第5話

 ラメ達磨の新曲CDを付録にしたナイトビートは、パッシーを表紙にした号と同じくらい売れ行きが良かった。

「けどさぁ、ユリカとパッシーのラブシーンをカットすることはないよね」古賀が赤ペンを振り回しながら口を尖らせた。

「あ、あの、ラブシーンじゃなくて……」

「だって、抱き合ってチューってラブシーンでなくてなんなのさ」

 あたふたする百合香に、小田原が訳知り顔を浮かべて言った。

「そうはいっても、PVの主役はラメなんだから。チューがカットされても文句いえないよ、なあユリカどん」

「は、はあ」返答に困った百合香はうつむいた。

「で、パッシー本人はどういってるわけ? ラララ~ そりゃないぜ、ベイビー的な?」

 古賀の不器用なモノマネに、小田原がコロコロと笑っていた。が、収録を終えたパッシーとの別れ際を思い出すと、百合香は素直に笑うことはできなかった。


「パッシーさん、おつかれさまでした。今日は、迷惑かけちゃって申し訳ありません」

 ママチャリに乗り込もうとするパッシーに頭を下げた。

「迷惑だなんて、見当違いだよ。ユリカちゃんは、ボクやスタッフと同じく精一杯の仕事をしたじゃないか。それに、経験だって積めたんだし」

「精一杯のレベルが違いすぎて、絶望しちゃいました」

「ナポレオンの昔から、絶望は愚か者の結論だよ」白い歯を見せると、自転車に乗り込んだパッシー。

「あ、待ってください。さっきハグした時……なんて言ったんですか」

 百合香が耳にしたささやき声に、普段の朗らかさは微塵もなかった。どこかくすんで、寂しさのにじんだニュアンスは、パッシーが発したものとは思えなかったのだ。

「……いいんだ。忘れてくれ」

 パッシーは振り向くことなく右手だけをあげると、ペダルにのせた足を踏み込んだ。

 カタチにならない気持ちが胸のうちでゆれていた。ラストシーンで鳴っていたバイオリンの響きとともに、なにかが百合香を戸惑わせる。

 軋む自転車を見送ると、百合香は小さく首を振り、駅への道を進み始めていた。


「そ、そんなへこむほどラブシーンのカットが悲しかったの」

 物思いに沈む百合香に、古賀があわてて声をかけた。

「いえ、ちょっと、その別のこと考えちゃってました」その場を繕うように作り笑いを浮かべた百合香。

「だったら、ユリカどんにぴったりな仕事があるよ。富津の岬まつり、ほんとは編集長が行くはずだったんだけど、ほら腸閉塞で入院しちゃったじゃん」

「オダワラちゃんにしてはグッドアイデア! 海のそばでいい風あびたら気持ちいいもんねー」

 小田原と古賀が会話しながらもチラチラと百合香の様子を伺っていた。

「しかも、夜の部にブッキングされているのが女性DJの中でも注目株のキッカちゃんだからね! 同じ女性同士、取材も盛り上がっちゃうでしょ」

「ユリカも可愛いけど、キッカもチョー可愛いもんね。こりゃ可愛いバトルの勃発か!」

 ふさいだ百合香のことを、ふたりはどうにかしてなぐさめようと、わざとらしいまでのはしゃぎっぷりだ。

「ありがとうございます」ふたりの思いに応えようと、腹の底から声を出す。「可愛いバトル、絶対に秒殺してきますからね!」

 富津の岬まつりのことは百合香も知っていた。富津岬を会場に、海難事故で亡くなった人々の慰霊祭として始まったものだったが、近年ではDJをブッキングしてイベント色も強めている。どうやら、ミーハーな地域おこしプロデューサーが一枚かんだあたりから〈DJを呼んで大型スピーカーを鳴らすミュージックフェス〉と化しているようだった。

-久しぶりだな、富津は。

 百合香の父親は富津の生まれで、祖父母を訪ねた記憶がかすかに残っている。亡くなった後の墓参りにも何度か行ったものの、いかんせん不便な場所にあるため、ここ数年の百合香はさぼりがちだったのだ。

-ついでにお墓参りっていったら、おばあちゃん怒るかな。

 百合香が生まれてすぐに亡くなった祖父に比べ、祖母の記憶はいくらか多かった。歳をとっていても凛とした女性で、躾けに厳しかったことを今でも覚えている。

-よっしゃ、可愛いバトルにむけて今からトレーニングしよ!

