第10話 現

「おい」

頭を深く下げているとぞっとするようなドンと重い声がした。恐る恐る顔を上げると目の前には白い着物を着たガタイのいい男が立っている。暗くて顔が分からないが俺をじっと見つめているのがわかる。恐怖で声が出ずに固まっているとその男がこちらへ1歩、2歩と近寄って来た。

「(どうしよう、、、こっちに来る、、、)」

もう男はすぐ目の前に来ていて何も出来ずに目を瞑った。

「ごめんなぁ。志希。」

え?

驚いて目を開く。そこには悲しい顔で微笑む死んだはずの父の顔があった。

「父さん、?」

「嗚呼、父さんだよ。少し痩せたか?」

低くて優しい声の父。なにがなんだかわからないが「父さん、、、!!」と久しぶりに会えたことが嬉しくて思いっきり抱きついた。これが夢でもいい。話せただけで十分なくらい嬉しくて今まで堪えていた涙が全て零れ落ちそうだった。父は優しく俺の頭を撫でてくれた。こんな優しい父にこのまま俺のそばを離れないでいて欲しいとまた声を出すことは出来なかった。

しばらく経つと父の胸で顔を埋めたままでもわかるぐらい先程までの暗闇が明るくなっていた。

「あれ、明るくなってる!」

「ほんとだな。これなら先に進めるな」

「うん!父さんは一緒に来ないの?」

少し遠回しに着いてきて欲しいと父なら気づいてくれるだろうと思い言ってみるが「俺は行けない。たった今あったばっかりだけどここからはもう志希だけで行きなさい。」と真剣な眼差しに冷たく突き放された。

「え、なんで?!」

もう少し一緒に居たい。俺の心を慰めて欲しい。顔に出なくても心の中でそう思っているとだんだん気持ちが沈んでいく。

「俺はもうこの世の人間じゃないからだ。それにもうやることは済んだんだ。」

会ったばっかりなのにと怒りが込み上げてくるがこれに関しては別に父が悪いわけじゃない。この世にいないのはわかっている。だけど夢でも幻でもいいから一緒にいて欲しい。今日だけでいいから。寂しい思いをまた押し殺して気丈にも涙は見せなかったが、全身は小刻みに震えさせながら立ち上がり前に進んだ。涙が零れ落ちないように少し上を向きながら。

どんなに歩いても後ろに振り返ることはなかった。きっと振り返れば泣いてしまう。寂しくて親離れのできない弱い俺がきっと顔を出す。そんな姿を父には見せたくない。


今後長い人生で人との別れなど当たり前になるだろう。こんなことで挫けてはだめだ。ここから出る方法を考えよう。目元に溜まった涙を拭ってから前に進んだ。


またしばらく歩いていると前を向いている男が立っているのが見えてもしかしたら助けてくれないかと希望を持ち我武者羅に走っていった。

その男はグレーの浴衣を着ていて所々銀色の髪がキラキラとしている。

だがこちらに気づいて振り返った男は父や親父の優しい声と違い「こっちに来るな。どっか行け!」と今まで言われこともないぐらい強く大きな声を出した。その瞬間、驚いて時が止まったように身体が硬直して声も出なかった。

「で、でも、前に進まなきゃ、」と真剣に話す

が「もう進まなくていいんだ!戻れ!!」

そう叫ばれ戻れと言われる。何故か分からないがその男は泣きそうな目でそう訴える。

突然の出来事の繰り返しでもうどうしたらいいか分からない。父には進めと言われよく分からない人には戻れと言われる。どっちの言葉を信じればいいんだ。だが後ろに行けば父がいる。どうしてここまで俺を追い詰めるんだ。交互に左右を見渡すが何か景色が変わるわけでもない。

「この先に何があるの?」

「何もない。何もなくなる。未来もお前も。」

「え、どういうこと?」

意味がわからない言葉に理解出来ないでいると男がチッと舌打ちをして銀色の髪をかきながら言った。

「ここは永遠に終わりが来ないと言われる常世だ。そしてここから先を進めばあの世に繋がるんだ。そしてお前は現世で死ぬことになる。それでもここに一生居たいか?」

「そんなの嫌だよ!帰りたいんだ!」

「なら戻れ!今ここで戻れば現世に帰れるんだ!」

「どうしてわかるの?」

その質問に男は一瞬少し寂しそうな顔をして俺を睨んだ。

「俺はここに来た者を現世に帰しているんだ。ここからさっきまでの道を戻れば帰ることが出来た人間を何人も見てきた。そしてこのまま俺の言うことを聞かずに前に進んで死んだやつも何人も見てきた!これ以上誰かに死んで欲しくないんだよ!!」

