エピローグ 〜とある伯爵令嬢に関するポートレート〜

 俺は、ジャックロード辺境伯家二十三代目当主の次男として誕生した。

 初代当主の肖像画と同じ夜空のような黒髪に、サファイアのように鮮やかな青い瞳を持って産まれてきたため、爺様がことさらに喜んだ。そんな初代様にあやかって、アレキサンダーという名前を付けられた。ちなみに、兄貴は爺様のブロンドと父のエメラルドを持っていたため、婆様が溺愛している。

 事件が発覚したのは、俺が生まれて3日後だったと言う。


『そんな理不尽な事がまかり通るのか!?』


 平身低頭に謝罪を繰り返す老人2人を前に、父は要塞のように広く厳つい城全体に響き渡る声でそう叫んだらしい。その時、俺は母の腕の中で微睡んでいた。だから、これは爺さんの代から仕えている執事長から、物心ついた頃に子守唄がわりに聞かされた事の経緯だ。

 執事長曰く、ジャックロード辺境伯の歴史は遡ると国の創設に関わるくらいに長く深い。故に、他の貴族に比べて家訓やしきたりが多い家だった。

 と言うのも、辺境伯という立場ゆえに軍を率いて戦場に向かう事が日常茶飯事だったため、家や領地を長く空けるぶん色々と増えていったのだという。

 父の代に代わってからは大きな戦は起きてはいないが、それでも小競り合い程度の争いはある。だが、時代にそぐわない家訓やしきたりが目立ってきたため、父の代で一度整理してしまおうと親族会議が行われていた。

 そうして、俺が産まれる前年にようやっと話し合いがまとまり、当主である父が決裁を済ませたところであった。親族会議での取り決めでは、23代目当主が決裁を押した時から効力が発揮される。しかるに、遡ってまでそれらは抹消されないという要項も加えられた。

 俺が産まれた時、可愛い孫たちのために改められた内容を今一度確認しておこうと、爺様が家の歴史書(改訂版)を何気なく読み始めた。そこからは、怒涛の展開であったという。


『なんで次男だったんですか!?』


『相手の初孫が、長女だった時を考えて…』


『そこは考えて、なぜ婚約自体を踏みとどまらない!?あんた自分がそうだったから、息子には苦しい思いはさせないって守ってくれた口で、孫に何してくれてんですか!!』


 【辺境伯家に血縁のある男は、許嫁になった者と婚姻を結ぶまで話をしてはならない。なお、一度結んだ婚約はいかなる理由を以てしても、破棄及び白紙にしてはならない。】

 曰く、そうすれば戦から死なずに帰って来られるという。昔、それを守らなかった者たちは悉く戦死したという。ただ皆一様に妙齢の跡取りがいた事から、あまり深掘りしないでやれ、と父に言われた。

 それならばと婚約自体せずに独身貴族を謳歌していた者たちは、ハニートラップに必ず引っかかり、最後は女に腹を刺されて死ぬという散々な結果だった。ジャックロード家の血縁者は、女を見る目が全く無かった。

 そこで編み出された技が、婚約者候補を何人か選び、一番相性の良い子女とお付き合いを重ね、即日結婚という荒技だったそうだ。父と兄はこれだった。母様と義姉様の本当に同情する眼差しは、おそらく一生忘れない。

この世の理不尽を煮詰めたようなしきたりを、二十二代目当主として権限があった内に、爺様はやらかしたのである。ちなみに、事が発覚するまで両家の爺様たちは忘れていたわけだが、残念ながら当時の爺様たちは酒の勢いもあって念書を作り各家で一部ずつ保管していた。

 よく知恵の回る酒癖の悪い老ぼれ2人のせいで、発覚後に婚約を【無効】にしたくともできなかったことで、四半世紀ぶりにめでたく【いわく付きの婚約】が結ばれてしまったのである。

