雅客

@kmc

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名は体を表すと言うが、案外その通りかもしれない。


私が──小雨こさめ みやびが生まれてから一番多くかけられた言葉は、「名前と印象が違うね」である。流石に一番は言い過ぎかもしれないが、とにかく耳にタコができるくらいには聞いてきた。


というのも、私はとにかく何かにつけて体を動かしたがる人種だったのだ。幼少小学中学と、比肩するものが居ないほどの超アウトドア派で、「休」と聞けば次に続くのが「時間」だろうが「日」だろうがお構いなしに野外に転がり出てセルフ運動会を繰り広げていた。

教室の隅で物思いに耽ける文学少女などは、知らない言葉を操る異国の住人くらい遠い存在のように感じていた。

小雨 雅。

あの頃国語の成績は万年2だった。

風雅と文壇をこよなく愛していそうな名前を貰っていたものの、私にとって文章は眠りを誘うただの無味な文字列だった。




ではなぜ『名は体』なのかといえば、その日頃の私の部屋には、数多の文人雅客たちが残した大量の書物が所狭しとならべられていたからである。


転機が訪れたのはいつだったか。

私はそこで思索の海からゆらりと浮上する感覚を得た。

…橙色の陽光が自室の内装を照らし出している。手元で開いたままの読みかけの本が、西日にあたってひどく黄ばんで古めかしく見えた。いつの間にか夕暮れになっていたようだ。


そうだ。転機はこの本だった。

私は手元の読みかけの本に目を落とす。

「花のむくろ」──少女二人の別れを描く短編小説集。

情緒ある筆致と豊かな比喩表現。人物の繊細な感情描写に、起伏は穏やかなもののどこか寂しさのある作劇。

無論、以前の私とこのような純文学的性格を持つ文章とはとことん相性が悪かった。本来であれば読み始めて3行でギブアップ、深い夢の世界へ旅立っていただろう。


ただ、人の趣向はきっかけひとつで大きく変わるものである。


きっかけと言っても私が花の骸を読み切ったそこに衝撃的なドラマなどはなかった。

偶然夏休みの読書感想文の参考図書を買うために本屋に行き、偶然平積みされていた花の骸を手に取り、ちょうどあの時は失恋したばかりだったので、傷心にその寂しい文章が染み込んだという、ただそれだけだ。

兎にも角にもそうして、いわゆる「泣かせストーリー」ではない花の骸にとんでもなく感情移入し三日三晩枕を濡らし続けたいたいけな中学二年生は、アウトドア派から一転、転げ落ちるように文学少女の道を走り出したという訳である。




ここまでが、私と花の骸の出会いにまつわる正の記憶だ。


私は一通り回顧すると顔を顰めた。

花の骸は確かに私の人生を変えた大切な作品だ。しかし、読むとどうしても脳裏にチラついてしょうがないのだ。あの憎らしい顔が、もうひとつの出会いの記憶が──


「やあやあ!相変わらずシケた部屋でシケたもん読んでんね!」

ガチャッバーン。


突然だった。

静謐で充ちていた部屋に耳障りな音が轟いた。私の部屋の扉が開け放たれた音である。

そして酷くデリカシーのない台詞と共に一人の女がずかずかと乗り込んできた。

この女こそが、私と花の骸の出会い、その負の記憶そのものであった。


大晴おおはる 古典アンティーク 。古典と書いてアンティーク。

花の骸の作者である。ふざけた名前だが本名らしい。


「がさつ。不法侵入。帰れ」

私はすっくと立ち上がると大晴の両腕を引っ掴まえ、入り口の方に力ずくで押し戻す。

「ハハハ!偉大なる作者様に対して随分強気なファンだな」

「偉大なのは本であってお前じゃない」


大晴はニヤニヤ笑うだけでたいして抵抗しない。こいつはいつもそうだ。他人のスペースに勝手に押し入って、さも貴方と仲良くなりたいんですみたいな態度で粘着してくる。それでいて、相手が自分に対してどんな行動を起こすのか、それだけをつぶさに観察している。

言外に「あなたは人間観察の対象です。それ以上の価値はありません」と思っているのが滲み出ている。見下しているのか、クソが。不愉快極まりない。


大晴は何がおかしいのかくつくつと喉の奥で笑いながら、私が手に持っていた花の骸を爪の先でつついた。

「雅ちゃんさあ、また私の本読んでんだ。偉そうなこと言っといてアレだけど、それ、つまんなくない?飽きないの?」


私は大晴の右頬を思い切りぶん殴った。

「死ね」


大晴はやはり抵抗しない。赤くなった右頬をさすろうともしない。ニヤついた笑みはいっそう深まるばかりだった。

「ウソウソ。流石に私でも自著に愛着くらいあるよ。自著にというか、別れた女の子たちにだけど。それに」


「本当に雅に殺されちゃったら、雅との別れ、書けなくなるもんね」



大晴 古典は異常者だ。


まず大晴は出会う。少女と出会う。少女と出会って、化けの皮をかぶり自分を好きになるように仕向ける。

自分を好きにさせて、その愛情の沼が最大に深くなった時に、隠していた異常性を表出する。

裏切って、相手に自分を嫌わせる。

嫌わせて、相手から別れを切り出させる。

そうして別れた数多の少女と己の物語を少し脚色し、短編小説として世に送り出す。

これが花の骸の、私が愛した美しい小説の全容だった。


叶うことなら、昔の私に大晴 古典は危険人物だと忠告したい。

高校に上がってから友達も作らず教室でひたすら花の骸を読んでいた私に。「自分がその本の作者だ」と親しげに話しかけられて舞い上がっていたあの頃の愚かな私に。

最高の出会いだと思ったそれは地獄への入り口だった。



大晴はおもむろに私に近寄ってくる。私はその目を真正面から見据えられない。


「で、どう?私のこと嫌いになった?」

「お前のことはずっと大嫌い」

「花の骸は?」

「…まだ愛してる」


ちらりと視界の端に映った大晴の目が情念色の熱を帯びている、ように見えた。


「雅が花の骸まで嫌いになってくれたら、私は本当に人生で最高の物語が書けるよ」


見たくない。

見たくないそんなものは!


私にはもう、自分が本当に花の骸を愛しているのか、大晴に自分の存在を別れの思い出として消費されることが心底嫌で花の骸にしがみついているのか、それすら分からなくなっていた。

ぷつりと切れてしまいそうな温かい「好き」の糸を手繰り寄せるように、私は大晴の手をきつく握りしめた。

「嫌いになんて絶対なってやらないから」


大晴はすっと目を細め、顔を私の耳元に静かに近づける。じゃあとっておきの秘密教えてあげる。大晴の潜めた囁き声。





「雅、中学生の頃失恋したって言ってたね。その時花の骸と出会って本を読み始めたって。

その時雅が好きだった女の子。花の骸に書くために私が奪ったの」



大晴は私が先程まで読んでいた花の骸を手に取る。その指が心底愉快そうに、目次に並ぶ副題のひとつをなぞった。

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