09.皇子と皇子妃

 メイドとして雇われてはや1週間。さすが見る目があると言うべきか、ラウレンツ様が他に雇っているメイドは、みんな真面目で優しくて仕事のできる方だった。人数自体は非常に少なく、王城と宮殿のサイズ比から割り出した人数の僅か半分しかいないのに、まったく問題なく仕事が回っている。お喋りでサボることなんてないし、気が利いて、一を言われれば四か五くらいまではする人ばかりだからだろう。私に割り当てられた仕事もさして負担ではなかったし、もしかして王城には無駄が多かったのかも、なんてことに気付かされた。


 が、どうやら他にも問題があるらしい。


 応接用の「月光の間」での会談中、扉のそばに控えたまま、目だけでラウレンツ様の顔を見た。いまは仮面舞踏会の最中でしたでしょうか、そう訊ねたくなるほど、その顔にはぴったりと笑みが張り付いている。


「すっかり寒くなってまいりましたねえ」

「ええ。少し前にエーデンタール国を訪ねましたが、既に秋口の寒さではありませんでしたし、きっと今は雪も降っていると思うと、いつ冬将軍が襲ってくるやらと」

「そうでしょうねえ。夜はなおのこと冷え込むことでしょう。ねえ、殿下」


 ラウレンツ様の口角が1ミリ上がった。ここ最近観察していなければ気付けなかっただろう。


「いえ、最近海の向こうからいい毛布を仕入れましてね。夜は寒さとは無縁の生活ですよ」

「ほう。しかし、毛布だけでは暖まらぬものもありましょう」

「確かにいい毛布でしたからね、懐は少々寒くなりました」

「ハハ、上手なことをおっしゃる」


 笑い声が上がったけれど、2人とも目が笑っていない。いつもそうだ、うわべの表現の裏で互いの思索が絡み合っている。恐ろしい、と私は背筋を震わせる。


 今日の会談の相手は、隣国の外務卿だ。どうやら妙齢のご令嬢がいるらしく、そしてラウレンツ様には相手がいないので、ぜひうちの娘をと、そんな話をしている。


 その話題はいまに始まったことではなく、会談と称してラウレンツ様に会いにくる人会いにくる人、皆がその有様だ。なんたってラウレンツ様は相手のいない帝国皇子、しかも数年前に帝国で皇妃が追放されたのは周知の事実、傾国状況はバレずに済んだとはいえ、付け入る隙があると考えるのは当然のこと。そんなラウレンツ様が外国の貴族と会食の席を設けるのは、鴨がネギを背負って鍋まで用意してその周りをうろうろしているようなものだ。


 今日も今日とて、鍋に入ってはいかがか、いや鍋に入るつもりはないので、そんな押し問答が繰り返され、最中に少しだけ政治の話もして、会談は終わる。


 丁重に外務卿をお送りした後、ラウレンツ様は胸元を寛げながら早足で宮殿の中へ戻って――長い溜息を吐き出した。


「お疲れですね。シュガースティックブレッドはお食べになりますか?」

「ありがとう頼む。なんでどいつもこいつも俺を結婚させたがるのか。いや分かるんだけど」


 くっ、とラウレンツ様の顔が苦痛に歪む。しかしこれに関してはラウレンツ様がラウレンツ様らしくない。


「結婚は帝国皇子の宿命、運命、いや義務ですから。仕方がありませんでしょう」

「俺は的確な返答を待っていたわけじゃない」

「失礼しました。いえ、理解はいたします、なにせラウレンツ様がこうも色々と仕事に追われ気を揉んでと大変にしているのは元皇妃のせいですから。妻を娶ることすなわちトラウマでしょう」


 そのくらいは私も帝国皇子の気持ちが分かるというものだ。たとえばそれは、今の私が王子妃になれと言われることに似ている。そんなの冗談じゃない。


「しかし、ラウレンツ様は帝国皇子なんですから、もう少し打算的に考えましょう。官僚も数は足りていないとはいえ、不正のないようにとそれぞれ留意しているでしょうし、ラウレンツ様ご自身も目を光らせていますから、元皇妃の二の舞は避けやすいはずです」

「……それはそのとおりだね」

「しかも、会談の度にご令嬢を勧められること、私が知っているだけで実に7回でした。下は5歳から上は29歳まで、何がなんでもという皆さまの力強い野望――いえ希望を感じます。ラウレンツ様はただでさえ忙しいのに、いつもいつもこんな話ばかりしていては時間の無駄です」

