第4話 アイドルとして

 そこにいたのは、確かに田仲真由香だった。


 だが、彼女の目には光がなく、無表情で僕を見つめていた。


「真由香……?どうして……」


 僕が近づこうとすると、彼女は一歩後ずさりした。その瞬間、背後で扉が閉まる音がした。


 振り返ると、さっきの男――カフェで会ったあの男が立っていた。そして、彼の手にはナイフが握られていた。


「終わりにしよう。彼女のために――」



 背後で扉が閉まり、薄暗い部屋の中で緊張がピークに達した。目の前には無表情で立ち尽くす真由香。そして、背後に立つ男の手には、銀色の刃が光っていた。


「終わりにしよう、彼女のために」

 低く響く男の声は冷たく、決意が込められていた。


「……どういう意味だ?」

 僕は振り返り、男に詰め寄った。男はナイフを構えたまま冷静な表情を崩さない。


「彼女はアイドルとして生きるために、すべてを犠牲にしてきた。その結果、追い詰められ、壊れてしまった。だから、これ以上苦しませるわけにはいかない」


「壊れた?そんなの嘘だ!真由香は、僕の知っている彼女は――」

 僕が叫ぶと、男は笑みを浮かべた。


「お前が見ていたのは、“まゆたん”だろう?『田仲真由香』じゃない。お前だって分かっているはずだ。彼女はもう、“アイドル”という仮面を被ることに耐えられないんだ」

 部屋の隅で震える真由香。

 僕は彼女に一歩近づこうとするが、男が刃を突きつけてきた。


「動くな!」


 僕はその場で立ち止まり、真由香に目を向けた。彼女の唇は微かに動いているが、何を言っているのか聞き取れない。部屋の中を不安定な静寂が支配していた。


「どうしてこんなことをする?君は一体何者なんだ?」

 男に問いかけると、彼は少しだけため息をつき、口を開いた。


「俺は彼女のファンだった――いや、彼女を“救う”ための存在だ。彼女が業界に消費され、壊されていく姿を見ているのが耐えられなかった。だから、彼女をここに連れ出した。それだけだ」


「救うためにこんなことを……?」

 僕の声には怒りと困惑が混じっていた。


 男はさらに一歩踏み込むと、ナイフを振り上げながら言った。

「お前には分からないだろう。彼女がどれだけの重圧に耐えてきたのかを。お前みたいな普通の人間には、想像もできないはずだ!」


 その瞬間――

「御幸……」

 小さな声が耳に届いた。真由香の口が確かに僕の名前を呼んでいた。


「真由香!」

 僕が彼女の名前を叫ぶと、男は一瞬だけ躊躇した。その隙を突いて、僕は男の手首を掴み、ナイフを弾き飛ばした。ナイフは部屋の隅に転がり、金属音が響く。


 男が怯む間に、僕は真由香の元へ駆け寄った。彼女の肩に手を置き、目を覗き込む。彼女の目には、涙が滲んでいた。


「御幸……助けて……もう、全部終わりにしたい……」

 震える声が僕の胸に突き刺さる。

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アイドルの消失点 @とむ @miwaka_sai

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