第3話 謎の男

 車は目的地に近づいていた。僕たちが向かっているのは、彼女の最後の目撃情報があった場所――都内の廃墟となった商店街だという。ニュースでは取り上げられていないが、地元の目撃者たちがネットで情報を共有していたらしい。


 到着した商店街は、まるで時が止まったかのような静けさに包まれていた。かつては賑やかだったであろうアーケードの天井は錆びつき、シャッターが降りた店が連なっている。辺りには人影はなく、不気味な雰囲気が漂っている。


「ここが、彼女が最後に目撃された場所です」

 マネージャーは車を降り、商店街の中へと歩みを進めた。僕も後に続く。


 商店街を進むうちに、ある一点でマネージャーの足が止まった。視線の先にあったのは、古びたカフェの前だった。入口には「CLOSED」の札が掛かっているが、ドアの隙間から微かな風が漏れ出している。


「ここが……?」

 僕が尋ねると、マネージャーは頷いた。


「このカフェは、彼女がデビュー前に通っていた場所です。ファンに知られることを恐れて、一人でよくここに来ていたと聞いています。そして、失踪直前に彼女がここで誰かと会っていたという情報があるんです」


「誰か……?」


「それが分からないんです。ただ、その後に監視カメラの映像が途切れていることから、意図的に消された可能性が高いと考えています」


 僕たちは恐る恐るカフェの中に入ることにした。扉を開けると、内部は意外にも整然としていた。埃が積もっているわけでもなく、誰かが最近までここを使っていたように見える。


 カフェの中央に目を向けると、そこには一台のマイクが置かれていた。アイドルがステージで使うような、きらびやかな装飾が施された特注品だ。


「これ……真由香のものじゃないか?」

 僕はつい声を上げてしまった。そのマイクには、彼女の名前の刻印があった。以前、コンサートのリハーサルで使っているのを見たことがある。


「どうして、こんなところに?」

 マネージャーも困惑した様子でマイクを見つめている。


 その時だった。奥の部屋から、微かに足音が聞こえた。僕たちは顔を見合わせ、息を潜めながら音のする方へと進んだ。扉を開けると――


 そこにあったのは、壁一面に貼られた無数の写真だった。


 すべてが真由香の写真。コンサート中のもの、街中でのもの、プライベートと思われるものまで、どれも盗撮されたような不自然なアングルだった。


「これ……」

 言葉を失う僕を尻目に、マネージャーは壁の中央に貼られた一枚の写真に目を留めた。それは、真由香が消える直前に投稿したSNSの写真と同じものだった。


「これは……誰が?」

 僕が尋ねると、マネージャーは険しい顔で答えた。


「ストーカー……もしくは、それ以上の存在かもしれません」


 その時、背後で物音がした。振り返ると、入口に立っていたのは――


 入口に立っていたのは、スーツ姿の男だった。僕たちと同じくらいの年齢に見えるが、その目には冷たさと何かを見透かすような鋭さがあった。

 男は無言のままカフェの中に一歩踏み込むと、壁に貼られた写真を一瞥した後、僕たちをじっと見つめた。


「ここで何をしている?」

 低い声がカフェに響く。緊張感が一気に高まった。


 マネージャーが前に出て男を制しようとしたが、彼の表情には動揺が見えた。「君は……誰だ?ここで何をしている?」



 男は薄く笑みを浮かべながら答えた。「俺か?俺は、ただ真由香を追っているだけだよ。あの“完璧なアイドル”が、なぜ消えたのかをな」

 その言葉を聞いた瞬間、僕の中で何かが弾けた。


「真由香のことを知っているのか?」

 思わず声を上げると、男はゆっくりと僕の方に顔を向けた。


「知っているさ。だが、それを知るにはお前たちにはまだ早い」

 彼は冷たくそう言い放つと、懐から何かを取り出した。それは――一枚の紙だった。


「これは、真由香からのメッセージだ」

 僕に紙を手渡すと、彼はそれ以上何も言わずにカフェから出ていこうとした。



 僕は急いでその紙を確認した。そこには、真由香の手書きと思われる文字でこう書かれていた。


「もう追わないで。私は、普通の女の子に戻りたいだけ。」


 文字は震えていて、何かを恐れているように感じられた。マネージャーはその紙を覗き込むと、険しい表情をさらに深くした。


「……これが彼女の意思だというのか?」


 僕は黙って首を横に振った。真由香が本当にこれを書いたのか?それとも、誰かが彼女を追い詰めて無理やり書かせたのか――どちらにせよ、腑に落ちない。


「彼女がこれを本当に望んでいるなら、なぜこんなに多くの写真がここにある?なぜ彼女のマイクが置かれている?」

 僕は自分の中に湧き上がる疑問を押さえきれず、声を荒げた。


 マネージャーはしばらく沈黙した後、静かに口を開いた。

「御幸さん……この事件の裏には、普通のアイドル活動では説明のつかない何かがある。彼女が“思い出の場所”を語った理由も、それに関係しているのかもしれない」


 カフェを出ると、辺りは薄暗くなり始めていた。空気はどこか冷たく、昼間とは異なる不穏な気配が漂っている。


「さっきの男は誰なんだ?」

 僕はマネージャーに尋ねたが、彼はただ首を振った。


「分からない。だが、あいつがこの事件に深く関わっているのは確かだ」


 僕たちは一旦車に戻り、これからどうするかを話し合うことにした。カフェで得た情報は多くないが、一つだけ確かなことがある。真由香は自ら姿を消したわけではなく、何者かに追い詰められている。


「次に向かうべき場所はどこだろう?」

 そう問いかけると、マネージャーがスマホを取り出し、何かを調べ始めた。


「真由香のSNS投稿をもう一度洗い直します。彼女が“思い出の場所”と書いたのは、単に抽象的な意味ではないはずだ。もっと具体的なヒントが隠されているかもしれません」


 その夜、僕たちは一軒のビジネスホテルに泊まることにした。マネージャーは部屋にこもって調査を続け、僕はぼんやりとスマホの画面を見つめていた。


 すると、不意にメッセージ通知が届いた。差出人不明の番号からの短い文章だった。


「彼女に会いたいなら、一人で来い。」


 そして、その下には住所が書かれていた。それは、以前僕と真由香がデートで訪れたことのある場所だった。


「……どうしてここを?」

 僕は混乱しながらも、その場所へ向かう決意をした。誰が送ってきたのかは分からないが、彼女に会える可能性があるのなら、行くしかない。


 マネージャーには何も告げず、僕は夜の街へと飛び出した。


 住所に記された場所に着いたのは、深夜を少し回った頃だった。そこは、閑散とした住宅街の一角にある廃ビルだった。明かりはなく、人気もない。不気味な静けさが辺りを包んでいる。


「ここに……真由香が?」

 僕は半信半疑のまま、ビルの中へと足を踏み入れた。


 階段を上がり、指定されたフロアにたどり着くと、そこには薄暗い部屋が一つだけあった。中に入る。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る