第8話
会長のまりあが現れて以来、編集部の面々はナイトビートの生き残りをかけて仕事に邁進していた。それまで、編集会議に顔を出すことのなかった古賀までもが特集のアイデアを出したり、営業まわりは死んでも嫌だといっていた小田原は馴染みのクラブに頭を下げてナイトビートの販売を頼み込むなど、出来るだけのこと以上の頑張りをみせていたのだ。もちろん百合香も同様で、雑誌の売り込みを記した販促フライヤーを作ったり、営業マンと同行して書店への営業まで手伝っていた。
だが、そう簡単に業績が上向くはずもなく、むしろ翌月のナイトビートは赤字に転落していた。
「パッシー特集や、ラメ達磨の付録がついた号の売り上げがよかった分、落ち込みが目立っちゃうのよね」
「西川さんが出かけた海外フェスの取材経費もバカにならなかったし」
古賀と小田原がしょんぼりと反省する。
「いっそのこと、ナイトビート主催でミュージックフェスっていうのはどうですかね?」
百合香が思いついたことを口にすると、小田原がかぶりをふった。
「会場費とか客が呼べるDJをブッキングする予算なんて、どこにもないぜ」
「じゃ、どこかのクラブと折半でパーティイベントっていうのはダメですか?」
「出来なくはないけど、客が少なかったりしたら逆にナイトビートの評判が落ちるじゃん」
「だったら、ナイトビートに予告を載せたり、フリーチケットを付けたりしたら集まるんじゃないですか?」
「やったことあるのよ」古賀が割ってはいってきた。「年越しだったか、クリスマスだったか、でかいクラブを貸し切ってナイトビート・フェスって打ち出したんだけど、結局は赤字だったの。あ、ちなみに西川ちゃんのアイデアよ」
「ていうか、今日は編集長どこいっちゃったのかな」小田原が不思議そうな顔を浮かべた。
「あ、わたし宛にメールきてました、関西方面のクラブで営業してくるって」
「そっか、西川さんは生まれが丹波篠山だからアッチ方面に強いのかもな」
「山奥でイガ栗を拾って食べてたような編集長がクラブ営業とか、ナイトビートの見通しは明るくないわね」
古賀の辛辣な言葉で、その場の雰囲気は一気に沈み込んでしまった。
すると、編集部の内線電話が鳴り、小田原が「営業部からだ」と受話器を上げた。やり取りをしているうちに顔がパッと赤らみ、電話を切ると力強くガッツポーズ。
「なんと、ペットブルが表4の年間契約してくれたって!」
「マジで! 表4なんて一番値段が張るスペースじゃない! しかも年契なんて、営業マン頑張ってくれたじゃん」古賀もいくらか興奮気味だ。
「いや、こっちから売り込んだわけじゃなくて、不思議なことにペットブルのほうから申し込んで来たんだって」
「てことは、ユリカのDJバトルの記事が功を奏したってことじゃない。お手柄じゃーん、ユリカ!」
「そ、そうなんですか」
戸惑う百合香に、古賀と小田原が「ギミーファイブ!」とハイタッチを交わす。表4とは、いわゆる裏表紙のことであり、雑誌の広告スペースの中では最高価格であることが少なくない。また、年間契約とは一年を通じてすべての号に広告を載せることで、安定した広告収入が見込めるため、雑誌としてはことのほか嬉しい契約なのだ。
それまで葬儀場のようだった雰囲気は吹き飛び、編集部は一気にお祭りモードに。
「よっしゃ、この調子でグイグイいっちゃおうぜ!」
鼻息を荒げた小田原が言うと、古賀と百合香も「おー!」と力強く拳をあげていた。
そして、翌日にはラメ達磨のレコード会社からも広告が決まり、編集部の士気は高まる一方だった。
「ていうか、ラメのレーベルに営業かけたのって百合香なの? 西川ちゃんに電話したら『オレじゃない』とかなんとか言ってたから」
古賀に聞かれて、百合香も不思議そうな顔をした。
「わたしもてっきり編集長が営業したのかと思ってましたけど……」
「ま、いいじゃないの誰だって。とはいえ、表2見開きの広告がラメだと、ヒップホップ雑誌みたくなっちゃうけどな」
「どこが悪いのよ。ヒップホップ上等じゃね! ホーウ、ヘーイ」
古賀と小田原のうわついたやり取りを見て、百合香も微笑んでいたものの頭の中にはいくつもクエスチョンマークが浮かんでいた。
-ピットブルやラメ達磨とくれば……。稲垣プロデューサーのニヤけた顔が最初に浮かび、百合香は首を振っていた。
-稲垣さんがナイトビートの状況を知ってるはずもない。そう思い直すと、次に浮かんだのはパッシーのすまし顔だった。
だが、百合香は大きくかぶりをふって、パッシーのことを頭から打ち消した。
-ありえない。きっと、ナイトビートのことなんか忘れて、どこかでのんきに歌ってるわよ。
その夜、この考えが的中していたことを百合香は思い知らされた。
ベッドに入ってウトウトしはじめた頃、スマホにかかってきた電話からは「代々木警察署のものですが」と聞こえた。
「え? 警察、ですか?」
「はい。三嶋百合香さんですよね。実は身柄の引き受けをお願いしたいのですが、これから署まで来ていただけませんか」
「引き受けって、なにか落とし物でもしてましたっけ?」
「いえ、身柄の引き受けです。詳しいことは、署でお話しますので。じゃあ、よろしくお願いします」
百合香はなんのことやらさっぱりわからなかったが、相手の話しぶりにイタズラ電話の気配はなかった。発信番号を確かめてみても、代々木警察に間違いない。