 ちなみに、フォーリオ伯爵家の爺様は、俺より数ヶ月先に産まれた初孫(ロアナ)に浮かれていた時に発覚したため、辺境伯家の2人目が生まれるまでは孫に近づくことを禁止されていた。格上の家との婚約であったため、こちらは悪あがきをすることができなかった。


『なんて日だ!!』


 辺境伯家の慶事に、フォーリオ伯爵家は喜ばしいと祝いながらも、別の意味で涙していたという。

 ここまでが、執事長からの有難い子守唄である。俺は、洗脳される勢いで三歳まで何かのおりに触れて聴かされてきた。

 そうして、前代未聞の事件を経て四年後。

 四歳の誕生日に、俺は正式に両親から婚約の話をされたのである。もちろん、上記の経緯も包み隠さず。

 その頃の俺は、辺境伯家から騎士という形で王城への登用が約束された為、立派な騎士になるべく早々に教育を受け始めたところだった。

 両親からしてみれば、下手に隠して思春期に入ってからでは手もつけられないほど荒れてしまうのではないか、と考えた末の結論だった。幼いうちから諭していけば、どうにか丸く収まるのではないかと考えたようだ。


『その子が、ボクをまもってくれてるんだね!ボク、がんばるよ!!』


 “王子様とお姫様を護るために頑張るんだぞ”と言われながら励んでいた中で、その話を聞かされた四歳の少年の純粋な言葉に領地の皆で泣いたという。


『肖像画はあるの?』


『何が好き?』


 その日から、俺は婚約者に興味津々だった。

 どうしようもなくなった両親は、俺が五歳になった年に、フォーリオ伯爵夫妻を一度だけ領地に招いてくれた。もちろん、彼女はいない。


『ロアナは、僕が女の子ならこうなっていたんだろうなってくらい僕に似ていますよ』


『おじ様のようにフワフワとした柔らかい茶色の髪の毛なの?』


『そうです、それにフォーリオ家らしい垂れ目です。瞳の色は、妻と同じエメラルドのように美しいんですよ』


『おば様のエメラルドは、金色が混ざり合って美しく煌めいていますね。おじ様の茶色におば様のエメラルドの垂れ目…きっと春の陽だまりのように穏やかで可憐な女の子なんでしょうね』


『親バカが過ぎましたね。あんまりウチの子を美化しないであげてください。アレキサンダー様、本当にお願いします』


『?』


 その後両家で話し合い、ロアナ嬢が十八歳になったら即日籍を入れる事が決まった。

 それまでの期間は、過去の過ちを省みて、お互いがお互いに興味を持ちすぎないように、意識的に接触を避けるとした。肖像画は、もう少し大きくなってからと言うことでお預けとなった。

 せめて文通したいと願ったが、過去にそれで思いが募りすぎて勝手に会いに行った馬鹿がいたので却下された。その帰りに浮かれて落馬して死んだので、本当に馬鹿者である。(お相手の令嬢は、可哀想に修道院に入った)

 最後に、他家からの横槍やいらぬトラブルを回避するために、王家以外にはこの婚約は伏せることになった。こんなもの、もはや呪いだと全員が思ったという。(うちの爺様は、“忌まわしい呪いだ”と苦々しく呟いて父に殴られていた)


※※※


 自分の一人称が【僕】から【俺】に変わった十歳。

 お互い同じ学園に入学が決まり、偶然の接触すら避けるために初めて一枚の肖像画が領地に送られてきた。(彼女にはこの年初めて婚約の話をした、と手紙の中に書いてあった)

 話にしか聞かされず、想像の中でしか会えなかった婚約者の絵姿。俺に絵心が無いばかりに、過去に一度だけ描いてみた想像上の彼女は惨劇だった。その惨劇を綺麗に上塗りしてくれた、精巧で美しい写実だった。

 この絵姿が無かったら、俺はフォーリオ伯爵を頭の中で女装させる一歩手前まで来ていた。


(フォーリオ伯爵には髭があったのに…)


