今日オレは、初めてアイツの顔をちゃんと見た

北里 京(きたさと けい)

本文

朝の微睡みの中でまず耳に入るのは薄い壁を伝って聴こえてくる下手くそなギターと、壊れたラジオみてぇな男の歌声だ。鼻に入るのは煙草と昨日食った牛丼の残り香。目に入るのは細い傷とシミが散らばった天井だ。

これでも悪くない暮らしなんだ。きっと俺にとっちゃ悪くない、身の丈に合ってる。これで正解な毎日なんだよ。

そんな日常に目覚めて、普段通りに支度をする。トイレ行って、飯食って、歯を磨いて、着替えて。6時53分。駅までは歩いて10分ちょっと。まだ余裕がある。

一通り準備を終えた俺は家を出る前に一服することにした。黄緑の箱から白い煙草を取り出して、咥える。チッ、チッ。火をつけようとするが、火花が散るばかりで上手くいかない。オイルでも切れたか?チッ、チッ、ボッ。何度かやってる内に火がつく。オイルは……足さなくてもいいか。

スーッと吸い込むと甘いミントとリンゴの香りが薄く広がる。その後に舌を撫でる苦味。唇に張り付く砂糖の甘味と混ぜて味わう。今日も美味い。これだけで幸せな気がする。

二本も吸ってると、自然と出発の時間がやってくる。7時8分。そろそろ出ようか。

7時30分前の電車を目指して人混みに溶け、そのままただ流れていく。いつもと変わらない街並みと、雑踏。何回も、何十回も、何百回と繰り返してきたこの朝だ。いつの間にか何を思うことなく体が勝手に動いてくれる。……そういえば何を目的に生きてんだろうな、俺。

何となくできた歴史やら地理やらで大学入って、それしか出来ないから教師になって。何がしたいとかじゃなくて、何かができたから、できてしまったから今こうやって過ごしてる。そんな日々だ。

 ふと考え込んでしまった自分の現状に対して何となく気が重くなった。余計な思考は生きる上でノイズになる。特に後悔やら一瞬我に返ってやけに客観的に自分を見てしまう時間は良くない。急に鬱になってうっかり死にたくなっちまう。そんな時には爆音で音楽を流すか馬鹿みたいな動画を観るに限る。ノイズはノイズで相殺してしまえばいい。

 俺はそうして思い出したようにイヤホンを取り出した。安ければいいと思って買った有線のイヤホン。世間ではワイヤレスが流行っているらしいが、ジャックに差し込む程度の手間の有無で値段が倍にもなるなら俺はこれでいい。こだわりもないからな。

 耳にイヤホンを付け、そのままスマホの頭にプラグを差し込む。今日の気分も定まらなかった俺は、聴きたい音楽を決める事もできず何となく自分のステーションの欄をタップした。

人混みに流され、音楽で思考を洗い流して、駅に雪崩れて、電車に押し込まれて、流れ出て、駅から出る。さらに進んで目的地。もう見飽きた仕事場だ。某公立中学校。もうここに来て3年か。


「沢村先生……臭いですよ……」


門をくぐって、靴を履き替えて、自分のデスクに着いた途端、横から声が飛んできた。よく透る、汚いものなんて知りませんみてぇな女の声。


「そうか?俺はそんなに気にならないんだけどねぇ」


「吸ってる本人は気にならないものですよ、煙草なんて……生徒にもその臭いは悪影響です。学校に来る前はいい加減控えたら如何ですか?」


「5つも年下にそんなこと言われちゃ終わりだねぇ……俺も」


「年の話……今関係ありますか?」


 しっかりと纏められた黒髪は後ろで束ねられ、前髪も綺麗に分けられている。化粧も薄く、シンプルなメガネも相まって如何にもクソ真面目ちゃんって感じのコイツは去年赴任した後輩教師だ。2年目でまだまだお固くて元気いっぱい。まぁ俺にそんな時期はなかったが。


「固ぇやつだなホント……俺が悪かったよ美咲ちゃん」


「……ちゃんはやめて下さい。少なくとも学校では他の方みたいに須藤先生と呼んで下さいと何度も……」


「……へいへい」


めんどくさい。何で年下の気に食わねぇ女まで呼びしねぇといけねぇんだろうな。年上だとしたって別に先生なんて呼びたかねぇけど。先生なんて偉そうぶってたって、そんな風に慕われる価値のある人間がいるとは思えねぇ。自分も含めてだが。

俺は正直言って学校なんていう空間は嫌いだ。上辺だけで本質的に助ける気もない大人達。大人ぶってて頭でっかちな下らねぇガキども。気に食わねぇことだらけだ。本当……何でここにいるんだろうな。


「――以上が連絡事項です。他に何かある先生は?……なければ学年事に共有をお願いします。」


教頭を中心としたいつも通りの非生産的な朝礼が終わる。学年主任と担任でそれぞれ情報共有をして、その後教室へ向かう。俺の担当は3年D組。赴任してすぐにクラスを持たされて、そのまま3年まで来た。


「起立。おはようございます」


教室に移動し、割とすぐにこっちでも朝礼が始まる。毎日同じことの繰り返し。違うことっていったら話す内容と、時間割くらいか?


