第4話
パッシーを表紙モデルにしたナイトビートはそこそこ売れた。中世の物語を思わせる絵作りのおかげで、アニオタまでもがジャケ買いをしてくれたからだ。けれども、編集部としては嬉しい反面で面倒なことも起きていた。
「ではパッシー担当に代わりますので、お待ちください」外向きの声で電話を保留すると「ユリカ! 北海道のクラブ〈トーチカ〉から。パッシーをブッキングしたいってよ」と、古賀が地声に戻った。
「ちょっと待ってください。こっち、断ってますんで」送話口をおさえ、見えない相手に頭を下げつつ電話を切ると「お待たせしました、編集部の三嶋と申します。DJパッシーのブッキングをご希望とのことですが……」
表紙を飾ったことでパッシーは全国的に顔と名前が知れ渡ったものの、本人が連絡先を明かしていないため、問い合わせやブッキングの依頼が編集部に来るようになってしまったのだ。そのため、編集長や小田原が代休をとった日は電話応対だけで日が暮れる。
「ねえ、今日だけで何本きた? これじゃアーシら仕事になんないよ」
進行担当の古賀こと、古賀恵美は四十代のチャキチャキ女子だ。とにかく仕事が早く、能率的で頭も切れる。業務委託の契約社員とはいえ、音の子書房でその名を知らぬものはおらず、小田原はもちろん西川編集長にしても頭が上がらない。
「あいつに言ってやんなさいよ、編集部はマネージャーじゃないよって。仕事をトスしてあげたからって、ユリカがお小遣いもらえるわけでもないでしょ」
髪をお団子に丸めて頭の上にのせたヘアスタイルと、黒ぶちのごついメガネがトレードマークで、仕事一筋な女性に思われがちな古賀。
-だけど、洗面所でメガネを外した素顔をみたら、つぶらな瞳と整った鼻筋でかなりの美形なのよね。
「ですよねー」百合香は頭をかかえ「だいたい、ウチだって連絡先を知ってるわけじゃないのに、面倒なことになっちゃって、ほんとスミマセン」
「でもさー、クラブのDJ営業はともかくとして、会長案件どうするの。早いとこパッシーに連絡つけないとヤバくねーか」
「ですよねー」今度はさらに深いため息が加わっていた。
会長案件というのは、どこかのアーティストがプロモーションビデオにパッシーをDJとしてブッキングしたいというものだった。ヒップホップのグループらしく、彼らが歌っているバックで「パッシーさんのクールなパフォーマンスをインサートしたい」のだそうだ。そのアーティストが所属するプロダクションの社長が絹神音大の有力OBらしく、いやらしいことに絹神会長を経由して出演オファーをしてきたという。
「だから、パッシーからマネージメント料もらっちゃいなよ。そしたら、校了後の飲みもチャラにできんじゃん」
「ですよねー」とふたたび頭を抱え込むのと同時に電話が鳴り、百合香と古賀は困った顔で目を見合わせていた。
電話応対に懲り懲りして、その日は珍しく定時であがることに。酒好きの古賀から飲みにでも誘われるかと思いきや「推しの舞台がある」とかで、百合香はまっすぐに帰宅することにした。
最寄り駅を降りると人だかりが出来ていた。駅前に区長選挙の街宣車がとまり候補者が屋根の上から「清き一票を」と声をからしていたのだ。
興味のなかった百合香が人混みをやり過ごそうとしていると、ひときわ大きな声がスピーカーから響いてきた。
「ラララ〜 今日も応援してくれたお友達! たくさん集まってくれて、サンキュー」
「パ、パッシーじゃん」と選挙カーを向いたら、まんまと目が合った。
パッシーはプラチナブロンドの髪色を真面目そうな黒に変え、ブラックスーツには地味なネクタイまでつけていた。とはいえ、緩んだ口元からチャラさはにじみ出ており、それが逆に中年女性の聴衆を惹きつけていたのかもしれない。
「ラララ~ あんなうら若きお嬢さまが安心して夜道を歩ける ラララ、小此木候補なら、そんな街づくりを必ず実現、イエー」
ご丁寧にも百合香を指さすものだから、誘導された聴衆の注目まで浴びる。
-ラララじゃないわよ!
