第3話

パッシーへのインタビュー当日を迎えると、小田原は百合香以上に緊張していた。

「なんたって、神秘のDJパッシーさんだもんな。よくぞブッキングできたって、ボーナスやりたいくらいだよ」

「ヘヘヘ、たまたまですよ、ラッキーだっただけですってば」それでも、撮影スタジオのセットに立った百合香は得意満面だった。

「けどさ、ほんとにこんなセットでいいの? おとぎ話風というか、お城の中というか、パッシーさん気に入ってくれるかね」

「もちろん! なにしろコンセプトは吟遊詩人ですからね。宮廷で愛の調べをリュートでかき鳴らすイメージ、ぴったんこじゃないですか」

 石の壁をコピーしたバックに、バーガンディのカーペット、ゴブラン織りの壁掛けやら金色の猫足がついた椅子など、ゴージャスな表紙撮影セットはナイトビート創刊以来の仕掛けだった。

「西川さんに見せてあげたかったな」しんみりと小田原がつぶやいた。

「いやいや、死んじゃったみたいな言い方やめてください。沖縄のフェスに出張してるだけでしょ」

 そうこうしている間に、受付から「ビートのお客様が到着されました」と連絡があり、ふたりはエレベーターの前で出迎えた。

「チャオ~! ナイトビートの諸君、コルネリオ・イル・パッシオーネ参上しちゃったよー」

 フロアで歌い出した陽気さそのもので現れたパッシー。髪色がプラチナブロンドに変わっていて、色白な小顔をより引き立たせていた。シルクとベルベットを使った黒いディナージャケットに、深紅の側章つきパンツはカジュアルなナイトパーティをイメージしたものか。そして、例によってロサンゼルスのギャングがつけていそうな極太のゴールドチェーン。こればかりは-わたしがスタイリストなら最初に外したいもの。だった。

 しかも、フルネームを名乗ったということは上機嫌な証拠に違いない。百合香はウキウキしながらセットへと案内した。

「おお! これぞヴェッキオ宮殿、控えの間じゃないか。ここでよく午睡をさせてもらった」

 パッシーが吟遊詩人の小芝居を続けている間、小田原が百合香を肘でつつき「やったね!」と目顔でサイン。百合香も大きくうなずいてみせた。

「で、リュートはどこかね? せっかくだから、弾いてるシーンを撮影したらいいんじゃないかな」猫足がついた椅子にちゃっかりすわっていたパッシーが楽器を奏でる仕草。

「はい、こちらにご用意いたしました」百合香はうやうやしく楽器をさし出した。

「ん、ユリカちゃん、これはビエウラじゃないか。ペルシャやアンダルシアの吟遊詩人が弾いてた楽器だから、ちょっと雰囲気でないかなぁ」

「た、大変申し訳ございません! わたしとしたことが、とんだミスしでかしちゃいまして」

 青い顔になって慌てる百合香に、「だったら、ウチの倉庫探してくるよ」小田原が駆けだそうとした矢先のことだ。

「リュートなら、ここにある」乾いた紙をこするような声がしたかと思うと、車椅子を押されて、ひとりの老人が現れた。リュートらしき楽器を弱々しくかかげ「チャオ。コルネリオ」といくらかトーンをあげた声。

 やにわにパッシーが立ち上がり、老人に向かって駆けだしていた。

「トモスケー!」パッシーが老人を抱きすくめると、老人はパッシーの背をなでる。よく見れば、老人の目にはうっすらと涙まで浮かんでいる。

「やっぱし、会長と仲がいいって噂はガチだったのか」

 小田原は涙もろいのか、頬を紅潮させて今にも泣き出しそうだ。

「世間って案外と狭いものですよね」と受けたものの、スタジオをおさえている時間も気になった百合香は「じゃ、そろそろ撮影お願いしまーす」とクールな声を張り上げた。


 むろん、セットも気に入りリュートまで手にしたパッシーの撮影は好調に進んだ。カメラマンの傍らで絹神会長がにこやかに微笑んでいたのを見て、百合香が胸をなでおろしていたのは言うまでもない。

