『TS娘』とテセウスの船

中島しのぶ

人間を構成するすべてのパーツが置き換えられたとき、それは『同じ人間』と言えるのだろうか?

 五十年ほど前、ある地方の小都市で思春期男子の女子化現象が確認された。


 当初は染色体異常が疑われたが、詳しい検査でも異常は見つからなかった。

『テストステロン』は正常値以下となり、成長や発達を促進するホルモンの『インスリン様成長因子3』も減少。卵胞刺激ホルモンの分泌を抑制する『インヒビンB』は測定感度以下となり、『黄体化ホルモン』と『卵胞刺激ホルモン』は高値を示した。

 テストステロン補充療法も効果はなく、原因とされるウィルスも検出されず、治療法も見つからなかった。


 一方、女子化のプロセスは徐々に解明された。

 四十度近い高熱を出した後、数万分の一の確率で美少女、いわゆる『TS娘』になってしまう。

 症状は、トリガーがなくなれば男子に戻れる可逆性の『後天性女子化症候群』と、トリガーがなくても女子化し男子に戻れない不可逆性の二種類が存在する。後者は『後天性女子固定化症候群』として区別され、驚くべきことに発症時の姿のまま年齢を重ねていく。


 発症の確率は数万分の一とされていたが、瞬く間に数千分の一から数百分の一にまで上昇し、『後天性女子固定化症候群』の発症者数も日々増加していった。


 そのため、男性の人口比率は急激に低下し、出生率はほぼゼロに近い状態となった。


 人工多能性幹細胞を用いた精原細胞の作製やクローニング――これに対して宗教団体や倫理団体からの猛反発があった――は成功したものの、人口増加には繋がらず、総人口は以前の五分の一以下にまで減少してしまった。


 その一方で、後天性女子固定化症候群の研究が進んだことで、関連するAI、ロボティクス、医療用義体化技術は急速に発展――特に医療用義体化技術は目覚ましい進歩を遂げた。


 国民感情として、この国の人々はロボットやアンドロイドに強い愛着を持っており、そのためか、義体化はほとんど抵抗なく受け入れられた。


 また、ブレイン・マシーン・インターフェースの進展により、脳と脊髄の中枢神経系以外の全ての器官を義体に置き換える全身義体化が、特に一部の富裕層の間で行われていた――


 だが果たして、人間を構成するすべてのパーツが置き換えられたとき、それは『同じ人間』と言えるのだろうか?


 *


 私は安藤梓(アンドウ アズサ)、十五歳。女子高生。

 黒髪のロングヘアで、瞳の色はブルー。


 全身を義体化しているんだけど、今日は理由があって左脚だけ素体のまま――昨日、左脚の調子が悪く、破損してしまったから、交換しようと思ったんだ。

 でも、自宅にある予備パーツは素体しかなくて、仕方なく素体のままにした。


 放課後を待ってアキバタウンの義体メーカー本店に行き、交換するつもりだった。

 昼休みに、高校で友達になった北澤百環(きたざわ とわ)にそのことを話すと、

「わたし、アキバタウン行ったことない! ね、アズサ、連れてって! ほら、課題で出されたパーソナル・セクレタリー、まだ作りかけだし、部品も買いたいから!」

 と、すごく興味を持ったらしく、一緒に行くことになった。


 茶髪のショートヘアに大きめの目、そして高身長。スタイルもいいと思う。

 陸上をやっているから、脚だけは強化したいと、両親に頼み込んで義体化してもらっている。

 せっかくの身体なのにわざわざ義体化するなんて……とは思うけど、口に出したことはない。

 それに、わたしのブルーの瞳を真似して、わざわざ人工眼球を移植している。


 放課後、二人で課題として出された作りかけのパーソナル・セクレタリーに適合するパーツを探しに、アキバタウンに向かう。

 百環はいつもカバン猫の「みーや」を持ち歩いている――いや、正確には連れ歩いている、かもしれない。

 何年か前、みーやは命を落としそうになったけど、その後全身義体化したそうで一日八時間の充電が必要らしい。

 そのみーやも、もちろん一緒にいる。


 *


「ねえ、今すれ違った人、全身義体じゃないかな?」

 百環はその人の首に接続線があるのに気づき、私に聞いてきた。


「ん〜そうだね。たしかにそうかも。手首にも接続線があったし」と答えると、

「え〜アズサってすごいね! わたし、そこまで気づかなかった〜」と百環が感心した。


「そ? あのタイプはちょっと前のモデルだから、接続線が目立つんだよね」

「へ〜アズサは物知りだね〜 それより、この路地、めっちゃ古臭くて暗い……おまけに、なんか変なニオイするし」と、始めて足を踏み入れたアキバタウンを見回す。


「あ〜これはタバコのニオイだよ。タバコって知ってる? ナス科のタバコって植物の葉を紙で巻いて、それに火をつけて吸うんだよ。ニコチンが含まれてるから、脳内でドーパミンが出て気分が良くなるんだ」と説明すると、

