第7話
DJバトルとは、DJのテクニックやセンスを競い合うもので、世界各国さまざまなジャンルで開催されている。トリッキーなサウンドを鳴らすスクラッチやバックスピンといったテクニックに加え、最新鋭の機材を駆使したオリジナリティあふれる演奏などクラブでは見られぬシーンに事欠かない。むろん、DJ自身のパフォーマンスも審査対象であり、アクロバティックなアクションや、コスプレにも似たキャラづくりなどエンターテイメント性までもが重要視されるのだ。
百合香が取材に訪れたのは、世界的なエナジードリンク〈ペットブル〉が主催するもので、ラスヴェガスで開かれる世界大会を目指した国内予選だ。世界大会での優勝賞金も大したものだが、その後のギャラが跳ね上がることはいうまでもない。さらに、各国の巨大ミュージックフェスにトップDJとしてブッキングされ、一流ミュージシャンとのコラボレーションなど、さながらスーパースター並みの未来が約束されているのだ。
それゆえ、ペットブルの国内予選に応募するDJは毎年千人を下らない人気ぶりで、下は小学生から上は還暦をとうに超えたベテランまでがしのぎを削る。
会場は熱気に満ちあふれていただけでなく、超一流のサウンドシステムによって、クラブともフェスとも違った爆音が渦巻いていた。
百合香は超絶テクやパフォーマンスに目をみはったものの、ナイトビートの行く末を考えると、いまひとつ集中できない。無料で配られたペットブルの缶に書かれた「集中力アップ」の文字が憎たらしい。そんな時、かたわらから声がかけられた。
「ちょっと、三嶋チャンじゃないのぉ」バケットハットに無精ひげの稲垣が嬉しそうな顔。
「ああ、先日はお世話になりました。今日もラメ達磨さんとお仕事ですか?」
「いやいや、ハーフタイムショーのプロデュースですよ。あとふたりDJが出たら審査に入るでしょ。その間にスペシャルゲストがスペシャルパフォーマンスをするわけ」
「そのスペシャルを稲垣さんがスペシャルプロデュース、というわけですね」
薄い皮肉をまぜても、稲垣には通用しなかった。
「うまいこというね。でも、三嶋さんもきっと喜んでくれると思うよ。ペットブルのバトルにふさわしいショーにするからお楽しみに」
自信ありげに肩をゆらした稲垣が去り、すべてのDJが演奏し終えるとハーフタイムのアナウンスが流れ始めた。稲垣には悪いが、休憩時間まで爆音に身をさらしたくなかった百合香は一旦会場の外へ出ていた。
通路沿いにあったソファを目指して腰を据えると、ふたたび不安の虫がうごめく。考えてもはじまらないと自分に言い聞かせようとしても、心のどこかに巣でもあるかのように、次から次へと這い出てくる。
すると、背後にあった会場の入口からかすかに音がもれてきた。ハーフタイムショーがはじまったのかと、見向きもしなかった百合香。だが、次の瞬間にはかすかだった音がはっきり聞き取れる歓声にかわり、リズムにあわせた大合唱に育っていた。さっきまでのバトルでも、ここまで会場を盛り上げたDJはいない。
-ガッキーさん、いったいどんなスペシャルだっていうのよ。
さすがに気になった百合香は重い腰をあげ、ドアから中を覗き込んでみた。
-パッシーがいる! しかもDJでなくて、弾き語りってどういうこと?!
