ELSE- IF #下
寮の玄関口で、皆が待っていた。12月の寒い夜の中で。
冬木さん。それに、美菜。世那。憧子。咲子。
視線が上がらない。
皆の顔を見れない。
──誰かの足音が素早く近づいてきて。
思わず視線を上げると、そこには涙目で右手を振り上げる美菜の姿が。そして「あっ!」という表情で、口元を抑えたり、頭を抱えたりしているメンバー・冬木さんが見えた。
殴られる。
そう思って瞼をギュッと閉じるけど。
トンッ、と胸を軽く叩かれる感触だけを感じた。
「お前さぁ、アイドルじゃなきゃあ、顔ぶん殴ってる……」
美菜の目尻から涙が溢れる。とめどなく。頬に一筋の線を描く。
「……ごめん」
「戻ってこなかったら、どうしようって思った。勝手に消えないでよ!」
「ほんとに、ごめんなさい」
俺は俯いて、謝ることしかできなかった。
誠意を見せたかったが、こうすること以外なにも思いつかなかった。
*
その後で俺は、他のメンバー達にも謝罪した。
笑って流す憧子・咲子と対照的に、世那は低い声で俺に告げた。どこか、美菜よりも怒りを感じさせるような口調で。
「2度とああいうマネはしないって、ここで誓って」
「……分かった。2度とやらない。勝手にいなくなるような真似は、しない」
「ならよろしい」
俺の誓いを受け取った世那は、満足そうに微笑んで、元いた共用スペースへ去っていった。怒られて云うのも何だけど、ほんと、不思議な子だよな。
ところで美菜の取り乱しようは、心配になる程、相当なものだったらしく。
確かにこのグループへの美菜の想いは他4人とは比べものにならない。どこか執着すら感じるほどに────。
俺は半分パニックになっていたとはいえ。美菜には酷な気持ちにさせてしまった。
……改めて、謝りたいな。
「大丈夫か?」
冬木さんの声で、ハッと我に帰った。
「あ、ええ、大丈夫です」
俺たちは今、寮の応接間に2人きりでいる。
皆には悪いが席を外してもらった。
今から俺の過去の話を。おそらく木内さんらがリークしたがっている事を、打ち明ける。
緊張で手汗が滲んでくる。
これは、葬り去ったはずの、消えたほしかった過去だ。
*
話を一通り聴き終えた冬木さんは、見たことないほど悩ましそうに頭を掻きむしりながら、ずっとひとりごちていた。
「えっと……窃盗に暴行に暴走に……なるほどなぁ…………予想してたレベル感を遥かに超えてる……上に言ってもいいのか……1部分ぼかさないとマズイか……
「あの……ほんと、申し訳ないです」
「いや責めてるわけじゃなくてだね、ただ、そう、想像できなかった。ちょっと凄かった。そう、凄かった」
ああ、いつもの堪能な語彙力が喪われている。話が長いことで有名なあの冬木さんが。
心配そうな俺の視線に気がついたのか、冬木さんはしかめ面から表情を和らげる。
「あ、大丈夫!大丈夫。あとは任せて。まあ、少し、伝える情報の取捨選択はさせてくれ」
なんというか、過去の自分を本当に殺したくなる。恥ずかしくて今にも顔から火が出そうだ。
冬木さんにも申し訳ない。迷惑ばかりかけている。いや、それじゃ収まらない。
トラプロの関係者全員に、本当に申し訳ない。場合によっちゃ、きっと凄く迷惑かけるんだから。
……情けないな、俺。何してたんだろな。
*
「みんな、まだいたの……」
共用スペースの電気がついていたので、開けてみたら、他メンバー全員がテーブルを囲んで座っていた。
「お」「もどった」とか言いながら、みな、手を振ったり微笑んだりしてる。
「ねえ
その中で、美菜だけは笑わず、こちらをジッと見据えていた。
「
「……!」
その言葉に心臓が跳ね上がる。何も知られたくないと心が叫んでいる。
「例えば……さっき冬木さんに話したこととか。私たちが席を外さなきゃいけなかった理由は何となく察するけど。それでも……」
「ごめん、話せない。話したくない」
拒絶した。なのに、なんでだろう。心の奥底がほんのり暖かい。みんなのことを信じたい自分がいる。
みんななら受け入れてくれるんじゃないかって、甘えたくなる。
「そっか……そりゃそうだよなぁ」
軽い物言いだが、とても残念そうに困り眉になる美菜。ごめん。
だけど、うらはらな暖かな気持ちを信じて、俺は言葉を紡ぐ。
「でも。それでも、美菜。というかここにいる全員に。勝手なお願いだけど……お願いしたい」
「……?うん」
「俺が言えないこと。この秘密がバレたら終わる。俺、アイドルを続けられなくなるかもしれない」
空気がピリッと変わる。
みな、口をキュッと結ぶか、ポカンと開けるかして、緊張した面持ちになる。
事態が思っている以上に深刻なことを、察した様だ──この感じだと、冬木さんからもまだ何も聞いてないか。
「そ、そんなにヤバいの?」
「悪いけど、ヤバい」
身を乗り出して尋ねる憧子に応えた。お前は様子がおかしいな。なんか、こう、楽しそうじゃないか?
