を渡る。

衣吹の言っていた事は本当だった。


早く伝えなければ。と、焦る気持ちから早足だけでは満足出来ず、走り出す神楽に後藤も一緒になって走る。


途端。

ふわりと漂う甘い香りに神楽は足を止めた。



「……は?」


嘘だろ?と思った。

今なのか……?



「ん?なんすか……この匂い……?」


匂いの根源を暴くように後藤が周囲を嗅ぎ出す。

だが、神楽は見渡さなくても部屋の前にあるお盆で、どこからその匂いが漂っているのかわかった。


約5メートル先に羽瑠の部屋がある。



「何か……すっげー甘くないですか?」


頭で考えるよりも先に、神楽は羽瑠の部屋に向かっていた。

近付くに連れ、匂いがどんどん濃くなっていく。

鼻を押さえないと意識がどこかに飛んでいってしまうくらい。



「後藤!お前はこっちに来るな!」

「えっ……だ、大丈夫なんですか神楽さん!」

「至急、組長に伝えてくれ!あの少女はΩで──……」



遠退きそうな意識の中、あの女子生徒の言葉が脳裏に浮かんだ。



『私、見ちゃったの。小林さんの秘密……』


『遅刻してるのも早退するのもΩを隠すため』


『小林さん、ヒートになって別の部屋に連れて行かれるの見ちゃったの』




額から汗が流れ、神楽はギリッと力一杯拳を握った。



「……──今しがたヒートになった」


ドキドキと脈が早くなり、まるで本能が反応しているかのように何も考えられなくなる。

手の平に詰めをたて、痛みで理性を保つのが精一杯。

苦しいはずなのに神楽は右の口角を少しだけ上げた。


久しぶりにくるな……この匂い……と。

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悪魔と涙と甘い恋。 きよ @kiiiiiyo

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