第2話

 励ましの言葉を、かけるべきなのだろう。

 あるいは、ソフィアさんは大丈夫だと、少しでも安心できる言葉を。

 でも、オレは黙っていた。


「コリスくん、寒くない?」

「……」


 ユイに聞かれても、オレは周囲を警戒するふりをして黙っている。


「ごめんね、こんなことに巻きこんで。怖いよね」

「……」


 小さい頃ならば、笑ってメーワクじゃないよと言っていただろう。一番怖いのはユイのほうじゃないかと。

 でも、今のオレは答えない。


「こうして隣同士で歩くの、久しぶりだね。前は一緒にいるのが当たり前だったのに」

「……」



 オレたちは、煉瓦造りの古い橋にさしかかった。この先は、オレの家がある教会だ。

 小さい頃から、オレはこの橋をユイや、ユイの兄と一緒に行き来してきた。この下の川だって、夏には足を踏み入れて互いに水をかけあったり、魚を探したりした。

 だが今では、雪のまじる風が強く吹きつけてくる。川原は雪に覆われ、流れの滞った場所は凍りついているくらいだ。


「今年の春だね、成人の儀」


 怖いのを紛らわそうとしているのか、ユイがそんなことを言い始める。


「準備、ちゃんと進んでる? 私、ちゃんと受けるつもりだから」


 成人の儀、このミササギの街で13歳を迎えた子供が、この先の教会で受ける通過儀礼だ。

 かつて魔法が栄えていた頃、大人として、魔力を正しく災いなく使える者になるための儀礼を行っていた名残。

 魔法が失われた今の時代でも大事にされている街のしきたり。


オレの母親が教会で牧師をしていて、毎年13歳になった子に祝福の祈りを捧げている。


 オレもユイも、13歳になった。春を迎えると、オレの母から祝福を受けることになる。

 小さなころから、ずっと楽しみにしてきた。

 毎年、成人の儀を終えてこの橋を振り返ることなく渡っていく年上の子たちに憧れていたし、あと何度春を迎えれば彼らみたいになれるか数えもした。


 ユイの兄が13歳を迎えたときも、凛々しかった。


 ……だけど。

「ごめん、今はそれどころじゃない。ユイの家を襲った奴が近くにいるかもしれないし」

 オレは警戒するふりをして、冷たく言ってのける。

「そうだね、ごめん」

「あともうちょっとだから、がんばって」

 オレは言ってから、雪まじりの冷たい風に体を震わせた。

 寒さに必死で耐えているのに、容赦なく、強い風が吹きつけてくる。

「コリスくん、大丈夫? 震えているよ」

「平気だよ。もうすぐ家に着くんだ」

 でも、体の震えが止まらなかった。指先がしびれてきたし、耳が痛い。

 コートをユイに着せていて、自分は長袖シャツ1枚だから、体の芯まで凍りついてしまいそうだ。

 それでも、オレはユイの傷を押さえて、前に進んでいく。


 ユイのほうが大事だ。

 オレなんかより。


 ……そのとき、


 目の前で、何かが光った。

 ユイが、右手を前に掲げている。その手先が、春の若葉のような光を放っていた。

 ユイは、その右手をオレの胸元にかざす。

 体の震えが止まった。指先のしびれも、耳の痛みも消える。春の日差しの下にいるように、体が芯からぽかぽか温かくなった。


「魔法、使ったな」

「寒そうだから。それにここだと、誰も見てないよ」


 ミササギは、かつて魔法が盛んだった時代の、魔法が最も栄えた街だ。歴史を振り返ったら、この国どころか、世界に影響を及ぼした魔法使いだってたくさんいる。街灯も、かつてはガスではなく、魔力で街を照らしていた。


 だが、何百年も前に魔法は衰退した。もはや魔法が失われ、使える者はいないと誰もが信じている。


 例外は、オレのとなりにいるこいつ、ユイだ。

 体を温めるだけではない。火を起こすことや、水を出すことだってできる。ユイの兄、ウィルも同じで、何度か魔法を見せてもらったことがある。


 でも、3年前に彼が死んで、魔力を持つのはこの街で唯一この子だけになった。

 ユイは、魔法が失われた街の、最後の魔法使いだ。


「どうして、オレなんかに使うんだ。魔法を使えば、この傷だってすぐに治るんだろ」

「だって、街の人たちに見られたから。すぐに傷が治って普通にしてたら、みんながびっくりしちゃうよ」


 ユイはごまかすように笑う。


「こんなに血が出ているのに」

「私が魔法を使えるのは、ほかの人たちには秘密」


 ユイは両親から、魔力を持つことは誰にも話してはいけないと言いつけられている。魔力を持つことが悪い人に知られて、利用されてはいけないからと。

 だからオレも、ユイの魔法のことは誰にも話していない。父さんや母さんにも。


「コリスくんのお父さんだから、大丈夫だよ。私が木から落ちて怪我したときだって、あの人が手当てしてくれたし」

「だけど」

「あ、ナトリさんだ。ハンナさんもいる」

 ユイの視線の先に、オレの両親がいた。

 慌てた様子で、オレたちのほうへと向かっている。

「ユイ! 無事だったのか」

 オレの父さん、ナトリ・クジョウが声をかけてくる。

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