「和菓子屋きんとん」ほっこりギャグコメディ【短編小説完結済み】

柊准(ひいらぎ じゅん)

和菓子屋と美人局


 俺、月宮正太郎は和菓子屋を切り盛りする父親の息子だ。

 朝にぱちりと目を開けて、布団から抜けて畳を歩きながら階段へと向かう。そこを伝って降りて洗面台で顔を二回ほど丁寧に洗う。(丁寧に洗ったとてイケメンに変貌したりはしないが)そのあと和服から制服のシャツに着替えてブレザーを羽織る。一応、もう一度鏡を見る。(言っておくがナルシストではないぞ)新しく出来たニキビを見つけてガックシと肩が落ちる。甘い物の食べ過ぎが原因かな。



 俺は大の甘党である。



 リビングに行き、母親が焼いてくれたトーストに小倉餡をバターナイフで塗った。それを齧り、咀嚼しながら牛乳で流し込む。相変わらず美味いな。この小倉餡の甘さとトーストのこんがりとした香ばしさがベストマッチだ。


「正太郎。すごい幸せそうな顔をして食べてくれて、ありがとう。私も作り甲斐があるわあ」



「いやいや。トーストを焼いたぐらいでなにが作り甲斐だよ」



 すると母親はふくれっ面をして……五十過ぎのおばさんのむかっ腹の様子を見るほどに耐えがたいものはない……ってえ、痛い痛い、耳を引っ張らないで!



「全く失礼なこと言わないでよ」



「ごめんよ母さん。もう言わないからさ」



 涙ながらにそう言うと母さんは許してくれた。これぐらいで怒るなんてちょっと母は幼稚と言うか子供っぽいと言おうか、あっ、これ以上言うとまた怒られるからもう黙っておく。



 そしたら「おはよう——」と姉の琴美がリビングに入ってきた。さっと周囲を見渡して、コーヒー粉末が入った瓶を開けてそれをコップに入れ、そしてお湯を注ぐ。香ばしい香りが室内に漂い、鼻腔をくすぐる。俺もコーヒーの匂いは好きだ。姉も同じくだろう。満足げな表情を見せている。



「姉貴はほんと、コーヒー好きだね」



「まあね。コーヒーの香ばしさや匂いが私はこの場にいてもいいんだ、ってさとしてくれるの」



「なんか、すげー文豪っぽいこと言うんだね。はたまたメンヘラか」



「どちらでもいいでしょう。いや、メンヘラは嫌だわ」



 そう言ってくすくすと笑う。                                                                                                                                                                                                                                      



 姉さんは大学一年生で、まるで絵にかいたようなキャンパスライフを送っている。あまり講義には出ず、友達と合コンを梯子し、もしかしたらその日の晩に合コンで気に入った男性と一夜を共にするのかもしれない。高校生の身分からすれば、まったくもって羨ましい限りだが……いいよなあ、大学生。大学生の女性ってちょっと、いやだいぶと美人だし。そんな人と付き合ってみたいよ。でも、高校生は相手なんかしてもらえないんだろうな。



 俺はもう一度牛乳を飲んで、席から立ち上がった。




「じゃあ行ってくるわ」



 姉と母はにこりと笑いながら「行ってらっしゃい」と告げてくれた。

 それに頷いて。玄関に向かいローファーを履いて外に出る。強い日差しが容赦なく俺を叩きつけてくる。思わず一瞬、目がくらむ。

 それから後ろを振り返る。和菓子屋「きんとん」という看板が二階に掲げられている。そう、俺の家は和菓子屋なのだ。近所の人から愛されている、老舗の、な。





 創業百六十年。戦時中は内閣府に頼まれて物資の支給も行ったとか、してないとか。

 まあ、どちらにせよここ東京でも老舗は愛される傾向にあるようで。末永くやらせてもらっている。



 俺はそんな店の跡取り息子……なんてことはなくて(親が勝手に言っているだけなんだ)将来はイラストレーターの道に進もうと思っている。まあ多分、姉さんがやってくれるんだろう。

 



 だがしかし……

 



「そんなの認めないぞ‼」



 ……は?


