第4話

 ロビーを走り抜ける。

 オレはユイの手を引き、敵であり、危害を加えようとしていることが明確となったスレアから逃げる。

 この病院のロビーの先には、勝手口がある。そこから外に出て、街のどこかで身を潜めればいい。

 だが、勝手口がもうすぐ目の前にきたところで、


凍れフリーレン


 スレアの声が響いた。

 聞きなれない言葉に応じるようにして、目の前の扉に異変が起きた。


 扉の枠が、白くなっていく。

 氷だった。扉が凍りつき、扉と枠の隙間を塞いでいく。


 あれでは、開けることができない。

 スレアは、オレたちを病院に閉じ込めるつもりなのか。


 だが、ユイは足を止めなかった。

「このまま走って!」


 声をかけ、そして目の前の凍りついた扉に手をかざした。


熱をフィーヴィア


 ユイもまた、聞きなれない言葉を発した。

 すでに若緑色に輝く手を、前にかざす。


 扉が、今度は水蒸気で白く曇った。

 扉の枠を覆うように張られた氷が、溶けている。


「何を言ったんだ?」

 オレは扉を開けながら、ユイに聞く。

「詠唱。こうしたほうが、早く魔法がかかるから」

「でも、スレアも似たような言葉を吐いて、氷を出した」

「うん、また魔法を使ってくるよ」


 オレとユイは通りに出た。オレは走りながら、どこか隠れられる場所を探して目を光らせる。


 ――スレアの追いかける足音を聞きながら。


 急げ。急がないと、ユイが危ない。

 路地が目についた。人がふたり通るので精一杯な、細い路地だ。


「ユイ、あそこに路地がある。入ったら、スレアに魔法をしかけるんだ。火でも氷の壁でも何でもいいから」

 牽制すれば、スレアの足は鈍る。

 今は神隠しの魔法がかかっていて、ユイが魔法を使っても見る人はいない。

「うん、やってみる」

「よし、じゃあ……えっ?」

 どす、と足元から何か鋭いものが刺さる音がして、オレは声が出せなくなった。

 左足から力が抜ける。よろめき、立ち直ることもできないまま、オレは倒れ、煉瓦通りに体を打ちつけた。


「いっ……」


 左足の脹脛に激痛が走る。転んで擦りむいたときの痛みと違う。

 見ると、脹脛に刃物が刺さっていた。ナイフだ。血が、肉と氷の刃の間からにじんで、ズボンに赤い染みができる。


「コリスくん!」

 ユイが、足を止めた。倒れたオレの元にかがみこむ。

「ユイ、止ま……るな」

 足が断ち切れそうな痛みに耐えながら、オレは言う。

「言ったでしょう。私に用事があるのはユイ。コリスはどうでもいい」

 スレアが追いついてきて、声を飛ばした。

 青い瞳が、冷たくオレを見下ろしていた。


「スレアさんが……やったの?」

 ユイが、怯えて彼女の目を見上げる。


「私以外に誰がいるの?」

 スレアの瞳が鋭く光る。


「どうして? コリスくんともあんなに仲良くしてたのに」

 3年前、オレとスレアは、ウィルと一緒に街を歩いた。

 ウィルと付き合い出したスレアは、オレにとって、新しい女の友達が増えたようなものだった。

 スレアもスレアで、オレに笑みを向けてきた。ウィルについていろいろ教えるオレのことを、本当の弟みたいと言ったりもした。


 そのスレアが、オレを傷つけた。


「ねえ、答えてよ」

 ユイは、スレアに迫る勢いだ。

 いけない。

 このままだと、ユイがスレアに捕らわれる。何をされるか、わかったものではない。

 殺されることだって。


 焦り、オレはふと、思った。

 ――3年前、オレはウィルを見殺しにした。

 瓦礫の破片に体を貫かれたオレに、ウィルは魔法をかけて命をつないでくれた。それなのにオレは、振り返りもせずにその場から逃げた。


 慕っていた、大事な年上の友達を見捨てておいて……

 今度は、ユイまで見殺しにするのか。


 オレは脹脛に刺さるナイフの柄を握った。

「ああああああ!」

 激しくなった痛みを叫ぶことで耐え、ナイフを引き抜いた。

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