第3話

「お前には関係のないことだ」


 それでこの話を終わりにしたくなかった。再び歩き始める業背負いを早歩きで追いかけ、とにかく質問を投げかける。


 「本名はなんなんだ?」

 「役職は?」

 「出身は?」

 「何しにここへ?」


 それでも彼は答えません。分岐路に差し掛かり、左を選ぶ姿を見ながら、どうしたら話を聞いてくれるかを思案する。


 こういった時は、自分はいつもどうやって話を聞いていたかを考える。そうして出てきたのは、シミラスの酒場での一連。そう、無理矢理にでも聞かせる。


 果たしてそれが可能なのか、シミラスみたいに赤くなっておしまい、なんてことにはならないだろうか。頭はそう考えていても、身体はすでに彼の目の前に飛び出ようとしていた。


 まあいいか、死んでも。


 「じゃあ、大事な話をする、その代わり君のことを教えてくれ」


 「美味しい話は聞き飽きてる」


 「大事な話だ、美味しくはない」


 意外と常識的なところがあるのか、剣は抜かずに話を聞いてくれる様子だった。


 「その....右に曲がった方が近い」


 森の中、鳥の囀りや葉の揺れる音に混じって、男の舌打ちが辺りに響いた。

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 受付嬢のお金の稼ぎ方は単純だ。依頼主からの報酬の何割かを仲介料として貰う、それだけだ。割合な分、高額のクエストが来ないような町では副業もやっている人もいる。


 「あの人、死んじゃったんですか?」


 受付嬢がシミラスの冒険者カードを見るなり聞いてくる。困惑や憔悴という感じではなく、期待や安堵といった感情が赤縁メガネ越しの目から伝わってくる。


 「運が悪かったんだろうね、誰かの仕掛けた罠に引っかかって、そこに白狼がやってきたって感じだったよ」


 大きく息を吸って、吐く。そのため息は、やはり安堵のものだった。


 「こんな人の冒険者カードなんて持ってこなくても良かったんですよ?」


 「そういうわけにもいかないでしょ。一応、パーティーの組んだ冒険者が死んだら、生き残りがカードを持って帰る決まりもあるし」


 「けどシミラスさんは持ってきませんでしたよ?」


 受付嬢は顔を近づけて耳を貸すようジェスチャーする。


 「シミラスに関わった女性の人、全員廃人みたいな状態で裏路地に捨てられて亡くなったみたいなんですよ。魔法使いのメルナさん、戦士のハイリンさん、あとヨジャネさん」


 その言葉に、僕は思わず振り返って1つのテーブルを見つめる。白いローブを着た男が、大して美味しくもなさそうにステーキを食べている。


 「ディランさん?」


 受付嬢はカウンターから少し身を乗り出し、僕の表情を伺う。その時少し、本当に少し、彼女の胸に目が吸い寄せられた。


 「とにかく、クエストお疲れ様でした。報酬の銅貨20枚です」


 麻紐で結ばれた小袋を両手で、包むようにして手渡しする。それはどんなものも丁重に扱うプロ意識などではなく、僕の手を掴む口実に過ぎなかった。もはやその行為に遠慮はない。


 「ディランさん、いつも疲れた顔してますよ? 私に出来ることなら、いつでも承りますから....もちろん、夜の私にしか出来ないことでも....ね?」


 艶かしく動く受付嬢の白い手は、袋を掴む僕の手を、袋を掴むように軽く撫で、その手に導かれる僕の視線は、彼女の目に留まった。彼女の黒い目と、僕の薄茶色の目の間に挟まるガラスは、情欲を映していた。


 「あなたも知ってるはずだ、僕はレベル10なんだ。あそこに行ったって何もなりゃしない」


 できるだけ視線を誘導されないように、小袋を見つめながら言う。いつものことだ、そう言い聞かせて、業背負いのいるテーブルへと向かう。


 振り返りざま、ちらりと見えた彼女の顔は無表情だった。やはり女は恐ろしい。

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 白いローブはやはり目立つのか、それとも新入りを歓迎するためか、はたまたどこかで見た顔だと感じているのか、目線も声も、この男に集まっていた。


 「その肉、口に合わなかったか?」


 僕が彼の対面に座ると、それは雑多な賑わいとして霧散した。当の本人は何も気にせず、目の前に置かれている瓶を見つめていた。


 「飲んだのか?」


 僕の顔を見てどういうものか察したのか、瓶を僕に差し出して、ジョッキの中の液体を口に流し入れる。赤くて半透明な液体が並々入ったすりガラスの瓶。ラベルにはっきりとファストレベリングと記されている。