 そこで、パッシーがメイクルームに入ったのを見計らって、百合香は会長のそばに近づいた。

-この際、いくらかでもポイントを稼いでおくのも悪くないアイデアでしょ。

「会長はパッシーさんとすごく仲がよろしいんですね」

「うむ。ワシが君くらいの歳から付き合ってきたのだ」

「と、言いますと?」

「昔すぎて忘れたが、コルネリオが富津から東京へ出てきた頃に知り合った。街角で薄汚いかっこうをして歌っていたんだが、それがまた絶品でな。作曲家を目指していたワシはすぐに仲良くなった」

「富津から? 街角で歌? ほんとに設定がしっかり出来てるんですね」

 百合香の相槌が聞こえていないかのように、会長は乾いた声で話し続けた。

「あの通りのいい声だ。なにを歌わせても聴いているものの胸に響く。ワシが作った曲も歌ってくれたが、やはり白眉はコルネリオの即興だ。一度でいいから古の宮廷で歌う姿を見てみたいと、何度願ったことか」

「なんといっても吟遊詩人ですもんね、クラブDJもいいけど……」

 百合香の言葉はシミだらけの手で遮られた。

「いま、なんと言った?」

「は? わたし、なにかお気に障るようなこと言いました?」

 会長の険しい声に、百合香は青ざめた。

「いや、ワシの耳にはたしか吟遊詩人と聞こえたが?」

「ああ、パッシーさんは吟遊詩人てコンセプトで頑張ってらっしゃると……」

「な、なんだと……君は、まさかコルネリオの秘密を知っているのか」

 シジミのように小さかった会長の目が大きく見開かれた。

「はい。以前、コンセプトは吟遊詩人だって教えていただきましたよ」

「君は勘違いをしているな。コンセプトなどではない。コルネリオは正真正銘、吟遊詩人の生まれ変わりなのだ」

「ホホホ、よほど会長もお気に入りなんですね。そこまで応援されるなんて、パッシーさんは幸せ者ですこと!」

 会長が耳まで真っ赤になったのを見て、百合香はお付きの人に「お体に障るといけませんので、そろそろ」と頭を下げた。撮影中にもしものことでもあれば、ポイントどころの話ではない。

「なにコソコソ話してたんだい?」車椅子を見送りながら、小田原が怪訝そうな顔。

「ボケてるって噂もガチでした」指で頭をさしながら、百合香は沈痛そうな表情を浮かべてみせた。


「インタビューはボクとユリカちゃんのふたりきりでお願いできないか」

 スタジオ撮影が終わると、パッシーは悪びれることもなく言い出した。

「構いませんよ。原稿起こしも三嶋が担当するので」小田原が調子よく決めてしまった。

 正直なところ、パッシーとふたりきりになるのは気が重かった。クラブで出会った時の気まずさや、捉えどころのない態度、なにより対面で歌われようものなら、どう反応していいか分からない。救いは、パッシーへの質問項目を小田原が作ってくれたことで、それに従って進めれば無理やり話題をひねり出す必要もないということくらいか。

「では、最初の質問なんですが、DJになったきっかけを教えてください」

「そんなことよりさ、ユリカちゃんのこと教えてくれないか。例えば、生まれ故郷とか、好きな食べ物とかさ」

 最初っからこれだ。百合香は聞こえなかった体で、最初の質問を繰り返した。

「まあ、淑女に秘密はつきものだからね、フフフ」鼻の横にしわをよせた顔がいたずら小僧のようで愛らしい。ぎこちないウインクをすると、ようやくパッシーが前に乗り出した。