「――っと以上が今日の連絡事項だ。……あっそうだ、今日から面談するから、1~10番までのやつは放課後時間通りに教室来いよ」


そうだった、と話しながら思い出す。今日から進学先聞いたりすっから面談あるんだった。3年の春頃はめんどくせぇもんだ。


あっという間に1日なんてもんは終わる。特に今日は担当授業数も少なかったから、事務作業とかをダラダラやってたらあっという間に放課後だ。帰れる……いや面談あったわ。帰りてぇ……


「センセ。私やりたいことなんてないです。進学先も近い所がいいからココにします」


「まぁ……それもいいんじゃねぇの?高校位まではそんなんでも大丈夫だよ」


「……センセって結構テキトーですよね。何で教師やってるんですか?」


「俺か?……社会のお勉強が好きでな、自分の好きなことを人にも教えたかったんだよ」


「ふーん。そんなもんなんだ」


生徒からの質問なんて適当に答えるだけだ。やりたいことなんて俺だってなかった。ないまま今まで生きてきた。だから大して話してやれることも無い。   

 結局下らねぇと思うことを自分でやって終わり。矛盾だらけの俺だから今のしょうもない生活は収まるとこに収まったって感じなんだろう。


「……じゃあ終わりだ。まぁ……頑張れよ」


面談も終わり、残ってた雑務とかやって、部活動に顔出してたらすっかり日も落ちきってた。午後8時20分。帰るか。

今日もいつも通りの帰り道。朝ほど人は居なくて、それでも人混みは流れを作る。ちょっとだけそんな流れから外れて駅に入って奥に向かう。目的地は喫煙所だ。

帰り際に1本。これは俺の密かな楽しみだ。喫煙所のドアの前で、箱から取り出したタバコを咥えつつ中へ。直ぐに胸ポケットからZIPPOを取り出す。チッ、チッ。火花は散れど火は着かず。やっぱりオイル足してから来ればよかったか?今更だけどな。

チッ、チッ。今回は本当に着かない。仕方ねぇライター買いに行くか……

 そんな時横から声が飛んできた。


「良かったら、火どうぞ」


「あっ、どうも……ってお前何してんだよ」


 声の先には見知った顔があった。だがいつもと違って髪は解かれていて、良く見ないと誰だか分からなかったかもしれない。


「悪いですか?これでも喫煙者ですよ」


「あんなに普段うるせぇのにか?」


「学校で臭いをプンプン漂わせるのは控えた方がいいって言ってるんですよ私は……子供たちって敏感だからタバコの臭いって結構気にする子多いんですー」


「ふーん」


喫煙所で会った美咲の声は学校でよく聞く気に食わねぇ女の声じゃなかった。少しフランクで疲れてるような声。吸ってるタバコは結構キツめのやつだった。


「てか、俺よくここ使うんだけど美咲ちゃんと会うの初めてじゃねぇか?」


「私は普段反対側使ってますからね」


「……ちゃん付けも気にしねぇのな」


「沢村さんは私に怒られたいんですかー?」


「そんなこたねぇよ。ただ普段と全然違ぇからさ」


「……私はちゃんと公私分けてるだけですよー」


「だとしたら……俺は今のお前なら好きだぜ」


「それはどーも」


下らない会話だが、いつもと違う空気感のその会話は何だか少しだけ心地よく感じた。ここにいるのはいつものいけ好かねぇ杓子定規じゃなく、等身大の人間って思えたからかもしれない。


「なぁ……美咲ちゃんは何で教師なんてやってんだ?」


「……急になんですか?」


「いや……面談でさ、生徒に聞かれたんだけどよ、俺は答えがねぇから適当に答えちまうからさ」


「ふーん。まぁ沢村さんらしいですね」


「うるせぇ」


気付いたら俺はこんなことまで話していた。普段通りじゃない今を続けようとしていた。別に、コイツの教師やってる理由なんて大して興味もないのに。ただ会話を続けたかった。