 危うく頭の中のフォーリオ伯爵に女装させようとした想像力の乏しい十歳の男は、会いたくて会いたくてたまらなかった婚約者の肖像画にあっさり一目惚れした。(殿下には、“惚れ直したの間違いだ”と言われた)

 両親は学園内でのロアナ嬢からの接触を心配していたが、フォーリオ伯爵の手紙には“問題はカケラもない!!お任せ下さい!!”と力強く書いてあった。頼もしいと感じる反面、なぜか失恋した気分だった。

 そうして、俺たちの学園生活が始まった。


(今日も可愛い)


 学園側には事情が事情なだけにあらかじめ説明してあったので、クラスが同じになることは一度もなかった。

 うちの悪しきしきたりは有名だったようで、教師陣が一致団結し、彼女と廊下ですれ違うことすらなかった。大人たちの本気に、中等部の時は流石に心が折れそうになった。(殿下とローズガーデン嬢が必死に慰めてくれた。一生の忠誠を誓った)

 学園で遠目から見るしかできない婚約者は、年々輝いていった。

 殿下には“不思議なんだが、目移りはしないものなのか?普通ここまでされたら、興味が薄れたりするだろう?”と聞かれたことがあるが、逆に不思議だった。


『殿下は、王子を辞めろと言われて辞められますか?』


 “君たちは…温度差で風邪ひくんじゃないかな?”と殿下とローズガーデン嬢に泣かれた。どういう事だったのか、結婚した後もいまだに分からないでいる。(妻!にその話をしたら、そっと目を逸らされた)


 高等部に上がった後も、俺たちに接触は無いまま二回目の春がきた。

 彼女の親友であるハーネット伯爵令嬢のように生徒会に入ってくれていれば、声くらい聞けたかもしれない。

 さすがフォーリオ伯爵夫妻が太鼓判を押す娘、面倒くさそうな事にはカケラも寄りつかない。


(君はハーネット嬢とのランチにしか興味がないのか?その狭過ぎる視野に俺を入れてくれ。あと一年で結婚できるんだが?)


 そんな事を考えていたら、なぜか二度目の失恋をした気分になった。

 そんなふうに日々を恙無(つつがな)く過ごし、高等部最後の学年に上がった。その日から俺は、大好きな秋をいつも以上にワクワクしながら待った。その頃にはフォーリオ伯爵家との交流が復活していた。

 娘がそんな状態にあるので、夫妻も娘に倣ってあの日以来顔を合わせていなかった。他にも俺と婚姻したいと願い出る家がたくさん出入りしていたため、特に怪しまれる事もなかった。着実に、事は進められていた。

 そうして、待ちに待った彼女の十八歳の誕生日がやってきた。

 殿下たちと城の一角で、本人不在であるが盛大に祝った。その誕生日パーティーには、俺の両親、兄夫婦、爺婆様、両陛下と侯爵夫妻まで揃った。みんなが泣いていたが、俺だけは嬉しくて嬉しくて始終笑顔で浮かれていた。

 その二日後、俺の苗字が彼女とお揃いになった。

 もう我慢する必要なんかどこにもない。

 彼女と唯一被っている授業は、隔週の週末に行われる眠た過ぎる2時間授業だけだった。授業前は集中できなくなってしまうから、終わってからゆっくり話をしに行こう。いつも通り殿下と二時間たっぷり眠った後で爽やかに目覚めた俺は、変なところは無いか殿下に身だしなみを確認した後、すぐさま彼女を目で探した。(次期近衛騎士として、周りを警戒するのは当たり前のことである)


(見つけた)


 触れてみたくてたまらなかった、柔らかそうなフワフワの茶色の髪の毛。つむじすらも愛おしい。

 毎日毎日見ていた彼女が、すぐそこにいる。今日から彼女の隣は、俺のものだ。

 逸る気持ちをそのままに、ハーネット嬢から取り上げるように、後ろから抱き上げていた。想像以上に、彼女はどこもかしこも柔らかかった。



「殿下、俺の嫁です」



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確かに、私たちは婚約しておりますが。 くくり @sinkover88

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