第10話 新たな旅立ち

リストランテ・カルマは、拓斗が生み出した「白い調和の皿」を求める客で溢れかえっていた。料理を食べた人々が口にするのは、ただ「美味しい」という感想だけではなく、心が落ち着き、前向きな気持ちになれるという不思議な効果の話だった。


藤堂は厨房の片隅で忙しく動く拓斗を見て、感慨深げに声をかけた。

「すっかりお前の料理が店の看板メニューになったな。これからはもっと自信を持てよ。」


「ありがとうございます。でも、まだ学ばなきゃいけないことがたくさんあります。」

拓斗は謙虚に答えたが、その胸には確かな手応えがあった。怒りや不安を料理で表現し、それを調和に変える力。それは自分自身が得た大きな成長だった。


しかし、その夜、自宅で休んでいた拓斗のもとに、再び奇妙な現象が起こった。机の上に置いてあったレシピ本が突然震え出し、ページが一気にめくれて止まった。


そこには見たことのない新しい文章が浮かび上がっていた。


「調和を見出したお前へ。次なる課題が待っている。」


「次なる課題……?」

拓斗はページをじっと見つめた。レシピ本はすでに最終章に到達したはずだった。だが、新たに現れたこの一文は、さらなる試練があることを告げている。


ページをめくると、新たなレシピが記されていた。


「黒い審判のデザート――光と影の均衡」


「デザート……?」

これまでのレシピは、パスタやリゾットのようなメインディッシュばかりだった。しかし、今回はスイーツ。さらにレシピにはこう書かれていた。


「甘さと苦さを極限まで引き出せ。食べた者が己の心と向き合える料理を作れ。」


翌朝、拓斗は厨房に入り、新しいレシピを試すことにした。材料はシンプルだが、その配分は驚くほど繊細だった。砂糖やチョコレート、そして少量のスパイスが要求されており、慎重なバランスが求められる。


「甘さと苦さの均衡か……」

作業を進めながら、拓斗の頭には自然と自分の過去が浮かんできた。怒りや悲しみだけでなく、小さな幸せや希望も交錯する記憶。それを思い出すたびに、彼の手は止まることなく動いた。


完成した「黒い審判のデザート」は、美しい光沢を持つチョコレートムースだった。表面に刻まれた模様は偶然とは思えず、まるで黒と白が絡み合う渦のようなデザインだった。


「これが……俺の料理か。」


その夜、店の閉店後に藤堂とスタッフたちが集まり、新しいデザートの試食会が開かれた。拓斗が皿を一人ひとりに差し出すと、皆が好奇の目でその見た目を眺めた。


篠原が一口食べると、目を見開いて言った。

「甘い……いや、苦い……いや、なんだこれは。自分の中で何かがぶつかり合ってる感じだ。」


他のスタッフも同様の反応を示したが、どの顔にも不思議な安堵の表情が浮かんでいた。


藤堂が静かに言った。

「これはただのデザートじゃないな。食べた人の心を映し出す……そんな力があるみたいだ。」


拓斗はその言葉を聞きながら、自分の料理が持つ意味を再確認した。料理とは、単に味覚を満たすだけでなく、作り手の感情やメッセージを伝えるものだと。


その夜、拓斗は再びレシピ本を開いた。

次のページには、ただこう記されていた。


「旅は終わらない。お前の料理が、新たな物語を作り出す。」


エピローグ


拓斗はその後もリストランテ・カルマで料理を作り続けた。レシピ本が教えてくれたのは、料理を通じて自分と向き合い、感情を伝える力だった。新たな課題が現れるたびに、彼はそれを乗り越え、店の仲間や客とともに成長していった。


レシピ本は静かに本棚にしまわれ、必要なときにだけ拓斗の手を借りて、また新たな扉を開く。

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アラビアータに纏わる恐怖 星咲 紗和(ほしざき さわ) @bosanezaki92

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