一章 モーツェの森

1 罠

 草木が鬱蒼と生い茂る森の中は薄暗く、昨日の嵐に荒れている印象は否めない。

 見渡す限り緑の森は広大で、行けども行けども終わりが見えず、やがてジョシーが音を上げる。


「ねぇちょっと!

 いつになったら町が見えるのよ!

 どんだけ歩いたと思ってるのよっ?」

「そんなに歩いたか?」


 声を張り上げるジョシーに、ソルは澄ました顔で平然と言い返す。

 それがさらにジョシーの神経を逆なでしたらしい。

 さらに声を張り上げたジョシーは早口にまくし立てる。


「歩いたわよ!

 すっごく歩いたわ!

 なのに馬車の一台も通らないなんて、どういうこと?

 絶対おかしいわよ」

「おかしいって……なにを今更……。

 町の人が言ってただろ?

 この森には化け物が出るから今は馬車も通らないって」


 ジョシーは運良く馬車が通りかかれば乗せてもらうつもりだったのだろうか。

 ほとほと呆れてみせるソルはジョシーを見もせず言い返す。


「そんなのただの噂でしょ?

 だから田舎って嫌なのよ」


 一息にまくし立てて少し落ち着いたのか、ジョシーはくだらない噂話だと言ってわざとらしく深く溜息を吐いてみせる。

 ついでに肩をすくめて手振りまでつけてみせる。


「クラスタだって田舎じゃないか」

「なんですってっ?」

「変わらないだろ?

 なに怒ってるんだよ?」


 先に田舎だと馬鹿にしたのはジョシーなのに、自分の故郷を田舎だと言われるのは腹が立つらしい。

 身勝手な怒りにまた声を張り上げて言い返すジョシーに、ソルはことさら素っ気ない振りをする。

 だが実は内心で別のことを考えていた。

 この森に入ってからずっと感じていたかすかな異臭と不穏な空気、それが急に強さを増した気がしたのである。


(この森はなにかおかしい)


 そうは思っても具体的に何がおかしいのかわからない。

 しかもジョシーは全く何も感じていないらしく、執拗にソルに突っかかってくる。


「クラスタのどこが田舎よ!」

「十分田舎じゃないか。

 ザルツ村もたいがい田舎だったけど」


 ソルはそんなことを返しながらさりげなく周囲を見回す。


 ソウェル・トゥウェイン


 通称ソルは身長一四〇センチくらいで、見た目の年齢は一〇歳そこそこの子供である。

 裾がすり切れたコートにズボンを穿き、汚れた靴はずいぶんくたびれている。

 わずかな着替えを入れたリュックを背負う肩は子どもらしく細く、コートから出る手足はまるで棒きれのよう。

 芽吹いたばかりの新緑に負けないくらい鮮やかな緑色をした瞳に、短く切られた銀の髪はほんのりと青みを帯び、不思議な光沢を放っている。


 ちなみにソルがジョシーの故郷であるクラスタと田舎比較に出したザルツ村は、このシュヴァイク王国の東、隣国グレグワッズ王国との国境近くにある小さな村で、ソルが生まれ育った場所である。

 そこから父親を探して旅立って早三ヶ月。

 されど父の姿は影も形も見えず、眼前に広がるのは見渡す限り緑の森である。


 昨夜まで雨が降っていた森は多量に湿り気を含んでおり、柔らかに頬を撫でる風がほんのりと冷たい。

 その風に乗ってかすかな異臭と不穏な空気が流れてくるのである。


(ジョシーがうるさくて集中出来ない)


 そんな二人のうしろを少し離れて歩くジーナも何か感じ始めたらしく、二人の喧嘩に呆れつつ、しきりに首を振って周囲の様子を伺っている。

 南方出身のジーナは最年長だが、それでもまだ二〇歳前後。

 スラリとしたなかなかの長身で、浅黒い肌にやや露出の高い民族衣装を着て、腰には剣を携えている。

 ラクラと呼ばれる南方の少数部族出身で、傭兵は部族的な生業なりわいだという。

 高く結い上げた黄味の強い金の髪は南方出身者には珍しく、わずかな荷物はいかにも旅慣れていて様になっている。


(それにしても奇妙な森だねぇ)


 ソルほど鼻がきくわけではないが、ジーナもソルを見ているうちに気がついたらしい。

 実はあからさまにおかしいことはもっと前からわかっていたのだが、それだけではない他のなにかがあるような気がしてきたのである。

 だから二人とは少し離れて歩いているのである。

 だがまだ一人、本当に何も感じていないらしいジョシーだけは、ソルを相手に喧嘩に勤しんでいる。


「違うって言ってるでしょ!」

「なんでムキになってるのさ?」


 自分の故郷クラスタを田舎呼ばわりされたことがどうしても許せないジョシーは、外見そのままの十六歳の少女で、いわゆる中肉中背。

 スカートにブラウスを着て、肩に届くくらいの赤毛を二つに分けてお下げにしている姿はどこにでもいる町娘そのもので取り立てて目立つ特徴はないが、背に大きな薬箱トランクを背負っている。

 その薬箱トランクをのぞけば、どこをどう見ても普通の町娘である。

 ソルとジーナがクラスタの町を通りかかった時に知り合い、一緒に旅を始めてまだ半月も経っていない三人目の仲間である。


「ソルの物わかりが悪いからよ」


 そう言ったジョシーは、少し疲れたように背に負った薬箱トランクをやや乱暴に地面に下ろす。

 歩き疲れたのか?