「……私、本当は歌手になりたかったんですよって言ったら笑いますか?」


「……ぇ?」


予想外の言葉に自分でもどっから出たか分からないような疑問符が声になって浮いてきた。


「別に笑いはしねぇけど……方向違いすぎねぇか?」


「ふっ、確かにそうですよね。でも確かにわたしは歌手を目指してました。大学卒業までに芽が出なかったら全部諦めるって約束をして……」


自虐的に笑いながら語るコイツの横顔はどこか悲しく、妖しく、魅力的に映った。綺麗なだけのクソ真面目ちゃんはもうどこにも居なかった。


「……なんだ、親が厳しかったとかそんな感じか?」


「そんな所です。家は父は役所勤め、母は高校教師だったので安定思考が強くて……」


「それで教師か……でも安定だけなら他にもあっただろ?何で教師なんか……」


「……自分が諦めないといけなかったから。諦めない生き方をさせてあげたいんですよ、子供たちに」


 美咲は照明の辺りに目を向けながらそう言うと、タバコを口につけ大きく吸って、吐いた。その一言はやけにズシンと重く響いた。


「……ふーん、かっこいいなお前」


「どーも……」


「でも……歌手志望が今や愛煙家か。喉は大切にしたらどうだ」


「余計なお世話です!大体沢村さんはいつも……」


 オレは何だか悔しくなって軽口を叩いた。それを皮切りに美咲から小言が飛んでくる。まさにマシンガン。生真面目なのは本当だったらしい。容赦なく飛んでくる言葉の弾丸はいつもと同じ様な文句の筈なのに……不思議とムカつくことはなかった。


「うるせぇよ!」


 一通りの文句を出し切った美咲に、オレは笑ってそう言った。

 



 いつも通りの繰り返し。でも今日はいつもと違う顔をした日常に出会えた。だからって俺が変わる訳じゃねぇけど。

午後9時13分。美咲と別れて帰路に着いた。喫煙所から出てお互い駅のホームへ向かう。乗る方向は逆方向だった。今思えば俺はホントに何も知らなかったんだ。コイツの乗る電車だって、こんなに近くても何も。いや……知る気がなかっただけか。

当たり前ってやつに囚われて、それしか見ようとしてなかったのは俺だ。どうしようもなくつまらない男だな、俺は。

同じ仕事やってるやつでも、同じ道を毎日同じように歩いてるやつでも、色んな道通ってから、色々考えてから歩いてるやつもいるんだろう。そして、そいつらはオレよりずっとおもしれぇんだろうな。しらんけど。

電車を降りる。人混みに溶けていくいつも通りが何となく嫌で、俺はいつも行かない方向へ歩く。

そしてその先にあったコンビニで、俺はいつもより70円高めのタバコを1箱と弁当を買った。


 

 家に着いていつもと違うタバコに火を点ける。高いからってその分だけ美味いとは思わなかったが、何となく良い気分だった。いつもより強めの清涼感と甘くない香りが入って……抜けていく。

 タバコを吸い終え、買っていた弁当をレンジに入れる。1分30秒の手持ち無沙汰。その間に食べながら観る動画でも決めるか。

 俺は美咲との会話を思い出したからって訳では無いが普段は観もしない歌ってみたやら、弾き語りのコンテンツをスクロールしていた。その内の何となく目に付いた1つの動画を試しに流してみる。


 チーン


 動画を見ていた俺はつい弁当の温めが終わったことを無視してしまう。


「あ?この声って……」


 動画から流れる女の歌声。透き通りながらも感情の揺れが感じられるような、聴き入ってしまうような良い声……ではあるのだが、そうじゃない。


「アイツ……じゃないよな?まさかな……」


 見れば見るほど既視感を覚えた。背格好、髪色、その一つ一つに。顔は写されていないが何よりも聞き覚えがあるのはその声だ。歌声になっていても地声の音域辺りで感じるこの感触だ。オレに小言を言ってくるウザかった筈の……でも本音っぽい時はヤケに胸に来るそんな声。


「ははっ!本当に上手いんだな……」


 ただの情報だった夢を追っていたというアイツの姿が、目の前に形として現れた。そんな実感がやけにオレを負けた気分にさせる。でもそれは何故か悪い気分じゃない、清々しい気持ちにさせてくれる感触だった。


「……これっていつの動画なんだ?学生時代とかだったら明日イジってやるか」


 そのまま褒めてやるっていうのも性に合わないオレはそんな悪戯心から動画の投稿日時を見た。


「あれ?この日付って……アイツ嘘つきじゃねぇか!」


 そして投稿日時を見たオレは何だかさらに悔しいような、嬉しいような気持ちにさせられた。

 道が変わったって途中で拾ったものを手放す必要なんて無い。持ちながら歩くことだってできる。簡単な話のようで出来るやつは少ないはずだ。なんて言ったって、俺みたいな拾おうともしないやつだっているんだ。本当に……自分のしょうもなさには笑えてくる。

 何にせよ明日は一本早い電車で行こう。そしてアイツに言ってやるんだ。


「何がだよ!」

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