ステージを所せましと動き回るパッシーは肩からギターのような楽器をさげ、時に激しく、時にやさしくつま弾いている。その間もクリーミーな歌声は途切れることなく、妙な抑揚をつけながらメロディらしきものを刻んでいたのだった。
岬まつり以来、百合香の胸には戸惑いや気まずさが募っていたものの、パッシーの声を聞くと繭にくるまれるような安心感に見舞われた。
「調子にのっちゃって」と口をついたものの、その声はどこか心安らいで聞こえた。
とはいえ、バトル終了後に関係者を招いたパーティで顔を合わせた得意満面な顔は受け入れがたいものがあった。
「ヘーイ、久しぶりだねユリカちゃん」足元までフワフワしたようなパッシー。「どうだった、ボクのリュート弾き語りは?」
「その節はどうも。ていうか、弾き語りもいいけど、せっかくだったらDJしながら歌えば良かったじゃないですか」
「うん、ガッキーからもすすめられたけどさ、ボクがDJしちゃうとほかの出場者に迷惑がかかってしまうからね」大真面目に口元を結んだパッシー。
「というと、吟遊詩人のプレイでもってほかのDJを圧倒してしまう、と言いたいわけですね。ありえない」
「それに、決勝会場のヴェガスとは相性がよくないのさ」百合香のセリフは耳に届いてないかのように話し続ける。
「なるほど、吟遊詩人がルーレットで大騒ぎしているのはイメージしづらいです」
「そういうのもあるけど、ほら、あそこで弾き語りしてるとエルヴィス・プレスリーの生まれ変わりだなんて騒がれちゃうからさぁ」とケラケラ笑うパッシーに、百合香は冷ややかな視線。
「どうしたのさ、ユリカちゃん?! さっきからおなかを空かせたマリー・アントワネットみたいな顔しちゃってるぜ」
百合香は手にしていたペットブルとウォッカのカクテルをグイっと飲み干した。
「パッシーさんみたいに、なんでもかんでも上手くいく人には到底わかってもらえません」どうやら、ペットブルに入っている成分がいつもより百合香を高ぶらせたのだろう。その声はパッシーだけでなく、周囲の人々も振り返るような圧力を持っていた。
「おいおい、あんまり飲みすぎないほうがいいぜ」パッシーが周りを見回しながら小声になる。
「なにがあったか知らないけど、よかったらパッシオーネに話してごらんよ」
百合香の高ぶりはその瞬間にピークを迎えていた。パッシーのやさしく撫でるようなささやきに、涙があふれそうになる。
「ごめんなさい。ペットブルを飲みすぎたのか、胸がドキドキしてきちゃって、急に……」
「言い訳なんかしなくていい」それまでと打って変わって凛々しい声。「女の涙を理解できなくて、吟遊詩人がつとまるものか」
両肩に添えられたパッシーの手からぬくもりが伝わると、ふたたび涙がこぼれそうになる百合香だった。
「まだ噂でしかないんですけど、ナイトビートがなくなったりしたらどうしようかと、ずっと心配で……」
会場の隅、目立たぬ場所で心配ごとを伝えると、パッシーの顔はだんだんと曇っていく。話を聞き終えても、口を開くことなく切なそうな目を浮かべるだけだ。
普段とは違った様子に百合香が心配になりはじめた頃、ようやくパッシーがこちらを向いた。
「だから、ボクはトモスケの結婚に反対したんだ」パッシーはぎこちない笑みを浮かべながら言った。「音楽や美しいものを愛するトモスケにとって、あの奥さんは今風に言えばクール過ぎるんだよ」
「と、トモスケって、絹神会長と仲がいいのは知ってましたけど、結婚のことまで……」
「彼女は目の前のことを見つめすぎて、将来の夢など馬のエサくらいにしか思ってない。まりあが、そんな母親の教えに従ったのなら……」
「ナイトビートはおしまい、ですか?」
「いや、ナイトビートどころか、音の子書房そのものだってわからない。会社ごと売り払えば、贅沢しながら暮らせるだけの金が入るはずだからね」
「そ、そんな……」
「とにかく、噂は噂だよ。雑音を気にすることなく、今を精一杯過ごせばいいさ」
「……」
「だいたい、吟遊詩人なんて昔から政治や経済に介入しないものでね。アドバイスで人助けをする暇があったら、謡いながらさまよう時間を選ぶのさ。悪く思わないでおくれよ」
別に百合香はパッシーに救いの手をさしのべてほしかったわけではなかった。悩みを打ち明けることで、少しは心の負担が減るかと思っただけだ。
-なのに、パッシーは吟遊詩人気どりで、見てきたようなウソまで並べている。
