悪魔と涙と甘い恋。
きよ
捨てられ少女
それは、雨が降る5月のこと。
前が見えないくらいの土砂降りの雨の中、黒塗りの高級車が通る。
後部座席に座るその人は、この辺一帯を纏めている裏社会のトップ──組長だ。
こんなにも雨が降っていると言うのに車内はとても静かで、組長はふと窓の外を眺めた。
「おいっ、止めろ」
視界に入ったものに思わず声を上げた組長は、傘も持たずに車から飛び出して外に出る。
そして、橋の上で身を投げ出そうとする少女の腕を力一杯引く。
「……っ」
あまりにも細い腕にゾクリとした。
ドサッと尻餅を付いた少女は痩せ細り、まるで魂が抜けたような状態だった。
生きているのが不思議なくらい。
「組長」
傘をさす子分は「知り合いですか?」と、言葉を続ける。
「いや……」
今までずっと俯いていた少女が、このときやっと声を出した。
「お願い……死なせて……」
か細い声で涙を流す少女。
この少女に何があったのか。
何故こんなにもボロボロなのか。
少女と目線を合わせる為にしゃがみ込んだ組長。
「嬢ちゃん何があった?」
「……」
「あんな事したら両親が悲しむぞ」
「……」
何も答えない少女に、組長は深いため息を吐いた。
「死にたいのか?」
小さく頷く少女に、またため息を吐く。
(そこは反応するのか……)
「なぁ、嬢ちゃん。ウチに来ないか?」
「……」
「俺、こう言う者なんだ」
スーツの胸ポケットから、少女の前に名刺を差し出す。
黒い名刺に桜夜組、組長。
わかってはいたが受け取らない。が、意外にも少女の目線が上にあがった。
少しでも心が残っているのなら、と思い、立ち上がった組長。
「その命、俺が貰った」
♢
後ろの席で組長の隣。
半ば強引だったが、素直に付いてきた少女は近くで見れば見るほど痩せ細っている。
そんな姿を見れば心配してくるもので。
(飯、食ってんのか?)
組長はゆっくりと視線を窓の外に戻した。
屋敷の門の前で車が停まり、傘を持った若い子分がドアを開ける。
そして少女の存在に気付くなりひと言。
「客っすか?」
「拾った」
「ちょ、ちょっと組長……!」
車から降り、歩き出す組長の後を慌てて追いかける子分に彼はピタリと足を止めた。
「嬢ちゃん、ここが桜夜組だ。おいで」
やっと顔を上げた。が、目線の先がどこか違う所。視点が定まっていない。
(薬……?な、わけないよな)
どれだけこの娘を追い詰めたのだろう。
門道を通って玄関に入る前に組長は大きい声を出した。
「
「何ー?お父さん」と、言いながら出てきたのは組長の娘。
長いまつ毛にふわりとカールがかかった茶色の髪の毛。歳の割には大人びていて、学生という幼さも残っているが、どちらかと言えば美人の分類に入る女性だ。
「えっ!どうしたのその子、ボロボロじゃん」
「綺麗にしてやってくれ」
「う、うんっ!わかった!」
衣吹は慌てた様子で、裸足のまま玄関先のタイルの上に降りた。
「こっちにおいで。お風呂に入ろ?」
少女の肩を抱き寄せながら歩く衣吹の姿を見送り、組長は自室に向かう為に廊下を渡る。
たぶん、2人は齢が近い。後は衣吹に任せよう。
ふぅ。と息を吐き上着を脱ぐと、背後を歩いていた子分が組長の上着を受け取る。
「調べますか?」
「ああ。
「いえ。まだなようで」
「そうか、神楽が帰ってきたら伝えておいてくれ。俺が呼んでると」
「はい。承知しました」
♢
ひと息ついた頃、自室にて誰かの気配を感じ取った組長は、開いていた書物を閉じた。
「神楽、ただいま戻りました」
「ご苦労。入ってこい」
スッと襖が開き、頭を下げる神楽。
「失礼します」
そんな神楽の姿を見て、驚きのあまり組長は思わず目を見開いた。
いつもの姿って言ったらそれまでだが、スーツには返り血を浴び、どれだけ暴れてきたのか一目でわかる。
黒髪だからわかりにくいが、髪にも返り血が付いてるのだろう。
