第4話
「相方の戦士が消えたって?」
弓使いの女は黙って頷く。相方の戦士は、以前見かけたあの男だろう。新入りの冒険者が消える、なんてことはこの町じゃよくあることで、大して驚きもしなかった。
「どうか、助けてくれませんか?」
彼女はもう一度懇願し、頭を下げる。これを見せられてしまっては、全て忘れて町を離れなさい、とは言えなかった。
「....君、名前は?」
「ミシャ・リトールと言います」
ミシャは顔を上げてまっすぐに僕の目を見つめる。本当に、とてもまっすぐな目だ。耐えきれず、僕はまた目を逸らす。逸らした先の業背負いは大きなあくびをしていた。
「どうして、僕に頼むんだ?」
目を合わせられないまま話を続けた。ジョッキの中の水面に浮かぶ僕の顔は、情けない顔をしていた。
「今日の朝、あなたのことを見かけました。あのときあの状況で、あなただけが笑っていなかった....あなたは他の人とは違うって思ったんです」
「無愛想な人とは思わなかったの?」
「それでも、他の人に比べたらまだ良いんです」
いつも笑顔で隙あらば売りつけようとする人と、無表情で目を逸らす人。頼りたくない人と、頼りない人。なるほどつまりは消去法か、そう思うと水面の僕は自嘲的に口角を上げた。
「それと、宿に帰ると書き置きがあったんです」
ミシャはポケットから丁寧に折り畳まれた紙を取り出し、机に置いて広げた。紙には荒々しい文字が広がっていた。
『朝に出会った人たちに大人な場所を紹介されたんだ。夜にしか行けないらしいから、それまで町をぶらついてくる』
「大人な場所か....」
朝に話しかけていた奴らは、新入りで右も左も分からないような人間に、親切心で娼館とかを教えるようなやつではない。
「となると....」
思い当たる場所を思い浮かべたとき、僕は自然と目線が受付嬢の方へと動いた。受付嬢はこちらの視線に気づくと、ニコリとした笑顔で手を振ってきた。
「なにか思い当たる場所があるんですか?」
ミシャに目を合わせず、そのまま俯いて頭を抱える。あそこだよな、多分というか絶対あそこしかないよな。
「はぁ....」
ため息が水面を揺らす。もう一度あそこに行くというのが僕の身体を重くさせていた。チラリとミシャの方を見る。まっすぐな目が僕の目線としっかりと合わせ、期待している顔に思わず声が出そうになる。
「その....相方の名前は?」
「えっと、グラジア・ニーヴァです」
「まだ夜まで時間があるし、一緒に探してあげるよ」
途端にミシャの顔が明るくなる。こんな町には似つかわしくないくらいに明るく、純粋な表情だ。行きたくないから探すという僕の澱んだ理由が、より一層汚く感じた。
「ありがとうございます!!」
ミシャは立ち上がって頭を下げる。
「早速探しに行こうか」
そう言うとミシャは力強い足取りで出口へと向かう。この一連のやり取りを傍観していた業背負いはただもう一度あくびをするのみだった。
「君にとっても悪い話じゃないと思うよ?」
「....と言うと?」
「もしかしたらキース・ツヴァルの情報、更にもしかするとキース本人に会えるかもしれない」
業背負いは何も喋らず、ただ僕の顔をじっと見つめる。ミシャの顔とは全く違う、暗がりそのものを固めたような顔だ。
「判断はそっちに任せるよ、僕たちは先に行ってるから」
ギルド酒場の活気ある賑わいと、彼の目線から逃れようと出口に向かったとき、業背負いの呟きが聞こえた。
「楽しそうだな」
その言葉は独り言なのか、僕に向けた皮肉なのか、分からないし分かりたくない。僕は何も答えず出口へと向かった。足早になっていたと気づくのは、ドアノブに手をかけたときだった。
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結果から言えば惨敗だった。グラジアの情報もなく、キースの情報もなく、ただミシャと業背負いと一緒に市場巡りしただけだった。会話という会話もなく、せいぜいこの町の歴史を、それも独り言っぽく言っただけだった。
夕焼けが山にかかる頃、件の建物に向かおうと足を早めたときだった。
「ディランさん? ディランさんじゃないですか!」
少々小汚い身なりの若い男が駆け寄ってくる。服はヨレヨレで所々穴が空いている箇所も見られたが、それでも朗らかな笑みと伸ばした背筋は崩すことなく、好青年という言葉が真っ先に出てくる男だった。
「カーマン君だっけ? 最近見てなかったけど元気にしてた?」
「おかげさまで元気です。服はこんなですけど、問題なく暮らせてます」
よく見ると手や頬に煤が付いている。左手には赤い紐の小袋が握られていた。ただの麻の小袋には勿体無いと思うほどの綺麗な赤い紐だった。
「これ、今まで貯めてきたお金が入ってるんです。このお金で遠いところに行って、心機一転新しい人生を歩むんです!」
誇らしげに胸を張る彼の袋は、その言葉に反してさほど膨らんではいなかった。
「あとどれだけ必要なの?」
「そうですねえ、銀貨15枚ってところですかね」
僕はポケットから袋を取り出して、銀貨15枚を彼に分け与えてあげた。彼は目を丸くして、銀貨と僕を交互に見やった。
「え、そんな、その、いいんですか!?」
「いいよ別に、僕にはそこまで使い道がないし、誰かの助けになるなら結構だよ」
気持ちのいいセリフを吐くと、彼は赤い紐をキツく結び、何度もお礼を言いながら曲がり角へ消えた。振り向くと、サシャが唖然と僕の顔を見ていた。