 顔色がよくなったと思ったら、なにやら柔軟体操のように身体を動かす百合香。小田原と古賀が不思議そうに見ていることにも気づくことはなかった。


 そして、岬まつりの当日、富津についた百合香は潮風を胸いっぱいに吸い込んでいた。海から離れた山辺にきても、磯の香りがほんのりと混じっていた。いずれにしろ、ほどよい湿り気を帯びた富津の空気は「絶対に東京では味わえない」大好物のひとつだった。

 それでも、小さな寺の山門をくぐると線香の匂いが鼻に届いた。まつりの取材に先がけて墓参りを済まそうと、百合香はささやかな手向け花を手に先祖の墓を目指していたのだ。

「おじいちゃん、おばあちゃん、ご先祖様、お久しぶりです」

 見覚えのある墓石を見つけると、百合香は気分よく声をかけた。富津の港で代々の網元だった三嶋家は、大家だったらしく墓石も立派なものだった。

「あれ? 先客がいた?」

 すでに、石造りの花びんにはささやかな手向け花が供えられていた。といっても、生花店で買ったようなものでなく、そこらの山でつんできたような素朴な花だ。

-野菊ね。

 幼いころ、祖母の家の近くでこの花をつんだ記憶がよみがえった。けっして華やかではないものの、可憐な花びらとけなげに空を向いて咲く野菊は大好きな花だった。

 百合香は持参した花を野菊の脇に押さえるようにして供えると「百合香はなんとかやってます。どうぞ、見守り続けてくださいね」と静かに手を合わせる。

-けど、誰が供えたんだろう。うす紫の野菊、可愛かったな。

 山門を出るとき、振り返った百合香は再び野菊のことを思い、首をひねりながらもほのぼのした気分がわいていた。


 岬まつりの名のとおり、会場は岬の突端で、はるか彼方まで見渡せそうな展望台が目印だった。すでにスピーカーやDJブースが展望台のてっぺんに備えつけられ、まつりらしくにぎやかな音楽が聞こえてくる。神事を行う一団も見えたものの、周囲には露店が立ち並び、家族連れや若者でごった返す様子に「昔とぜんぜん違うわね」と百合香は目を丸くしていた。誰か親戚にでも会うかと期待したが、混みあったなかでうろ覚えの顔を見つけるのは難しそうだ。

 気を取り直し、百合香はDJキッカにプレイ前の取材をすませようとまつりの事務局を訪れた。が、キッカは会場入りしたものの、まつりのプロデューサーとどこかで打ち合わせていると聞かされ-仕方ない、夜の部までもうちょっと時間あるし、一息いれよっか。と、事務局のテントを後にした。

 そして、露店で買った焼きそばと、事務局がくれた缶チューハイを手に、百合香は浜辺を目指した。遠浅の海岸で、母に手を引かれ砂浜を歩いた記憶をたどろうとしたのだ。

「なつかしいなー」ひとりごとをつぶやきながら歩いていると、砂浜の先に古ぼけた漁船が見えた。何本かの丸太をしき、その上におかれた漁船は腰かけて焼きそばを食べるのにはちょうどよさそうな大きさだ。

 鼻歌まじりで船べりに腰をおろし、勢いよく缶のフタを開けたところで、座ったへりの反対側からヒソヒソ声が聞こえた。

「で、どうしたの?」

「もちろん、謡ってやったさ」

「ワオ、聞かせて聞かせて!」

「そんなに聞きたいかい、フフフ」

 そこまで聞こえたところで百合香は振り返り、反対のへりをそっと覗き込んだ。そこには、キッカの肩に手を回し「ラララ~ カーメは海の子、白タマゴ~」と調子よく歌いかけるパッシーの後ろ姿。

「ムム!」

 思わず漏らした声に、反応したのはキッカだった。

「ちょっと! なに、覗いてんのよ」気の強そうなハスキーボイス。

「覗いてんじゃなく、謡ってんだよ……って、ユリカちゃんじゃないか!」

 ようやく振り向いたパッシーはいつもどおり、艶やかで鷹揚な声音。あっさりキッカの肩から手を放すと、漁船の中をわたって百合香のもとへやってきた。

「み、岬まつりの取材にきたんですけど、プロデューサーってまさかパッシーさんだったの?」

「いかにも岬まつりの音楽プロデューサーはこのボクだよ。それにしても、ここで会えるなんて嬉しさもひとしおだ。忘れないうちに、この感激を謡おうか」

 言葉どおりパッシーの顔には喜びがあふれている。陽気で朗らかなパッシーに会うと、思わず百合香も引き込まれPVの収録から胸の内にあった霧のような感情も吹き飛んだ。

 だが「あ、歌は大丈夫ですから」ぴしゃりと言い返す。そんな様子を見ていたキッカは、腕を組み口元を歪めていた。ちやほやしてくれたパッシーが、いきなり現れた別の女に微笑むのは、たしかに面白くなかったはずだ。