「そう、なんだ……何したんだし」
「言わねっつってんだろ」
「へぇい……」
憧子がつまらなそうに椅子の背もたれに寄りかかる。少しだけ空気が和んだ、気がした。自覚があるのか無いのか、本当にこの子は周りを明るくする才能がある。
俺も少しだけ笑える余裕を取り戻して、続ける。
「さっきの話の続き……もしかしたらこの先、どうにもできずに、報道されるかもしれない。そんでまた、今日みたいに逃げ出したくなる時がくるかもしれない」
「……」
「その時。逃げたくなったら助けてほしい。助けてってちゃんと伝えるから……そばにいて、俺のことを肯定して欲しい。アイドルでいてもいいって、言ってほしい。世間がどれだけ否定しても……」
言葉にするうちに、尻すぼみに声が小さくなっていく。やっぱ自分があまりに図々しい様な気がして、自信がなくなってく。優柔不断だ。
でも、誰がされても、誰が見ても許されない罪を犯してきたし。目の前の彼女達が許す道理なんてあるのか。……そんなのはないだろう。
視線が下がっていく。また、過去の暗闇に心が覆われていく。
「なんだよ、当たり前じゃん。助けるよ」
顔を上げると、美菜が安心した様に笑顔になってた。普段見せないような優しい表情に、少しドキッとする。
「
けどたぶん、それを知った後でも私が君のこと、好きな気持ちは変わらない」
胸の奥に、熱い何かがじわりと込み上げる。
「私にとって、というか私たちにとっての
家族みたいな存在だよ。私たちから見た
──お前は普通じゃない。
──普通に生きて。
──全てはあなたのため。
ゴミ袋に可愛いぬいぐるみをまとめながら言われた、母の言葉を思い出した。
溜まった熱が、胸から決壊する。
涙がこぼれた。
そんなつもりじゃなかったのに。
「あ、あれ?いや、これは、違くて……」
何とか誤魔化そうとするけど、もう遅かった。
「あ、泣いた!!?」
唖然とするメンバーの中で、憧子がここぞとばかりに面白そうに顔を輝かせた。
「おおおおい見るなバカ!」
「レアだレア!減るもんじゃないしええじゃん!」
「ふざけんなプライドがあんだよ!」
「なんそれーくだらねー」
「いやもぉやめてぇええええ」
弱々しい悲鳴をあげながら、止まらない涙を隠して、そっぽを向こうとする。その正面に回り込もうと駆け回る憧子を見て、つられて皆に笑顔が戻っていた。
「泣かせたな」
世那に耳打ちする咲子。
「完全に泣かせたな、見損なったわ」
口に手を覆いながらも聞こえる様な声を出すついでに、世那は美菜を責めるように見つめた。
「へ?はぁ!?アイツが勝手に泣いただけやろが!」
「うーーーわ逆ギレじゃん」
「マジ救えね〜〜」
「違うつってんだろーが!」
美菜が席を立ち、2人の首に腕を絡めて、そのままみんな床に転がっていく。
まるで止まってた時が動き出した様に、俺が出ていく前の様に、バカ笑いの大騒ぎが戻ってくる。
ありがとう。
本当はそう言いたかった。
それを告げられるタイミングは、大宴会の喧騒に消えていった。
*
俺たちがバカ騒ぎをやり直してる、その裏側で。
トラプロのスピード感は凄まじく、その日のうちに冬木さんから報告を受けたプロデューサーの早川さんは、なんと直接、涼文社の常務に電話を入れたらしい。
翌日のうちに涼文社は俺の記事がある再来週号に関する作業をストップさせた。なんて脅したんだろうな……。
まだ雑誌自体刷られていない段階だったらしく、冬木さんの想定通り、部署の独断専行だったようだ。
幸いな事に、俺の記事は目玉スクープとして雑誌の頭を飾るところだったらしく……つまり、一番最後に刷られる予定の記事だったらしい。修正自体はいくらでもできる、とのことだった。
事態は急速に、何事もなく終焉を迎えつつあった。
ただ冬木さんだけは「上に持ってかないといけない」とだけ言って、忙しそうにしていた。そして俺の過去の件については3日間音沙汰ない。
また、マネージャー代理として、美菜を普段担当している河田さんが、自分のことを暫く見てくれることとなった。
俺の過去の件については冬木さんが一番知っている、かつ報告資料も上手く纏まっていたとのことで。なんと、末端のマネージャーであるはずの彼は、取締役会へ駆り出されているのだという。
てな感じで、河田さんが状況を逐一教えてくれた。
というか俺の過去の件、大事じゃないか?俺、どうなっちゃうの?処される?処されるの?