たとえ言ってることが間違っていなかったとしても、パッシーが見せた他人事のような態度には腹が立った。いや、むしろあきらめのような気持ちだろうか。
「悪くなんか思いません。ただ、間違ったひとに間違ったこと打ち明けちゃったなと、自分を責める気持ちでいっぱいです」
それだけ言うと、百合香は足早に会場から出ていった。ただ後姿を追うパッシーの目には苦渋の色だけが浮かんでいた。
数日後、ナイトビート編集部に新たな会長、絹神まりあが現れた。新任の挨拶だと、カジュアルな様子は崩さなかったものの、急な登場に編集部員は揃って身を固くした。
「ナイトビートの可能性は大いに認めているつもりよ」まりあの声は穏やかで、よく通るものだった。「部数の向上は言うにおよばず、特集や記事についても私が知る限りでは競合他誌を引き離している。ナイトビートは善戦している、そう考えています」
地味なスーツに身を包んだ五十年配の小柄な女性。庶民的なミディアムボブのヘアスタイルや、指輪ひとつ身に着けていないのを見ると、保険の外交員かのように見えなくもない。
だが、態度物腰から発せられるオーラは並大抵でなく、普段はどんと構えた古賀でさえ小さくなっている。
「ここで皆さんと共有しておきたいのだけど、私が言う可能性というのは我が社におけるものと、さらに広いフィールドへ向けたもののふたつあると考えてください。どちらのパターンを選んだとしても、ナイトビートや編集部の皆さん、そして経営陣にとってもベストとなるよう、私は全力をつくします」
話しているまりあの身体から発せられる生命感や力強さは、これまで百合香が目にしたことのないものだった。気圧されるとはまさにこの時のことで、ヘビににらまれたカエルのように身をすくませていたのだった。
「では、さらなる奮励努力を期待していますよ」
慇懃な会釈を残してまりあが去ると、三人そろって大きなため息をつく。
「ちょっとぉ、この大事なタイミングで西川ちゃんはどこに行ってんのよ」
ようやく古賀が口を開いた。まりあの登場はあらかじめ伝えられていなかったとはいえ、編集長の西川は折悪く不在だったのだ。
「しょうがないっすよ、離婚調停で家裁にいっちゃったんスから」
小田原が顔をしかめた。
「まったくもぉ、まだグズグズやってたんだ。だったら、さっきの話、小田原ちゃんから伝えておいてよね」
「伝えるって、新しい会長が来て『ナイトビートは善戦してる』ってほめてたよって言えばいいんスかね」
「愚か者め! 善戦してるなんて言ったのは前置きよ。肝心なのは、社内に残る可能性と、広いフィールド、つまり会社の外へほっぽり出される可能性のふたつがあるってこと。ちゃんと聞いてたの、アンタ?」
「ムム!」口を真一文字に結んだ小田原だったが、横を見れば百合香もまた同じような顔になっていた。
「おそらく、まりあ会長はまだナイトビートをどうするのか決めかねていると、アーシは見たね。これからも売り上げを伸ばしてくれるなら社内で囲っておこう、ダメならどっかに売り飛ばそうか、てなニュアンス?」
「ということは、これから売り上げや広告収入が増えたら生き残れるってことですか?」
百合香が一縷の望みにかける病人のような顔つきで言った。
「まりあ会長の言葉を信じればそういうことだと思うけど、決してハードルは低くないわよ。例えば、広告収入がこれまでの倍になるとか、実売率がじゃんじゃん伸びるとかね」
「倍倍ゲームとはこのこった」小田原がやれやれとばかりに首を振る。
出版ビジネスにさほど詳しくない百合香でも、売り上げにまつわる数字を倍にするのがどれほど難しいかは想像がついた。
「じゃあ、わたしたちができることって?」
「そうねぇ、少なくとも家庭の事情を仕事場に持ち込むような真似はやめたほうがいいわね」
西川編集長へのあてつけを聞いた小田原は我がことのように顔をしかめた。
「冗談ぬきにしてさ、広告やタイアップの取れそうな企画を増やして、クラブにも直売してくれるように頼むとか、オレたちがやれることは結構あるぜ」
「焼け石に水って気もしないではないけど、とにかくやれることはやってみなくちゃね」
小田原や古賀の望みを捨てていない姿勢に百合香は心打たれた。
-わたしに出来ることがあるなら、絶対やらなくちゃ!
そう決意した百合香の瞳には、なにかの光が灯っていた。
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