 あるいは重くなってきたのか?

 わからないが次の瞬間、その体が薬箱トランクと一緒に宙に吊り上げられる。

 ほぼ同時に彼女の悲鳴が森中に響き渡ったことはいうまでもないだろう。


「あ、ジョ……」

「ぎ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁー!!」


 あまりに大きな悲鳴をそばで聞かされたソルは反射的に耳を塞ごうとしたが、次の瞬間、同じように宙に吊り上げられ自由を奪われてしまう。


「お、わっ!」

「ちょっとっ?

 また・・なのっ?」

また・・みたいだな」

「いったいどうなってるのよっ?」


 囚われの身となったジョシーは、木の枝から吊される網の中でヒステリックに喚き散らし、一瞬遅れて同じ囚われの身となったソルの声を掻き消す。


「なにって、罠じゃん。

 それもすっごく原始的な」


 並んで別の網に吊されるソルは冷めた返しをする。

 同じくジーナも冷めた様子で、網で吊されながら揺れる二人を眺める。


正統派オーソドックスと言ってくれないか?」

「そんなことはどうでもいいわよ!

 なんでこんなところにあるのよ!」

「それをあたしが知ってるとでも?」

「だよねぇ~」

「うるさい!!」

「だいたいその質問、今更だろう?

 あんたら性懲りもなく引っ掛かるんだから」


 それこそこの森に入ってからこれで何回目? ……と尋ねるジーナに、ソルは網のあいだから伸ばした手で指折り数える。


「えっと、一回、二回、の……五回目?」

「もっとかかってるよ」

「なんであたしがこんな目に遭わなきゃならないのよーっ!」


 この森に足を踏み入れてから何度目とも知れぬ罠にソルとジーナはすっかりあきれているがジョシーだけは懲りずに引っ掛かり、懲りずに怒っている。


「運が悪いというか、なんというか」

「俺、そこは罠だって教えてやろうとしたのにさぁ」

「言うのが遅いのよ!」

「ジョシーが鈍くさいんだろ」

「誰が鈍くさいのよ!

 このへっぽこ魔導師!」


 すっかり取り乱しているジョシーは顔に縄を食い込ませてソルに突っかかる。

 ソルもまた、顔に縄を食い込ませて言い返す。


「だ、か、ら!

 今のはジョシーが引っ掛かったから!

 俺はただの巻き添え」

「なんですって?」


 別々の罠に捕らわれている二人は揺れる網に反動をつけ、その揺れに合わせて顔を近づけては離れ、離れては近づける。

 そして近づいては顔を歪めて罵り合う。


「前のだって、ジョシーが引っ掛かったせいじゃないか」

「違うわよ!」

「違わない」

「絶対違うから!」

「あんたらねぇ……」


 子供じみた言い争いを続ける二人に、ほとほと呆れたジーナは溜息を吐く。


「ジーナ、早く下ろしてよ!」

「もう少しぶら下がってたらどうだい?

 楽しそうじゃないか」


 ジョシーに怒りの矛先を向けられたジーナだったが、難なくかわしてニヤリと笑う。


「「どこがっ!」」


 ほぼ同時に声を上げたソルとジョシーは、直後、勢い余って額をぶつけ合う。

 衝撃で目の中に星を飛ばしながら揺れる網の中、額を押さえて悶絶する二人を見てジーナはもう一つ、溜息を吐いて呆れる。


「ほんと、楽しそうだねぇ」


 そう呟くと、改めて森を眺める。

 そして言う。


「それにしても、このモーツェの森ってのは一体全体どうなってんだい?

 なんだってこんなに罠だらけなのさ?」

「たぶんアレのせいだよ」


 網から突き出された棒のようなソルの細い腕。

 その先端が指し示す先には、実に奇怪な生物が三人を眺めていた。


 全身が焦げ茶色の毛に覆われた一見ただの肉牛だが、奇妙な形をした角が頭に三本も生えている。

 さらには一本しかない前肢にはまるで人間のような指が六本もあり、長く伸びた爪は鋭く、泥や赤黒いものにまみれている。

 何よりも三人を驚かせたのは、普通の牛の二倍はありそうな大きさである。

 あれこそが森に入る前、道々出逢う人々が話していた噂の怪物だろうか?

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2024年12月26日 19:05

世界を統べるもの ~森に出逢うもの 藤瀬京祥 @syo-getu

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