内心ビクビクしながらも、いつも通りに振る舞っていた。
*
それからまた二日が過ぎて、年末特番の生放送で各放送局がしのぎを削る時期に差し掛かる。
冬木さんからはまだ連絡がない。
俺も、今日の後ろまで迫り来ている、スシ詰めのスケジュールに対し、心の準備をしていた。
今のように暇な時間を噛み締めよう。そう決意した矢先、仕事用のスマホがこたつの上で震えてる事に気づいた。
──冬木さんからだ!
さっきの決意など吹き飛んでいった。あらかた、要件は想像できるから。
「お疲れ様です」
「お疲れ様。ごめんごめん、暫く連絡できなくて……というか、今プライベートな時間だけも、いいかな」
「はい。問題ないですし、理解してます。というか、感謝してます。諸々ありがとうございます」
「そう言ってくれると助かるよ。さて、察してるとは思うけど、君のことについて上と話してきた。あ!別段、
慌てたようなその言葉を聞いて、自分が思うよりもずっと心が軽くなる。
「そう言ってくれるとこちらこそ、ていう感じです」
「それは……よかった」
その後、冬木さんはこの1週間で俺に関わる事について上層部が下した方針を事細かに説明してくれた。
①俺の過去の暴露記事が出た時の、ピンポイントな対応策の制定実施。
②二十歳以下の身元不詳の人物に関する、社内人事ルールの制定実施。
③メディアには常に女装させた姿で露出させること。
「3つ目については今とそんな変わんなくないですか?」
「うん、その認識でいい。頭には入れておいてくれれば」
「わかりました」
3つ目のルール化はあくまで予防策という感じなのだろう。
というか、結局、会社の関係者に迷惑かけちゃってるな……。本当に申し訳ない。
「あ、申し訳ない、とか思わないでね」
エスパー!?
冬木さんの、俺の内心を見透かしたような物言いにドキリとする。
「ォォオもって、い、いませんの」
「動揺動揺。隠せてない。お嬢様言葉になってる。ははは……」
「ああそんな」
ひとしきり笑った後、冬木さんは云う。
「とにかく、申し訳ないとか思わなくていい。みんな
2つ目のルールも、社内にそういった規程が無いことが問題って話しかなかったよ。まあ、そう、みんな
……今回も多分、歯車が少し狂っていたら、君も
これは利益追求という最大の目的を抱える株式会社としては無視できない問題だった。2つ目のルールについては、みんなの気持ちと関係ないことだけ、理解してほしい。嫌な言い方になるかもしれないが……身元不詳の人間を雇うリスクを排除した形だよ」
言われるまでもない。むしろ、ここまでしてもらうことに後ろめたさと感謝しかないくらいだ。
「すみません、ありがとうございます……」
「謝罪も感謝もいらないよ、といってもまあ、難しいよね……君の気持ちもわかる。
まあ、ともかく。
これからも僕らは全力で君を守る。
君はこれからも、僕らのアイドルでいてほしいから」
なんだか、肩の荷が降りていく様な。
まだつっかえていた心配事も消えていく様な。
そんな心地がした。
もう俺は独りじゃない。本気でそう思えたからかな。
自然と返事は明るくなった。
「はいもちろん、末長く!」
*
若さは有限だ。きっとアイドルでいられる時間は限られてる。
それまでに、冬木さんたちに何か少しでも恩を返せたら、嬉しいな。
冬木さんたちだけじゃない。
仕事で関わってきた方々。
ファンの方々。
自分の想い出。
大嫌いだった過去の全てに。
愛を伝えることができたらいいな。
*
年末年始の目まぐるしい時期を超えて、みんな少しずつ、一息つける日が生まれてきた。
俺もようやく休めることになり。
「どっかいくの?」
朝、出かけるところを世那に絡まれた。
完全に寝起きなのだろう。なんかいつにも増してぽけ〜としてる感じがする。パジャマ姿だし。そういや、今日は休みが被ってたのか。
共用スペースのケトルで湯を沸かしている。いつも世那は起床1番、インスタントコーヒーを飲むルーティンがある。