「……それもそのとおりだね」

「しかも貴族は財産を蓄えている可能性もありますから、皇家側が持参金目当てで婚姻するというのも多いにありな政略だと思います。適当なご令嬢を見繕って婚約なさって身を固めれば時間も節約できて一石二鳥ではないでしょうか?」


 執務室の扉の前まできたラウレンツ様は、そこでぴたりと足を止めた。磨き抜かれたドアノブに手をかけたまま、ゆっくりと首がこちらを向く。仮面舞踏会の笑顔はどこへやら、その顔は何とも言えない微妙なものになっていた。


「……すみません、喋りすぎましたか? 私ちょっとお喋りで……」

「いや、君の話は基本的に面白いからいいんだけれど」

「今回は応用が過ぎましたか?」

「…………元王子妃だった君がどこぞの国の王子妃になれと言われたらどうする?」

「寝言は這いつくばってから言えばいいと思います」

「それと同じだ」

「違います。だってラウレンツ様は権力を持つ側ですから、過ちを防ぐ力があります」


 ラウレンツ様の顔はさらに微妙なものになった。私から目を離さないまま、しかし手は扉を開ける。


「……もう一度言おう。俺は的確な返答を待っていたわけじゃない」

「心理的な壁があるという話ですね、失礼いたしました」


 机についたラウレンツ様の前に、砂糖をまぶして焼いたスティック状のパンを差し出した。王城でたまに作っていた余りものおやつで、先日食べているのを見つかったと思ったら「俺にもくれないか」と言われ、以来気に入っていらっしゃる。舌は庶民派なのかもしれない。


 ついでに紅茶を出すと、ラウレンツ様は座ったままカップとパンを二度見した。


「……瞬間移動でもしたのか?」

「お疲れのようでしたので、会談が終わる少し前にご用意しておきました」


 普通なら冷めてしまうかもしれないが、ラウレンツ様は私にとって小走りレベルの早歩きで宮殿内を移動するので問題ないと踏んでいた。案の定、茶葉が開いていい塩梅になっている。


 カップの中でたゆたう綺麗なオレンジ色の紅茶を眺めながら、ラウレンツ様はしばらくぼうっとしていた。


「……ありがとう。助かるよ」

「……あの、すみません、私のさきほどの話はあくまで一提案で、2割くらい冗談でして。無理をなさる必要はないと思いますよ?」

「いや、まったくもって、君が言ったことは正しいんだよ」


 はあ……とラウレンツ様は重たい溜息をついた。会談が終わって既に二度目だ。


「社交場に顔を出すこともあるし、そのときにパートナーがいないのは体裁も悪い。しかも外国相手となればなおさらだ」

「それでも首肯しかねるくらいには元皇妃の所業があまりにも心に引っかかるということですか」

「まあね。それに、婚約者を決めたところで、皇妃教育だのなんだのに割けるリソースもない。既に教養のある女性で、契約結婚だと割り切って、仕事をしてくれる……そんな都合のいい存在はいないし、大体求めるのは失礼というものだよ。結婚という形をとる以上は相手の人生を縛るのだから」

「そうですねえ……」


 どこぞの王子も、そのくらいの覚悟をもって私を婚約者にしてくれればよかったのですがねえ。なんてことはさておき、それなりの貴族のご令嬢ならリソースはある程度自前で提供できるだろうし、既に相応の教養を持っているはずだ。となると問題は契約結婚という形になるのかもしれないが、果たして世のご令嬢がどこまでそれを受け入れないものなのか、私には分からなかった。


「愛はないけど責任は取る、そんなことを率直にお伝えして打診しては?」

「……君は本当に時々すごいことを真顔で言うよね」


 そう言うラウレンツ様は、世にも奇妙な提案を聞かされたかのような顔をしていた。


「たまに聞きたくなるんだけれど、君はアラリック王子殿下のもとで一体なにをしてたんだ?」

「婚約者ですよ。かれこれ十年以上」

「……元皇妃が君だったらこの国ももう少しましな今があっただろうな」

「どうでしょう。もし最初から皇妃として甘やかされていたら、私も贅沢三昧をして国を沈めていたかもしれません。さあラウレンツ様、あと二十分ほどで法務卿補佐と会議が始まりますよ。冷めないうちにどうぞ」


 紅茶を注ぎきり、空っぽになったパンのお皿も回収する。ラウレンツ様は今度はぼうっと私の顔を眺めていた。


「……パンのおかわりですか?」

「……いや。君の前向きな姿勢にはいつも元気をもらうなと思って」

「ありがとうございます、それだけが取り柄ですので」


 その調子で引き続きしっかり雇ってください。笑みを向けたけれど、ラウレンツ様はそれ以上はなにも言わなかった。

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