「またお前は……加減を知らんのか」
「……」
神楽は優秀だが、徹底的にやる点は我ながら呆れてしまう。
わざとらしく大きなため息を付いた組長は眉間を押さえた。
「まぁいい。調べて欲しいやつがいるんだ」
「少女の事ですか?」
「何だ。もう会ったのか?」
「いえ、騒ぎになっていましたので。貴方が少女を拾ってきた、と」
まあ、無理もない。
今まで組長が連れて帰った人は男ばかりだったのだから。
「名前は?」
「まだだ。かなり怯えて口を開かん」
「そうですか……」
ピクリと誰かの気配を感じ取った組長。
襖の方に視線を持っていくと、神楽も気配を感じ取ったのか同じように視線を動かした。
「お嬢、では?」
「……どうした?」
組長がそう声をかければ、スッと襖が開き、衣吹が顔を出す。
「ちょっと、気になる事があって……」
「あの娘は?」
「いるよ。隣に」
「神楽もいるからちょうど良い。入って来い」
「うん」
伊吹は少女の腕を引いて部屋の中へ入って行く。
先に入っていた神楽は隣にずれ、衣吹が組長の前に座った。あの少女を連れて。
組長が連れて帰った時はセーラー服を身に纏っていたが、今は見覚えのあるラフな格好になっている。きっと衣吹が着替えさせたのだろう。
(泥だらけだった姿が大分マシになったな)
「この子、身体中にアザがあるの」
「やはりそうか」と、組長は小さく言葉を落とした。
あの時、橋の上で腕を引いた時、制服の下からアザらしきものを見たのを思い出したのだ。
虐待に耐えきれず、命を絶とうとしたのだろうか……?
「でも、ちょっとおかしいの……」
「おかしい?」
「うん。……ね、ちょっと良い?」
そう言った衣吹は少女の長い髪を掬い上げた。
瞬間。
少女は勢いよく飛び退け、誰もいない部屋の隅の方に逃げる。
その顔は真っ青に青ざめ、恐怖に支配されたものだった。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさいっ……」
「どうしちゃったの!?」
「ごめんなさい……部屋から、出ないから……ごめんなさいっ」
震えながら子供みたいに泣きじゃくる少女は、近づけばひたすら謝り続ける。
何をそんなに怯えているんだ。
震え方といい、尋常じゃないのは一目瞭然。
「悪いな。嬢ちゃん」
話が進まないから、少女の首にトンッと刺激を与え、そのまま眠らせた。
「これはかなり重症ですね」
「……ああ」
ゆっくりと畳の上に寝かせ、組長は頬骨が出ている少女の顔を見つめる。
「多分、飯も充分に与えられてないんだろう」
「肋骨……やばかったよ……」
こんな子が本当に存在するなんてな……。
「この娘はこっちで預かる」
「大丈夫なの?」
「目が覚めて、またあんな風になったら困るだろ」
ほんの一瞬、衣吹の頭の中で先程の光景を想像してしまった。
みんなが寝静まった頃に手に負えなくなる状況を。
「神楽、至急頼むぞ」
「はい」
少しでも少女の素性がわかれば、この異常な震え方の意味にも辿り着ける。
「ねぇお父さん」
珍しく神妙な顔をする衣吹に、組長は「どうした?」と投げかける。
こう言う時の衣吹は何かに気付いてる時なのだ。
「直感って言うか、何となくなんだけど……あの子、私と同じかもしれない」
衣吹の言葉に、この場の空気が一変した。
(まさか……あの少女もか?)
「首にそれっぽい痕があったから……たぶん」
だとしたら悠長な事言ってられない。
急に組長がバタバタと急ぎ始めれば、事の重大さがひしひしと伝わってくる。
「神楽、お前は耐性付いてるんだよな?」
「まあ、割と。でも無理な時は無理ですよ?感情どうこうの話じゃないんで」
「うるせぇ大至急だ!寝る間を惜しんで調べろ!!」
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