「あいかわらずアズサは物知りだね〜 ってか、今時タバコなんて吸う人いるんだ」


「昔はみんな吸ってたよ? 今じゃこういった半廃棄街じゃなきゃお目にかかれないけどね」

 私は知ってることを答えただけなんだけどな……。


 この路地はタウンのメイン通りから、さらに何本も裏に入った場所だ。

 パーツ屋のオヤジさんは頭部が義体なのにメガネをかけているし、「スピード修理」って書かれて、腕や脚のパーツがぶら下がっている――そんな怪しげな店が軒を連ねている。

 普通、女子高生が軽々と入っていけるような場所じゃない。


「ねえ、なんでアズサはそんな古いこととか、こんな場所のことを知ってるの?」百環は興味津々に聞いてきた。

「ん〜まぁ色々とね」と、私ははぐらかす。

「なにそれ〜」


 やがて目的の店に到着し、私はこの裏路地にはあまり似つかわしくない店構えのドアをカードで開ける。

「トワも入って」と百環に入店を促す。

 店内には、腕や脚のパーツだけでなく、全身義体まで並んでいる。


「え、なにこのお店……アズサ、ここすごいね」

「うん。私、いつもここでパーツ交換してもらってるんだ。でも、この身体、ちょっとガタがきちゃっててさ……」

「身体……ガタがくる? え? もしかして全身義体?」と百環。

「うん、そう。全身義体。トワはちょっと座って待ってて。中枢神経ユニットを入れ替えるだけだから……そうだね、三十分もかからないよ」と店内のイスに座るよう促す。

 私は店長と一緒に店の奥に入っていった。


 *


「店長、この脚の素体、今の義体と相性が悪いみたいなんだけど……」

「そうですね〜、今使われている義体は一世代前のものですから……いっそのこと、新しい義体に交換された方が良いかと」

「やっぱりそうか……でも、それだと容姿が変わっちゃうんじゃないか?」

「いえ、大丈夫です。最新世代の義体でしたら、今の容姿そのままで加工できますので……そうですね、中枢神経ユニットの交換時間も含めて、先ほどおっしゃった通り三十分で終わります」

「そうか。じゃ、頼んだ」


 今の容姿をスキャンするため、全裸になりスキャンを開始する。

 スキャンが完了すると、専用の機械がスキャンデータに基づいて新しい義体の加工を始める。


 機械は精密に設計されたアームを使い、義体の各パーツを加工していく。腕、脚、胸部、顔の細部まで、スキャンデータを忠実に再現し、寸分の狂いもなく加工が進む。その作業音は静かだが確実で、時折機械のパーツが繋がる音が響く。


 しばらく待っていると、寸分違わぬ姿に新しい義体が完成する。


「では、中枢神経ユニットを入れ替えますので……」と店長が言う。

 店長の操作で、まずは現在の義体から中枢神経ユニットを取り外すため、生命維持装置に接続される。装置は私の生命活動を一時的にサポートしながら、ユニットの取り外しを進める。

 その後、取り外されたユニットは新しい義体に慎重に移植される。中枢神経ユニットは、神経接続部分が精密に調整され、完全に新しい義体に組み込まれる。


「ご気分や感覚に異常はありませんか?」と店長が確認する。

 私は手足を動かし、立ち上がってみる。全身の感覚が滑らかで、以前よりも動きやすく感じる。

「うん、大丈夫そうだ。いつもいい仕事をしてくれるね」

「ありがとうございます」

「じゃあ、彼女が待ってるから」と服を着直し、店長に告げてから店内に戻る。


 *


「おまたせ。びっくりさせちゃったね。ごめん――」


 それから百環に説明した。

「わたし今から三十年前、後天性女子固定化症候群で女子化した元男なの。そのころはTS娘って呼ばれてたんだよ。女子化したことにショック受けて、家を飛び出してクルマに轢かれちゃった。今はシステムが運転制御をしているから、考えられないことだけどね」

 と、ため息をつく。


「全身打撲と骨折、内臓破裂で一時心肺停止状態になったんだけど、幸いにも頭にダメージを受けていなかったから、そのころ実用化されていた全身義体化で命を取り留めたんだよ」

「お……お金、かかったんじゃない?」

「あ〜、それは大丈夫。父さんは義体制作技師で経営者だったから」

「え! そうなの?」百環は驚く。


「うん。で、ここはアキバタウンの本店なの。そのころの全身義体ってひっどいもんだったよ〜 さっきの人みたいに接続線どころじゃなくって、関節剥き出しだし。で、さっきまでつけてた素体の脚を見て昔を思い出してさ、換え時かな〜って交換したの」


 あ、三十年前に女子化……歳、バレちゃったかな。

「ね、アズサって……その……えっと〜」


「あ〜そうね、わたし実年齢は四十五歳。義体メーカーAnd Moreの経営者よ?」

「え〜だったらなんで義体で男にしないの〜? なんで女子高生なのよ〜?」


「だって、宣伝にもなるし〜 わたし女子高生とか好きだから〜!」

 百環、気絶しちゃった……。


Fin.

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