声に出ない叫びをパッシーに向けると、例のぎこちないウィンクが返ってきた。
「こんな美味しいタイ焼きを毎日食べられるなんて、ユリカちゃんが羨ましいよ」
チャラチャラした応援演説が終わると、パッシーは待ち構えていた百合香を街宣車の中へと呼び込んだ。差し入れられた駅前のタイ焼きをおいしそうにほお張る姿を見ると、山ほどあった言いたいことが出てこない。
「別にユリカちゃんの家があるから引き受けたわけでもないんだけどさ、なんかこう、絆? みたいなもの感じちゃってさ」
「絆とか応援演説なんてどうでもいいんですけど」わけてもらったタイ焼きを手に、膝を乗り出す百合香。「おかげさまで、パッシーさんが表紙のナイトビートが売れ行き好調でして」
「いいね。で、次もボクにってことだね」
「それも嬉しいんですが、実はPVに出演してほしいってオファーがきてまして」
「断る」
「また、それですか」
「なんちゃってー。からかってみただけなのに、そんなふくれっ面しないでよ」
「もう、面倒くさいひとですね。でも、今度ばかりはパッシーさんも断りづらいと思いますよ。なんたって、仲良しの絹神会長からの案件なんですから」
抹茶をすすりはじめたパッシーに、百合香はひと通りの説明をした。
「面白そうだけど、そのアーティストが演奏する曲ってどんな感じなのかな。ほら、ボクにもイメージってものがあるから、軽々しく引き受けるってわけにはいかないんだよね」
「ご安心ください。パッシーさんも大好きなラメ達磨、ヒップホップグループです。吟遊詩人といえば、古のラッパー! ヒップホップとの相性は抜群じゃないですか」
「ふむ。とにかく、ホノカが生まれ変わったユリカちゃんの頼みだ。ここはひとつ、男気を見せてやるとしよう」
「わけのわからないことブツブツ言ってないで、鼻の下のお抹茶を拭いた方がいいですよ」
ティッシュをさし出しながらも、百合香の胸の内はほんのりと温まっていた。
撮影当日、百合香は編集部のパッシー担当として同行取材が命じられていた。スタジオの外でパッシーを待つ姿は、あたかもマネージャーのように見えただろう。グランデサイズのラテが冷めかけたころ、パッシーはくたびれたママチャリに乗って現れた。
「待ったかい、ユリカちゃん」錆びついた自転車にまたがっていても、パッシーの気取った態度はまったく変わらない。ただ、その日はスーツでなく三本線の入った黒いジャージ姿で、いつものゴールドチェーンは本数が増えていた。
「ん、気づいてくれたみたいだね、70年代のヌーヨーク、ブルックリンの通行人コーデだよ」
ヌーヨーク? 通行人てどうなの? 突っ込みたい気持ちをおさえ「ちょっと、時間が押してますんでコーデ自慢はラメ達磨にしてあげてください」と、パッシーを急がせた。
「おはよーございまーす。パッシーさんと、ナイトビートの三嶋でーす」
だだっ広いスタジオの奥にかたまったスタッフに声を張り上げた。全員が振り向き、真ん中のあたりにはラメ達磨の三人がいる。
「おはよっす、ディレクターのガッキーこと稲垣っす」バケットハットに金縁メガネ、無精ひげを生やしたいかにもな業界人。
「はよっす」「よっす」「ウス」顔を含めて見えるところすべてタトゥーがはいった三人がきちんと頭を下げた。対するパッシーは「ワサップ、ブロ」とにわかラッパー気取りで、見ているこちらが赤くなる。
「さすが、パッシーさん! ヌーヨークスタイルで、ありがたいっす」稲垣が大口を開けた。-ヌーヨークって流行ってるのか?