 「気持ち悪いおっさんがゴマスリ顔で置いてったよ、睨んでったら舌打ちしてどっか行きやがった」


 濡れた唇を袖で拭き、青い眼が僕の顔とファストレベリングを交互に見る。


 「その....怒らないんだな」


 「誰が?」


 「君が、大事なことって言われたのが近道だったこと」


 「それよりいい方法を思いついたからな」


 「というと?」


 テーブルに肘をつけ、椅子を足で動かして顔を近づける。


 「この町とこの瓶、それとお前について説明してくれたら、質問に答えてやっても良い、ギブアンドテイクだ」


 最近の取引相手がシミラスだったせいか、とても容易に聞こえた。だからなのか、僕の口は観光客に必死に観光スポットを説明するみたいに軽かった。


 この瓶は美味い話の塊だということ。飲んでいる人のほとんどが、レベルじゃなく全能感目当てに使っていること。裏路地の様々なところで売買されていること。


 この町は哀れな人達の塊だということ。住んでいる人のほとんどが、全能感目当てに住んでいること。裏路地の様々なところで転がっていること。


 「それで、僕の名前はディラン。ディラン・デュードランド。レベル10の剣士だ。」


 「レベル10?」


 ポケットからカードを取り出して、彼に向けて差し出す。珍しく顔を歪めた業背負いは、僕のレベルを確認すると鼻で笑ってカードを返した。


 「お前、珍しいな」


 それだけ言って彼は笑った。鼻じゃなく、嘲笑だ。もう嘲笑は慣れているとは思っていた、はずなのに、唇を噛んでいた。


 「僕のことはもう良いだろ、次は君の番だ」


 何気に笑う顔を見るのは初めてかもしれない、そう思った時には、彼はローブの中からカードを取り出した。


 <業背負い レベル12>


 「....なあ、まさかとは思うが」


 言いかけた瞬間、またカードが現れた。


 <業背負い レベル12>


 また一つ。また一つと、業背負いはローブの中からカードを取り出す。名前の欄はどれも同じ。


 <業背負い レベル12>


 「....本名じゃないよな?」


 ようやくまさかを言えた。


 「どれだけカードを作り直してもこうなった」


 まさか無視されるなんて思わなかった。


 「昔にダンジョンに潜って見つけた大剣が、俺の名前を捻り変えたんだ」


 業背負いが大剣をさする。神秘的で、それでいて禍々しい。神が人間の感情を具現化して作ったと言われても信じてしまいそうな雰囲気がある。


 「その大剣に....呪われたのか?」


 呪いの装備は邪教の装備と、前に僧侶から聞いたことがある。邪神崇拝の儀式の末に生まれた武器、一度手にしたら死んでも離れない、噂は幾百にも及ぶが、この男を目の前にするとそれが全て真実のように聞こえる。


 「死んでも離れない、だったか? そんな噂があるらしいが、あれは嘘だ」


 男は嘲笑する。笑みを向けるはたった1人、彼自身だ。


 「そもそも死なせちゃくれない」


 僕は何と言えば良いか分からず、黙って次の質問を考えた。彼も反応は求めてないという表情をしている。


 「呪いを解く方法はあるの?」


 「あるにはある、らしい」


 らしい。その言葉には失望、呆れ、疲弊が含まれているように聞こえた。


 「自身の背負うべき業、それから逃げ仰る奴を捕まえて、元の持ち主に背負わせること、らしい」


 「そのために君は、業を背負っているってこと?」


 彼は椅子の背もたれにもたれかかり、天を仰いでため息をつく。長年の熱気と油が染み付いた木目が、こちらを見つめていた。


 「シミラス・シェビラス。アイツは色んな女に手を出して恨まれていた。戦士、魔法使い、僧侶....」


 受付嬢の言葉を思い出す。裏路地のどこかに傷物として捨てられて、蝿が集っても放置されるヨジャネの姿。ヨジャネ、その名前で芋づる式にあの光景を思い出す。大剣を持った男の後ろを炎が取り囲む光景。


 「そういえば、どうして魔法が使えるんだ?」


 「自分の未練を精算してくれる人に協力したいんじゃないか?」


 彼は肩をすくめた、ように見えた。名前を呼んだらその人の使っていたスキルが使えるということなんだろう。それだけ聞くと便利そうだ。


 「便利そうだな、なんて思っただろ?」


 「それだけ聞くとね」


 「お前は1年中、1日中、耳元で恨みつらみを囁かれたことはあるのか?」


 「....なんでそんなに隈が濃いのかやっと分かったよ」


 彼はもう一度、ジョッキを掴む。彼の後ろの窓の夕焼けが、白のローブをまた赤く染める。


 「俺は逃げる奴を許さない。ただ本当に許せないのは、逃げて逃げて必死に身体を動かしたからって、それを頑張りだなんだとみなして受け入れる逃げ得の世界だ。」


 逃げ得の世界。僕の頭にはその言葉が妙に印象に残った。今の僕には、臆病者が損をする世界にしか見えないから。


 だから、聞いてみたかった。


 「もし、もしもさ」


 もしも、僕が。


 「僕が人殺しだったら、君は僕を裁いてくれるのか?」


 一瞬、彼の顔が固まった。次第に口角が上がって、堪えきれなくなったのかそのまま笑い出した。


 「裁く? ハッ、お前俺のことを正義の味方とでも思ってるのか? こんなことやってるのは使命感とかそんな大層な理由じゃない。本当に、ただゆっくりと眠りたいだけだ。」


 何も言えなかった。僕にとってこの状況が、ただむず痒くて気持ち悪くてしょうがなかった。


 「あの....すいません」


 その状況を変えたのは、横から出てきた思いもよらない人物。あのとき外へ逃げ出した弓使いの女の子だった。


 「助けて、くれませんか?」

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