男の眼差しには決して誰かを騙そうとしていることはなく確実に本当のことを言っているのだとその真剣さからよくわかる。強い口調はきっと言うことを聞かない人を納得させるために培った彼なりの優しさなんだろう。男は本当は優しくてとってもいい人なんだろう。俺はこの人を裏切る気にはなれずすんなりということを聞き後ろに振り返ろうとしたその時「志希!やめろ!」と父の声が聞こえた。すぐさまその男は「そいつの声を聞くな!そいつはお前の父親じゃねぇ!」と叫んだ。だが父の悲しそうな声に俺は葛藤してしまった。

「生きたいなら戻れ!お前のことを待っている人がいるだろ!」

「誰も待ってなんかいないよ。所詮志希は独りだ。だから前に進んで次出会う人を見つけなさい。」

2人の声が交互に聞こえ頭がぐるぐるする。父の声は父じゃないと言われるがこの男が嘘をついている可能性も拭いきれない。だんだん頭が痛くなって立つこともままならずその場に座ってしまった。それを見た男が駆けつけ「大丈夫か?」と屈んで俺の顔を見る。

「お前、1人が怖いんだろ。俺がついて行くなら行けるか?」

その男の顔は先程とは大違いで優しくて眉毛が下がっていた。先程までつり目だったのがとろんと垂れていて口元も緩んでいた。

俺が少し考えて「うん」と答えるとニコッと笑い男は俺の肩を組んだ。その時も父の声は絶えなかったが全て聞こえないフリをした。歩いても父の姿はなく数十分経つと先程のスクリーンのところまで戻ることが出来た。

「ほら、あそこにクリーム色の壁と同化しているドアが見えるだろう?あそこに行けば現世に戻れるぞ」

男は俺の肩から手を外し背中を優しく叩いた。

そんな男の顔を見て「ありがとう!」と笑いかける。

「はは、俺は俺の仕事をしただけだ。」

少々驚いた顔をしていたが男も微笑んでいた。

帰る前にどうして男がここにいるのか聞こうともう一度振り返るとそこに男の姿はなかった。音が響きやすい道だというのに足音1つ聞こえない。また1人になってしまったなと思いつつ男が言っていたドアの前に立つ。ここに入ればまた帰れる。だけど帰るのが怖い。親父に呆れられて捨てられるかもしれない。病院の先生にも怒られて二度と外に出られなくなるかもしれない。学校にも行けないかもしれない。好きなスポーツもできなくなるかもしれない。もしかしたらみんな夢で俺には本当は何もないかもしれない。それならここに一生いたい。ここには男がいるし偽物だけど父もいる。だけど現世では優しい親父がいて良くしてくれる人もいる。それに俺はここの住人じゃない。つまり現実に帰らなければならない。でもきっと誠心誠意謝れば親父もみんなも許してくれるだろう。ふぅと息を吐いてからドアノブに手を掛けたその時だった。

「志希」

という声と一緒に後ろに大きな影がドアに映し出されていた。間違いなく父の声と影だ。でもこれは偽物。きっと幻を見ているんだ。早く帰らなきゃ、ドアを開けなきゃ、なのに手が震えて力が入らない。呼吸も乱れて冷や汗が垂れてくる。偽物の父は動きもせず喋りもしない。もしかしたら本当は居なくてなにかの影が重なって大きく見えているのではと思ったが振り返る勇気も出ない。「どうしよう。誰か助けて欲しい」心の中でそう叫ぶが当たり前に誰も来ない。もしかしたらまだ近くにあの男がいるかもしれないと思い「た、たすけて」、「欲しい」とか細い声で呟く。こんな声で誰か来るわけがない。わかっているけど少しだけの希望を捨てることは出来なかった。1分待って来なかったら諦めようそう思って待ってみるが男の足音は聞こえなかった。もうあの世に俺は連れていかれるのだろうか。でもまぁ父がいるなら寂しくはないのかな。父について行こうと後ろを振り返ろうとしたその時。

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