「神社で初詣してくる。遅いけど」
「ははは、真面目でくさ」
「笑われる要素あります!?」
「まあまあ、ところでさ。私も今からついてっていい?」
「え、正気?」
「私には正気以外無いよ」
「いやおい、何分待たせる気だ」
──俺が恐れる理由がある。
世那はなんというか、朝が丁寧というかなんていうか、もう、言葉選ばずいうと。
準備がクソほどトロい。
「神社で集合しようぜ。どうせ時間かかるっしょ?」
「いや」
「俺の時間のこと考えてくださらない!?」
「いや、一緒に行くの」
「絡み方が5歳児!!おいてく、置いてくよ?」
「いーーーやーーーーーー」
*
結局2時間後に、2人で寮を出た。
*
「御守りも買うの?」
「悪いかよ」
「いや、真面目でワロタって思って」
「俺が文化嗜むのそんな面白い!?」
正月時から外れてるし、夕暮れ時で、人もすっかりはけてきた境内。その中をほぼ2人でお参りして、他愛無い会話して、そんで売店に来た。
……この女の笑いのツボがいまだによく分からん。
「じゃ、私も買おうかな」
突然乗り気になった世那が選んだのは『仕事守』と………もう一つ。
「あれ?二つ買うの」
「片方は美菜にお土産」
それは『家族守』だった。
「謎チョイス過ぎるだろ……」
「これが、そうでもないんだよな」
世那は御守りを強く握りしめて、少し悲しそうに眉根を顰めた。
「美菜は天涯孤独だから」
*
俺が手を振り解いて出ていった時。
取り乱して泣いていた美菜を
ほんの少しだけ理解できた気がした。
天涯孤独に至るまでの経緯は知らない。
ただ、美菜に何か伝えたくて
スマホの文字を書いては消してを繰り返して。
結局、何も伝えなくて良いと思った。
もう勝手に消えないと、誓ったのだから。
*
*
*
*
*
*
*
──あっという間に、7年が過ぎていった。
少年少女-feat.成人みたいだったはずな俺たちも、全員いい年齢の大人になっていって。
全国ツアーしたり、国立でライブしたり、いろんなバラエティに出たり……そんなピークからの衰退期も経験したりして。
それから、咲子が卒業して。世那が卒業して。新しいメンバーを補填して。いつのまにか憧子がリーダーになって。なんだかんだでグループは続いてて──
──俺が昨日、卒業した。
「トレーナーとしての道もどうだろう」
冬木さんは最後まで、俺を
俺の夢を改めて伝えると、名残惜しそうに頷いていた。正直なところ嬉しかったな。
俺の夢。それは男性向けのリーズナブルな女性的ファッションブランドを立ち上げることだ。
女性的な可愛さに憧れを持つ男性達に。かつての俺のような人たちに、自分自身を認めて生きていて欲しいから。
そのために、これからトラプロで俺は『タレント』の籍を残しつつも、有名服飾デザイナーのアシスタントとしてセカンドキャリアを構築していくつもりだ。
だからこそ一つだけ、決意を確かにするために
けじめを付けたいことがあった。
*
「本当に、いいの?理屈は分かったけど」
本社の応接間にて。冬木さんが、不安そうに俺を見つめて言う。早川さんも「うーん」考え込むような下を向いている。
気持ちはわかるし、俺もこの決断をするために覚悟が必要だった。でも、これはやらなくちゃ。
自分の未来と、そして過去のためにも。
「さっきも言いましたが、自己ブランディングの一環ですから。ゆくゆく出したい自伝ですけど、ラストシーンはこの改名で締めたいんです」
「
早川さんは強くは言わないけど、モヤモヤが落ち着かない様子で俺に問う。
「……確かに、
「光を、沢山見てきました。
自分は孤独ではないことも理解してきました。
だからボクは……俺はもう
絶対に大丈夫です」
アンビバレント とすけ @ranzyo_tos
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