「DJというものを知ったのは、1965年のベトナムだった。戦場で兵隊たちを勇気づけるディスクジョッキーという役割はずいぶんと尊く見えたね。彼の場合はトークと、ヤンキー好みのロックだったけど、ボクには謡うことでディスクジョッキーと同じことができると思ったんだ。そのDJはずっと後に『グッドモーニング・ベトナム』って映画になった。知ってるかい?」

「残念ながら、わかりません。とにかく、映画を観たのがきっかけということでまとめさせていただきますね」

 見てきたように話すパッシーには呆れるのと同時に感心していた。そこまで自身のコンセプトを貫ける者は滅多にいないだろう。

「では、記憶に残っている中で一番古い曲はなんですか?」

「古いどころか紀元前のことだ。ホメロスがオデュッセイアを作っている最中、ずっと調子っぱずれな歌をうたっていてね。これがいつまでたっても耳に残ってる。さわりだけ、やってみせようか」

「大丈夫です。ていうか、紀元前だと読者もレコードを探せないので、現存する曲でお願いできませんか」

「だったら、ジョヴァンニ・バッティスタ・サンマルティーニはどうだ。教会の音楽ばかりやっていたんだけど、ボクは歌劇をすすめた。そしたら向いていたんだろうね。いい作品をじゃんじゃん作ったんだぜ」

「ねるほどですねー。ここまでの吟遊詩人的なセレクトも結構なんですが、ちょっとだけナイトビートに寄せてもらうこと、お願いできませんか」百合香は片目をつぶり、手を合わせた。

「だったら、メイラー・スウィフトでもラメ達磨でもユリカちゃんの好きなアーティストを書いておいてよ」

「そういうわけにも……」投げやりな態度に腹が立ちかけたが「そしたら、アンジェロ・マッツォーラなんてどうですか? パッシーさんはクラブでクラシックもかけますよね」ダメ元で聞いてみた。

「聞き覚えのある名前だな。いつ頃のアーティストだい?」

「19世紀のはじめ、ギターやマンドリンの曲をたくさん作っていて、イタリアでは今でも大人気です」百合香の好きな作曲家で、マンドリン奏者でもある。

「いいじゃないか。残念ながら、その頃のボクはインドのあるマハラジャに仕えていてね、毎日ゾウと一緒に歌っていた」

「パッシーさんとならゾウも歌いそうですね」思わず笑いがもれた百合香。

「歌うどころか、踊っていたよ。足を踏まれないようヒヤヒヤしていたけどね、ハハハ」

 こうして一緒に笑うと、パッシーはごく普通に愉快な人物だと感じられた。小田原が言ったとおり、-わたしはDJに対する偏見を持っていたのかもしれない。

 最後の質問を終えると、パッシーは立ち上がって「楽しかった。ありがとう」と握手を求めてきた。出された右手を握り、百合香も頭を下げつつ「そうそう、会長から聞いたんですけど、パッシーさんって富津のご出身だそうですね。わたしの祖母も富津だったんですよ」と世間話のノリで言ってみた。

「……そうか……奇遇だね」

 触れたくない話題だったのか、パッシーが珍しく口ごもった。

「ああ、ごめんなさい。そんな個人的な話題はいけませんでしたね、ほんとスミマセン」

「いやいや、不意を突かれて驚いただけだよ、チャオ!」

 それでも、別れ際にはいつもどおりぎこちないウインクに、大げさな投げキッスまで。

-やっぱりDJってやつは油断も隙もありゃしない、と心の中で笑っていた。


「パッシーさん、どうだった?」

 編集部に戻ると、小田原が退屈そうに雑誌をめくっていた。

「小田原さんの言う通り、パッシーさんはわりと真面目なDJでしたよ。ウフフフ」

「なになに、その意味深な笑いは? なんか嬉しそうじゃない」

「そう見えるとしたら、小田原先輩のおかげです。なんちゃってー」

 仕事を終えた達成感もあったが、心を満たしていたものはそれだけではなかった。その正体に、百合香はずっと後になって気づくことになった。

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