「実はクラブでもラメくんたちの曲、ドロップしまくってんだよ。ラララ~ 諍いは不愉快 たがいにギョーカイ 暖かいけど半端ない」
パッシーが彼らの曲を妙な動きとともにくちずさむと「うほ」「ムホ」「ウス」と、ラメの三人がほおを緩めた。
「さすがパッシーさん! ダンスのキレも最高じゃないすか」
-え、あのクネクネがダンス? 百合香の懸念をよそに、稲垣は調子よくしゃべり続けた。
「今回はラメ達磨にとって初の本格的ラブソングで、切ない系なんすよ。そんで、ラメたちが忘れられない恋人と夢の中で踊るってシーンも撮るんですけど、パッシーさんにも踊ってもらえるとイメージ完璧なんですけどねー」
「断る」
パッシーの硬い声が、和やかだった場を凍らせた。開いた口が閉まらない稲垣、手のひらを上に向け「いったい、どうして?」のポーズになるラメ達磨。スタッフらの動きも一瞬にして止まっていた。
「なんちゃってー」絶妙なタイミングでパッシーが言う。子供じみた悪ふざけでも、朗らかさが嫌味を帳消しにしてしまうのがパッシーのずるいところか。
「またまたぁ、パッシーさん最高!」間髪入れずに稲垣がフォローしたことによって、その場の雰囲気はすぐさま和やかさを取り戻す。
「やると思いました」百合香はそっとパッシーに囁いた。
悪びれるでもなく「フフン」と鼻を高くするパッシー。
「でも、相手がわたしだからいいんです。吟遊詩人なら王様の前ではやらないでしょ。それと同じで、ラメ達磨はクライアント、いうなれば王様なんですから!」
「……」百合香をじっと見つめた瞳になにかが灯る。が、次の言葉で百合香はガクリと膝の力が抜けていた。
「ようやく、信じてくれたんだね。嬉しいよ、ユリカちゃん!」
百合香の心配は杞憂に終わりそうだった。撮影は順調に進み、ラメ達磨の後ろでDJ機材をそれらしく触っていればいいのだから「楽といえば、楽なんだけどね」とパッシー自身も鼻歌まじりだ。
スタジオで音の収録はなく、後からサウンドエンジニアがDJ的なスクラッチやエフェクトを追加すると聞いて、パッシーは残念そうな顔を浮かべていたものの、-歌いだしたりしたら面倒だ。という百合香の懸念も消えていた。
「そろそろダンサーさん入ってもらってー! 夢のダンスシーン、いってみよー」声を張り上げた稲垣のもとにひとりのスタッフが駆け寄り、なにやら耳打ちをしている。
「は? ダンサーがひとり欠席だと?」稲垣のオクターブが上がった。「ラメの三人分しかいないって、どうすんだよタコ!」
丸めたシナリオを振り回す稲垣に、頭を下げ続けるスタッフ。その様子を見かねたのか、セットからパッシーが近づいてきた。
「ヘイヘーイ、領民はいじめすぎると反乱を起こしちゃうよ、どうしたんだい王様~」
-ここで出すのか、吟遊詩人コンセプト? おっとりしたパッシーに白い目を向けた百合香。
「いやぁ、夢のシーンで踊るはずだったダンサーなんですけど、パッシーさんのお相手が体調不良とかで急に休んじゃったんですよ」
稲垣がバケットハットを胸の前で握りしめた。
「フムフム」と思案顔を浮かべたのも束の間、パッシーが指をパチンと鳴らした。「だったら、彼女と踊るから問題なし! だよね、ユリカちゃん」
「いやいやいや、なに言ってんですか、パッシーさん。ほら、稲垣さんだって驚いてますから」
鳴らした指でさされた百合香は顔をあからめ、首をふる。
「うわー、言われてみたらイメージにぴったりだ。さすがパッシーさん、専属ダンサーがいるならそういってくださいよ。なんちゃって」
-専属ダンサーじゃないし! と抗議の目を向けたものの、ふたりはどこ吹く風。
「これでグラミー賞が一歩近づいちゃったよねー」などとパッシーは稲垣とハイタッチ。
「わたし、ダンサーなんてできません!」
百合香がこわばった声をあげると、稲垣とパッシーがぎくりと身を固くした。
「そんな経験はないし、お話も聞いていませんでしたので、すみませんが……」
「み、三嶋さん、そう難しく考えなくたって、ノリでいきましょうよ、ノリで」
一度はひるんだ稲垣だったが、とりなすような調子でにやけ顔をむけてきた。
「なんと言われても、できないものはできないので、ほかをあたって……」
