08.傾いた国と傾けられない宮殿

 馬を変えながら日夜走り続けること5日ほど、陽が傾く頃になってようやくたどり着いたモンドブルク宮殿を見て、私とヴァレンはそろって絶句した。


「……これは国も傾くわ」


 突然道の様子が変わったと思ったら、宮殿の敷地内に入っていたらしい。道中の景色はエーデンタール国とさして変わらなかったが、この宮殿だけは違う。巨大にして荘厳、外壁は赤レンガで、ところどころにそびえたつ彫像はすべて大理石。馬車が走るというのに、敷石にまで惜し気もなく二色の大理石が互い違いに並べられている。敷地内に金のかけていないところなどないと言わんばかりだ。


 ラウレンツ様に手を引かれ馬車を降りた後、首が痛くなるほど高い宮殿を見上げ、呆然と立ち尽くしてしまう。


「ちなみに見えているのは序の口。宮殿の向こう側が庭園になってるから後でヴァレンと遊びに行くといいよ。ただしあまり遠くへは行かないように、3階からでも見渡せない広さだからね」

「……維持費だけでも相当なのでは?」

「想定の十倍はかかっているとだけ教えておくよ」


 疲れた横顔に本気の苦悩を見た気がした。本来なら真っ先に削るべき項目だし、実際削ったのだろうけれど、皇家の住む宮殿は帝国の顔、下手な手抜きをすれば国の情勢が悪いと見抜かれてしまう。削りきれぬ部分が大変だったのだろう。


「それより、今日は早めに夕食を用意させるから早めに休んでくれ。最初に話したとおり、明日から働いてもらうつもりだし」

「私は構いませんが、明日からでいいんですか? 今のところ完全にタダ飯食らいで寝て食べるのがお仕事なふんわり生活を送っておりますけれど」

「ロザリアの言葉選びはいつもユニークだよね。アラリック殿下もいつも楽しんでたんじゃない?」


 誉め言葉なのか嫌味か皮肉か、分かりかねて何も言えなかった。


「でも、君はもともと将来の王子妃。ただでさえ強行軍で帝都まで来たんだ、明日からは慣れない仕事をしてもらうことになるし、どちらかというと今日のうちにしっかり休んで、明日からに備えてほしいね」

「……そういうことならお言葉に甘えて休ませていただきますが、ラウレンツ様も早くお休みになられては? 帝国領に入ってから少し顔色が良くなったようですし、エーデンタール国の水が合わなかったのでは」


 最初に会ったときはなんとも思わなかったけれど、帝都に近付くにつれて少しずつ顔もとが明るくなったというか、少しエネルギーが戻ってきたように見え、もとの疲労感に気が付いた。最初の笑みと言葉が柔らかく軽薄に思えたのは、疲れで力が入りきっていなかったせいなのではないか。


 ラウレンツ様は少し驚いた顔をした後で「ふむ……」と顎を撫で、ちらとヴァレンを見下ろした。


「そんなことはなかったけれど……最近暖かかったからね」

「むしろ寒くなってきてませんか?」

「そうだね、温かいものを用意するから部屋で休んでてくれ。場所は案内させるよ」


 じゃあ俺はこれで、とラウレンツ様が離れて行った後、じっと私もヴァレンを見下ろした。金の目はきゅるんと丸くなる。


「……まさかヴァレン、ラウレンツ様にお腹を見せたの? 浮気って呼ぶわよ」


 ふみ、とドレスの下で足を踏まれた。下世話な勘繰りをしてごめんなさい。


「あ、っていうか待って、さっきラウレンツ様、温かいものを用意する・・って言ってなかった? もしかしてこの宮殿、ろくにメイドがいないせいで用意してくれる人がいないんじゃない!? ヴァレン、私の荷物をお願い、私はラウレンツ様のことを手伝ってくるから!」


 キュウ、とヴァレンは首を傾げたので、きっとこれは「そんなことをする必要はなかろう」なのだけれど、明日からこの宮殿のメイドになるのだ。それなのに主に手頭からものを用意させる使用人がどこにいる。あの皇子はどこまでもズレている。


「ラウレンツ様! ラウレンツ様、仕事、させていただきますよ!」

「え? だから明日からって……」

「最初は右も左も分からずになかなか仕事にならないと思います。もし現時点でできることがあるのであれば今のうちに作業した方が効率もいいと思いますから、厨房の場所さえ指示していただければ私が温かいものを準備してお持ちします。もし私の職掌にラウレンツ様の執務室の掃除も入ってくるのであれば、温かいものをお持ちするついでに掃除道具の場所と方法を教えてもらいながら実地で学びましょう。そうすれば一石三鳥の引き継ぎになります。いかがですか?」


 我ながらよく舌を噛まずに言えたと思うほど、突っ走るような勢いで口にしてしまった。ラウレンツ様はちょっと引いている。


「……よく働くねえ」


 なんたって契約で雇われる身だし、クビを切るつもりがないと言われたって、帝国皇子に情があるとは思えない。無能は不要が世の常なのだから、自ら役目を見つけていかねば居場所を失う。


「じゃあ、このまま案内するからついてきてくれ」

「承知しました、ラウレンツ様が真っ青になるくらい働いてみせますからね」


 王子の元婚約者として割り引いて考えてもらえているいまこそボーナスステージ、低い期待に反して高い成果をあげて、評価を上げてもらおう。力強く拳を握りしめた。

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