 翌日、生徒指導の教諭から「そろそろ進路について親と相談しておけ」と言われたもんだから、学校から帰宅して父親にイラストレーターになることを告げると激昂された。ちょっと俺は物怖じして涙目になる。



「ちょっとお父さん。近所迷惑になりますって」



 母がお父さんの怒りを宥めようとすると、父は母に睨みを利かした。おいおい、この亭主関白。関白宣言でも締約してんのか。母さんが可哀そうだぞ。ってか俺も可哀そう。誰か励まして……



 すると地獄の形相となっているリビングに、姉貴がやってくる。さっと周囲を見渡して、助け船を出してくれるかな……とか思っていても、姉は苦笑しながら(多分、呆れ交じりの苦笑だと思う)牛乳を冷蔵庫から出し、ココアパウダーをコップの中に入れてそこに牛乳を投入しスプーンで優雅に混ぜる。それから一口くちに含んで、満足げな表情を浮かべ、リビングを出て行く姉。おいおい、無慈悲じゃないか。まあ危機管理能力としては満点の対応だけどさ。



「その、さ。跡取りは姉さんでもいいじゃないか」

「いや、職人は男と決まっているんだ」



 なんだその時代錯誤な考え。その思考とか固まった常識が昭和なんだよな。

 するとその思考を読み取ったのか? 父の眉根は寄り、俺をぶった。いやいやおかしいからその横暴。もはや一歩間違えたらDVだよ? それ分かってる?



「父さん横暴すぎだよ」 



「うるせえ。お前が舐めた態度を取るからだ」



 舐めた態度って……

 俺は少々苛立ったが、父さんに対しての侮蔑の言葉を発する前に寸前で飲み込んだ。おっと、危ない危ない。またぶたれるのだけはごめんだ。



「というか、何だっけこういうの、世襲か? そう言うのはしなくていいじゃんんか。外部からの人間雇ってそいつを社長にしたらいいじゃねえか」

「駄目だ‼」

「なして⁉」

「ここは……この店はな天皇御一行が外遊で来るような店なんだ。そんな店を素性も知らねえ奴に渡してたまるもんか」



 まじか……なんか、ある意味信用されてんだな。俺。

 うっ、感涙しそうだぜ。

 父親の思わぬ発言によって、俺の存在はこの店にとってかなり重要視されてんだな、とか思っていた、のに……




 その二週間後、俺にとっては雷撃のような女性が、ここ「きんとん」に現れた。

 女性は長身でモデル並みに整った容姿。そして彼女の体から香る甘い匂い。シャツ姿にジーパンという服装。

 でもどうしてそんな女性がこんな古汚っ……こほんこほん、そういえばここ、天皇も来ている店だった。あぶねえ。

 女性は店番をしていた俺のもとへ来て、一言。



「この店で最高に美味しい豆大福をくださる?」



 俺は唖然とした後で、すぐに畏まりましたと言った。下の棚のトレイからふたつ(一つは俺からのサービスだ)取り出して包み袋に入れて女性に渡した。すると女性は満足した顔でありがとうと言って去っていった。

 おっと、あぶねえ。一目惚れしちまうところだったぜ。どうしてこうも女性の満足げな顔ってエロいんだろうか。不思議だ。



 そこからまた翌日。女性が再び現れた。昨日はラフな服装だったが、今日はスーツ姿でお堅く決めている。それでも、どうしてか女性の、胸のふくらみに目が行ってしまうのは俺が童貞だからとかじゃないと思う。いや、そう思いたい。