-どういうこと? 身柄といわれてもピンとこない。が、呼び出されたものは仕方がないので、しぶしぶ着替えて、メイクもせずにタクシーを呼んでいた。
「あのぉ、先ほどお電話いただいた三嶋ですけど」
警察署に着くと、受付けらしき警察官に恐る恐る声をかけた百合香。
「ああ、身柄引き受けにいらした方ですね。どうぞ、こちらへ」
気安い様子でも、案内されたのは窓もなく、机と椅子が二脚あるだけの殺風景な部屋だった。
-ここって、取り調べ室じゃない! 百合香の躊躇にもかまうことなく「こちらでお待ちください」と警察官は立ち去っていた。
五分と経たないうちに扉が開かれると、先ほどとは別の警察官が軽い会釈とともに現れた。
「夜分に申し訳ありませんね」厚手のフォルダーを開きながら、やわらかな表情を見せた。
「実は迷惑条例の違反で、一旦は身柄を保護したんですが、通報者が取り下げを申し出たものですから……」
「はあ……」
「で、身柄の引き受けに来ていただくというのが規則なんですが、どうにも……」
「あの、まったく意味がわからないんですけど」
「三嶋さん、あなた、吟遊詩人にお友達がいるんじゃありませんか」
「え? いまなんて?」
「吟遊詩人、芸名だかなんだか知りませんけど、クレオパトラとかなんとか意味不明なことを並べるもんで困ってたんですよ」警察官は悪い冗談でも聞いたような顔。
「そ、そうなんですね」
「それで所持品を調べたところ、三嶋さんの名刺が出てきまして、こうしてご足労いただいたというわけでして」
「……そうですか……でも、どんな迷惑をかけたんでしょう?」
「ああ、住宅街でギターを鳴らして歌ってたんです。駅前やら、公園みたいなところならまだしも、夜中にお家の前でジャンジャン鳴らされたら困りますよねぇ」
警察官の困惑顔に百合香は思わず顔を伏せていた。
「じゃ、本人を連れてきますので、受付の前でお待ちください。ご苦労様でした」
-ありえない。夜中にひとさまのウチの前で歌うとか、どうかしてる。
百合香の胸の内では怒りと戸惑いがないまぜとなり、今にも爆発を起こしそうになっていた。気づけば、関節が白くなるほど拳を握りしめている。
そこへ、警察官の後ろからうなだれたパッシーがとぼとぼと現れた。
普段の悪びれた様子は微塵もなかった。が、百合香にはそれがより深刻に映った。
「……ご迷惑をおかけして……すみませんでした」
なんとか絞り出すように言い、警察官に向かって頭を下げる。かたわらのパッシーは俯くだけで、詫びのひとつも出てこない。ムッとした百合香が、パッシーの背を押してようやく形がつく。ふたりして警察署から出ると、しばらくして百合香が口を開いた。
「……なに、やってんですか……」
言葉尻には責める気持ちよりも、色濃い落胆がにじむ。
「……ごめんよ」
うつむいたまま、こちらを見ようともしないパッシー。肩を落とした姿に、百合香はため息ばかりで言葉が出ない。
-なんなんだろ、このガッカリする気持ちは。
百合香と、その後を歩くパッシーの脇をほろ酔い加減のサラリーマンが通り過ぎていく。仕事がうまくいったのか、互いの肩を叩きつつ、にぎやかな声をあげる。そう、昼間の編集部で小田原や古賀とハイタッチをしたように。互いの奮闘を称えるような手触りが、百合香の胸によみがえっていた。
そこで小さく息を吐くと、百合香が立ち止まった。
「もう……ついて来ないでください」
ごく控えめに言ったつもりだったが、語尾に険が混じっていた。
青白い顔をしたパッシーは無言で百合香を見つめるだけだ。それを見つめ返し、思い切ったように口を開く。
「わたしが呼び出されたことを謝ってくれたなら、そんなのどうだっていいんです」
「……」
「でも、DJが……、吟遊詩人が警察につかまるなんてありえない。最低です。DJの雑誌を作ってるんですよ、わたしは。それが迷惑条例に違反ですって? わが身のように恥ずかしいです」
「悪かった……けど、これには」
「ええ、きっと理由があるんでしょう。それは古代エスペラント語でもなんでも歌っててくださいな」自分の声とも思えない厳しさに百合香はためらいつつも、言葉は止まずに口をつく。「でも、パッシーさんが歌ってる間にも、DJのことを思って頑張ってるひとがいることを一瞬でも思い出したら、警察につかまるようなことできるわけないじゃない!」
「そ、そんなつもりじゃなかったんだ」
「……吟遊詩人とか転生とか奇妙なひとでも、わたしはパッシーさんのこと嫌いじゃなかった。むしろ、だんだん距離が縮んでいくのを喜んでいたかもしれません。DJバトルの会場で他人事みたいな言い方をされたって、ここまで嫌な気分にはならなかった。でも……」
そこまで言うと、百合香は背を向けてふたたび歩き始めていた。自分でも理由のわからない涙があふれてしまい、言葉を継ぐことさえできなかったのだ。
「ユリカちゃん……」
パッシーの手が肩にかかった。立ち止まったものの、百合香はふり返ることなく言葉をふり絞った。
「もっと……一緒にいたかったけど……もう無理です」
歩き出した百合香。悲しすぎたのか、涙は続けて流れてはこなかった。かわりに、心のどこかが大きく欠けた気がする。が、今はそれを埋める気にもならない。ひたすらに足を動かすことだけが救いかのように、百合香は歩き続けていた。
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