「どうかした?」
「....銀貨15枚って相当高い額ですよ? どうしてそれを易々と....」
「あー....僕も貯めてるんだよ」
貯めている、というよりかは貯まっているというのが正しかった。
「まあ、そんなことより例の建物に行こう、グラジア君が見つかるかもしれない」
何も知らない若者に自分の過去をひけらかすのは嫌な奴の特徴だということは、シミラスが証明していた。話題を逸らした先に足を向けて2人の前を歩こうとしたとき、業背負いが声をかけた。
「さっきの奴、カーマンと言ったか?」
「....怨みを買うような人には見えないけど」
「ご丁寧に売りつけるような奴もいない」
僕と彼は同時に振り向き、ミシャがそれに反応して同じく振り向いた。カーマンの消えた曲がり角は、ギャンブル帰りの嘆きの冒険者を吐き出していた。
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ここまで来ると覚悟が決まると言えばいいのか、これから起こりうる未来の不安はあれど、逃れようとあれこれ考えるのは無くなっていた。だが代わりに、いま隣にいるミシャに対して不釣り合いな心配を抱いていた。
さながら自分に向けて再確認するかのように、ミシャに問いかけた。
「本当に行くの?」
唐突な質問に足を止めたミシャ。何を言っているのか分からないような表情だった。
「なんでですか?」
「いや、なんていうか、これから向かう先で、本当に、冗談抜きで、人生を歪ませるような出来事が起こるかもしれないんだ。正直、男1人を連れて帰るくらいなら僕だけでもできる、だからーー」
「だから何もせず逃げろっていうんですか?」
突然の返答に今度は僕が動きを止めた。ミシャは僕に近寄り、真っ直ぐに僕を見る。本当に真っ直ぐな目だ。
「あなたが私を心配してくれてるのは分かります。けど、もしここで逃げたら、私が私を許せなくなるんです。あのときアイツを置いて逃げてしまった自分を、私は全力で否定したい」
思ったより声が出たのか、冗談混じりに笑みを浮かべて恥ずかしそうに頭を掻いた。
「それに、私結構強いんです! レベルはそこまでだけど、弓とナイフの扱いはおばあちゃん以外誰にも負けないと思っています! あとアイツはああ見えて小心者で、あ、根はいい奴なんですけどね、いつも勇み足で突っ込んでいくから、私が後ろからサポートしないとやっていけないっていうか....」
どうして僕は町のど真ん中で10個下の女の子の惚気話を聞いてるんだろう。彼女の後ろに立つ業背負いは意外にも笑っていた。彼は恋愛系が好きなんだろうか? 後でそういう本でも紹介してみよう。
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もうすぐ建物に着く時まで、ミシャは顔を手で覆い隠していた。
「あのー....」
「大丈夫、本人に会っても君がグラジア君のことを勇敢で、危なっかしくて、見てられなくて、たまにかっこよくて、たまに可愛らしい人だと言ってたなんて、絶対に、何があっても、決して、公言しない」
「あぁー....」
あの暴走具合だといつか自爆するだろうな、と過去の発言を後悔するミシャを横目に思う。
「ほら、顔あげて、もうすぐ着くから」
自分自身のこの発言で僕の気分も落ち込んでいく。このままミシャの話を聞いて僕も惚気ていたかった。件の建物に近づくにつれ、静寂を湛える夜闇が酒気混じりの賑やかな燭光に変わる。野良犬の遠吠えが、冒険者たちの乾杯に変わる。飢え死にしそうな痩せ細った浮浪者から腹を空かせた冒険者に変わる。
「え....ここって」
赤面していた可愛らしい顔が、困惑の花を咲かせる。
「そう、冒険者ギルド....夜のね」
日中とは違い、入り口のそばには強面のお兄さんが鎮座していた。寒空の下、中の温もりが羨ましいのか、舌打ちしながら窓から中の様子をチラチラと見やっていた。
彼は僕たちに気づくなり、手を出して何かを出すよう催促した。僕のことは知っているだろうに、いや知っているからこそ、わざわざそれを出すよう催促した。
「....フン」
彼は提出された僕の冒険者カードを見て、投げ捨て、踏みにじった。
「悪いけど、お前みたいな低レベルの奴が入れるような場所じゃねえの。泥水啜って這いつくばって人に威張れるようなレベルになってから出直してきな、低能ども」
「受付嬢の紹介なんだ、入れてくれない?」
彼はまた舌打ちをして近くの窓を叩いた。
「突然だけど、受付嬢がどうやってお金を稼いでいるか知ってるかい?」
「え、いや、分かんないです」
本日2回目の突然の質問に、ミシャは流石に答えられなかった。
「クエストの依頼金の何割かを仲介料として貰う、それだけだよ」
だけど報酬が割合な分、高額のクエストが来ないような町では副業もやっている人もいる。そこまで言った時、彼女はどうしてこの質問をしてきたのか理解したようで、再び赤面させた。肉でも置いたら焼けそうなくらいに熱のこもった赤だった。
「ディランさん! 来るなら言ってくださいよ!」
窓が開いて第一声、受付嬢が現れる。
その女はウサギの耳のカチューシャを着けていた。その女は耳まで真っ赤に染まっていた。
若娘よ、ここはそういう場所なんだ。
その男、業背負い。 @2007855
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