「お父様、いらっしゃる?」

「えっ、父さんの愛人ですか?」



 そしたら女性は眉根を寄せて困ったような顔を見せた。



「どうしてそうなるの?」



「あんな頑固おやじにあなたみたいな素敵な女性が用事あるなんておかしい。いや待てよさては、店を狙った美人局つつもたせだな。そんなの俺が許さないぞ」



「ちょっと待って。その誤解、私に対しても悪意があるわ。まあいいけれども」



「どうしたんだ。騒がしいぞ」



「父さん。父さんのもとに美人局が来たよ。良かったね」



 俺がそう言うと父からのげんこつが俺の頭をかち割らんばかりに振ってきた。思わず涙目になる。そしたら父は鼻を鳴らす。その行為に一言。



「ちょっと、そんな某レールガンアニメの『ジャッジメントですの』みたいな勝ち誇った笑みやめて」

「なんだそれは。意味が分からんことばかり言うな。ったく。それで、あなたがなぎ楓子ふうこさんですか?」



 女性は頭を下げてからお淑やかに喋りだした。



「私たち凪グループはこの店を買収したいと思っています。そのための順当な対価もお支払するつもりです。こちらを」



「……」



 父は無言で凪が差し出した小切手を見つめた。少し衝撃を受けているのが分かるほど、父の目は揺らいでいた。俺はこそっとその小切手で書かれている値段を見遣ると「三十億」と書かれていた。「えっ」と俺も驚いてしまう。



「これでも、当グループにとっては少ない金額だと思っております。では、どうでしょう。店を渡したくないのなら、エージェント契約と言うのは」



「エージェント契約だと?」



「ええ。そうです。もちろん契約金としてその切手に書かれた金額はお支払いいたします。そして業務提携という形で、うちが開発した商品や企画案を——」



「……ざけやがって」



「え?」



 女性の目元が細まった。

 そしたら父親が小切手をびりびりに破いた。



「ふざけんなっ‼ この店は俺の曽祖父の代から引き継いできた、伝統がある店なんだ。邪魔なはえはどこかへ消えろ」

「ちょっと、父さん。こんなチャンス二度とないぞ。三十億だぞ三十億。それなのに……」

 そんな抗議をしている俺に目をくれている凪。すると彼女は微笑を湛えて、

「まあ、諦めるつもりはないので、また今度会いましょう」

 

 その言葉は、どこか俺に向けられているように思えたのは、自意識過剰だろうが。


 2


 俺の高校は原宿にあるお洒落な学校だ。校風として、ピアスも、バイク通学も、染髪も自由。よってなのかこの学校に入学したいという志願者が年々増えて、倍率も上昇している。編入試験もかなりの難易度、らしい。



 そしてあくる日、三年でどうしてかこの学校の編入試験を突破したという学生が一人生まれたという噂が横行した。

 今の時期は春が暮れ、夏が迫りつつある六月。そんな時期にどうしてなのだろうか。

 担任のれい三坂みさか先生が教壇に立ち、溌溂とした笑みをこぼしながら「皆も噂を知っているだろうけど、この学校の難問編入試験を満点で合格した生徒が、このクラスで皆と同じく教鞭を受けることになった。よろしく頼むぞ」と言った。その声を合図に、一人の女子生徒がクラスに入ってくる。

 それに男子生徒が「うおーーーーーー」と歓喜の声を上げる。俺はやれやれと思っていた。が、



「あんた、鼻息荒くなっているわよ」



 と隣の友人である女子生徒の大林黒子にそう言われた。彼女の目が俺のことをキモイと訴えかけている。そんな目で見ないでおくれよ。

 黒子は不機嫌そうに「まったく。転校生ぐらいではしゃいじゃって。子供じゃないんだから」なんて呟いた。

 教壇に立った女子生徒を見て、俺はぼそりと「あいつ……十八歳だったのか」と驚愕して言ってしまった。その言葉をあからさまに突いてくる黒子。「なに、十八歳だったって。知り合いなの?」



「知り合いというか、商売敵しょうばいがたきというか。ともかく、ちょっと説明すんのが面倒な子だ」

「ふーん。あんたも大変なのね」

 黒子はそう言って俺の肩を小突いてきた。「何すんだよっ」と彼女とじゃれ合っていると三坂先生が「そこっ! こちらを見なさい!」と注意の槍が飛んできた。

 俺たちは立ちあがり粛々と頭を下げた。

 するとクラス中から笑いが生まれ、「あいつらまたやってるわー」と言われた。すごく恥ずかしくて、黒子を見てお前のせいだぞ、という意味を含んだ視線を投げてやると彼女はすました顔でニィっと笑ってきた。




 くそっ、可愛いところもあるじゃねえか。心奪われそうだったので俺は彼女から目を逸らした。

 三坂先生が俺の前の席に座れと凪楓子に指示する。彼女は「はい」と言い頷いて席に座った。やはり彼女から香る甘い匂い。

 そんなことを考えていると、凪は振り返ってこちらに笑いかけてきた。



「えっ——」

 少しでも俺の事、好意的に思ってくれているのか? そう思った瞬間、彼女の方からすこし矢継ぎ早に、「はい。私はあなたのことが好きです。ぜひ、あなたの花嫁になるために編入してまいりました」と言った。

 俺はしばし思考が固まった。というか、こいつ今なんつった?