「ちょっと待って、ユリカちゃん」高ぶった百合香の肩に、そっと手を回したパッシー。「気持ちはよくわかる。ディレクターの言い分も無茶かもしれない。でもさ、これも経験のひとつだと受け止めることはできないかな」
「経験だなんて思えません。そんな経験したくもないし」
「だったら、しなくても構わない。けど、君は経験する機会を断ったことを忘れないはずだ。初めてダンサーとしてPVに出るという経験と、チャンスを蹴ったという記憶のどちらが笑って思い出せるか考えてみたらどうだい」
チャンスを蹴ると聞いて、脳裏に浮かんだのは演奏会でのセクションリーダーを打診されたことだった。百合香は初めての大役に戸惑い、また先輩への遠慮も手伝って初のリーダー役を断っていた。小さなしこりが胸の内から、喉元へせりあがってくる。
唇をかみしめ、パッシーを見上げると誘うような瞳と目が合った。その刹那、小さくうなずいたパッシーが「じゃ、着替えをお願いしまーす」とスタイリストに声をかけていた。
「どうよ、収録うまくいってる?」メイクルームで着替えの最中、小田原が電話をかけてきた。
「どうもこうも、なんだか妙なことになっちゃって」
百合香が踊ることになったと告げると、小田原は驚くでもなく気安い声で応えた。
「あるある、そういうこと。ガッキーは現場に強いって有名だから、問題なーし」
電話を切ると、百合香は眉根をよせて宙をにらんでいた。
しかし、ダンサーに簡単なステップを教わってみると「やだ、なんか楽しくなってきたかも」とまんざらでもない様子。そもそも、いかついラメ達磨のプロモーションにダンサーの出る幕は多くない。ダンスもシンプルなステップだったので、-どうにかついていくのは出来そう。と百合香が安心したのも無理はなかった。
「ハイ、オッケー! イメージ通り! じゃ、ラストのハグいこっか」
-ハグ? 聞いてませんけど!
目を白黒させる百合香を尻目に、ダンサーたちがそれぞれラメ達磨のメンバーに寄り添った。
「三嶋さーん、パッシーさんの横でスタンバってくださーい」稲垣が丸めたシナリオをメガホンがわりにして叫ぶ。時間でも気にしているのか、遠慮のかけらもない。
「そんなに照れなくても、大丈夫だよ」両手をひろげ、スタンバイ態勢のパッシー。グリム童話なら、いまにも赤ずきんを食らいそうな狼といったところ。
-もう、まいっちゃうなぁ。
パッシーの嬉しそうな顔を見ると「これも仕事か」と割り切る気持ちも湧いてきた。
「ハイ、レディー……アックション」一流監督気取りな稲垣のかけ声。
スピーカーから流れていたヒップホップ調の強いメロディーが一転し、物悲しいバイオリンのエンディングが流れ出す。
旋律に合わせ、パッシーの両手が背中に回される。百合香の両腕もパッシーの腰に添えられ、ふたりの体がゆっくりと近づいていく。
「ハイ、カット! パッシーさんと三嶋ちゃん、ちょっとかたいんじゃないすか。リラックスして、テイク2!」稲垣がシナリオで膝を叩く。
バイオリンが鳴り、パッシーの両手が背中に回ったところで、再び「カット!」の声。これが何度か繰り返されると、周囲の目を意識してしまい、百合香の身体はますます縮こまっていった。
「三嶋ちゃん、パッシーさんのこと彼氏だと思って積極的に! ハイ、レディー!」
何度かNGを出した後、稲垣はパッシーにさえ尖った声を浴びせていた。
これに恐縮した百合香がさらに身体をこわばらせると、パッシーが「ボクのこと、ポケットモンキーとでも思って、甘えさせてよ」ちらりと白い歯を見せた。
—ポケットモンキーなんて見たことないわ。心の中で笑ったのがよかったのか、こわばりがとけていく。
背中を抱きしめるパッシーの腕が心地いい。やわらかく温かなハグに応えようと、百合香もそっとパッシーの胸に顔をうずめた。すると、かすかなささやき声が届いた。
「ずっと、ずっと会いたかった……」
-え? なんていったの?
そう百合香が顔を上げたところで「オッケー! サイコー!」と稲垣の叫び声。そして、糸がほどけるようにパッシーの身体は離れていった。
背を向けたパッシーに声をかけようとした百合香だったが、それより先にラメ達磨と稲垣がパッシーを取り囲んでいた。肩をくんで互いに声をかけあうパッシーたちを、百合香はじっと見つめるだけしかできないでいた。
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