「あの……ごめん。もう一回言ってくれませんこと?」



「どうしてオネエ口調?」黒子がそうツッコむ。



「もう。恥ずかしいセリフを何回も繰り返させないでください。あなたのことが好きです。結婚しませんか、って言ってるんです」

 絶対にあれだ。うちの店を狙うためにそう言っているんだ。俺の虜になったんじゃないんだ。



「ちょっと、その話は放課後にしようか」



「フーフー。月宮、結婚おめでとさん」

「お前ら一遍黙ろうか」



 3


 そして放課後。俺は部活を休んで校舎裏で凪と一緒にいた。

「で、なにが目的なわけ? まあうちの店だわなあ。父さんも言ってたけどあの人は俺以外に店を譲るつもりはないらしい。まあその理由はあんまり釈然としないけど」



「釈然としないんだったらいいじゃない。うちにあなたのお父様の会社の利権を売っても。損はさせない見積もりはしたはずよ」



 俺は煩わしくなって、頭を掻いた。



「あのさあ、老舗メーカーは損得勘定で店を切り盛りしているわけじゃないんだよ。俺を取り込むつもりでお前はこの学校に編入したんだと思うけど、そんなんじゃあ譲れねえんだよ。と、思う」

 何言ってんだろう、俺。この女の会社に店の権利ごと売っぱらおうが、のちのち自分のためになんのに。


 そう思っているとふと、心が懐かしくなった。そうか、この感覚。俺はあの店が好きなんだ。


 三十億という買収金を蹴ってでも。


 モデル並みの美女との結婚を捨ててでも。




 守りたい店だったんだ。

 俺は、このことにようやく気付けたからこそ、一息に言えた。


「自分は今までイラストレーターになりたかった。でも、絵なんか家業の傍らでも描ける。俺は、『きんとん』を継ぐよ。そして、三十億に目がくらまないような最高の繁盛店に仕立て上げてやる」


 凪は目を丸くし、驚いていた——とはまた違っていた。腹を抱え大笑いし、それからスカートのポケットからICレコーダーを取り出して先ほどの俺の言葉を再生した。



「ど……どういうことだ」



「あなたは騙されたのよ。平治さんにね」



 平治とは俺の父の名前だ。


「最初、『きんとん』に私が行ったときに食べた豆大福、あれがとても美味しくて。平治さんにぜひアルバイトとして雇ってくれないかってお願いしたら、だったら一つ条件があるって言われてね」

「それが、俺にさっきのセリフを言わせるためだった……」

「あっ、一応言っておくと編入も偶然だし、結婚もしたくない。そういうわけ」

 そう言った凪はいたずらが成功した幼子のように笑った。


 俺はすぐに帰宅し、店の前に立っていた親父に詰め寄った。すると親父は俺を背負い投げした。いや、なぜ?



「全部あの凪ってやつから聞いたぞ。図ったな‼」

「騙されるほうが悪いんだ。いや、騙したわけではないか。お前の深層心理に直接語り掛けて本音を出させたんだからな」


 ゲラゲラと大笑いして、父は店へと入っていった。


 こうして、結局のところ美人局にあったのは俺だった、というわけだ。


 そうして、高校卒業後。俺は「きんとん」にて働いていた。バイト約二名を抱えながら。

 一名はもちろん凪楓子。そしてもう一名は黒子だ。凪のことを黒子に話すと、大学に行きながら私もアルバイトする、と言ってくれた。

 近所のおばあちゃんには、「両手に花だねえ」とか言われるけど、いや、こいつら食べたら死ぬアジサイ「毒花」ですって。

 まあ、そんなこんなで和菓子屋「きんとん」は平凡にやっている。また、よかったら覗いてきておくれよ。


                                   END

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