 百合香がそれに気づいたのは、キッカのインタビューをはじめてすぐのことだった。事務局テントの中、乱暴にパイプ椅子を引き寄せるキッカを見て百合香に緊張が走った。

「ナイトビートのひとなの、アンタ?」

 キラキラしたネイルで名刺をつまんだキッカが眉根を寄せた。

「あ、はい。編集部の三嶋と申し……」

「つかさぁ、ほんとはアーシがラメのバックやる予定だったって、知ってる? それを、ガッキーのボケナスがすっかり忘れて、パッシーなんかにさ……」

 稲垣のひげ面を思い出し-稲垣さんならやらかしそう。と納得する百合香。

「アーシが達磨ニアって知ってて、呼ばないとかありえねーし。しかも、ダンサーとか呼んじゃって、ぜんぜんラメのイメージと違ってんじゃん」

 どうやら、達磨ニア=ラメ達磨のマニア的なファンらしいキッカは、自分で話しながらエスカレートしてしまうタイプらしい。

「いくらラブソングだからって、ラメとハグとかチューとかありえなくない!」と鼻息を荒げたところで、キッカが百合香の顔をじっと見つめた。

「もしかして、あんた踊ってなかった? 最後にパッシーと抱き合ったりなんかして」

「は? まさか……そういうのは……ヘヘヘ……」百合香の目が泳ぐ。

「ははーん、そういうことだったのね」

 チロリと蛇のような舌で唇をなめるキッカ。カラコンをしていても、瞳孔が大きく開くのがわかった。

「ガッキーのうっかりなんかじゃなくて、あんたがパッシーと仲良くしたくて仕組んだんでしょ! 編集部員の職権乱用じゃないの。あ、ひょっとしてラメのCDを付録につけるとか失礼なアイデアもあんたじゃないでしょうね」

「とんでもないです! わたしにそんな力もアイデアもございません」

 ほとんど泣き出さんばかりの百合香。

「だったら、さっきのあんたとパッシーの嬉しそうな顔はなに? もしかして、パッシーだけじゃなくてラメともハグしてたなんつったら、許さないかんね!」

「キッカさん、それ誤解ですよー」

 百合香の声は、荒々しく席を立ったキッカの背中に届かなかった。

-あーあ、これじゃキッカさんの取材は無理だな。

 小田原の失望と古賀のなぐさめ顔が目に浮かぶと、百合香はがっくりと肩を落とした。とはいえ、一方的になじられたにも関わらず、百合香の口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。

-思い込みであれだけ突っ走ることができるのも一種の才能ね。あれだけ、誰かのことを一途に思えるなんて羨ましい。わたしは、あそこまでの想いをもてる自信がない。

 そんなことを考えると、怒りや悔しさよりも羨望が先に立つ。

「いて座の女性は、たいていあんな感じだよ」

 いつの間にか、パッシーがすました顔で立っていた。ウミガメのゆるキャラをあしらった岬まつりのTシャツが妙に似合っている。

「キッカさんて、いて座なんですか?」

「おそらくね」-当てずっぽうか! 

「ていうか、聞いてたんだったら助けてくれてもよかったじゃないですか」

「ひどい雨の前では傘など役立たず。たまには雨に濡れるのも悪くない、なんといってもヒトの身体は完全防水だから」

「お、吟遊詩人っぽい。けど、適当っぽく聞こえます」

「そりゃあ日本語で聞くからさ。古代エスペラント語で言ったら、これほど美しい詩はないからね」

-ますます適当に聞こえてきたわ。

 とはいえ、パッシーはキッカをとりなすしてくれる約束をしてくれた。インタビューはできなくとも、ブースでプレイする姿くらいは撮影させてくれるだろう、と胸をなでおろした百合香だった。


 キッカのプレイは、集まっていた老若男女すべてを魅了していた。DJとしてのテクニックだけでなく、展望台の上でみせる派手なボディアクションや多彩な選曲には誰もが喝采を送り、夜の浜辺は大いに盛り上がった。

 クラブミュージックだけでなく、アニソンやJポップ、オールドファンにむけたロカビリーまで鳴らすキッカのセレクトには、思わず百合香も踊りだしていたほどだ。

 むろん、クラウド(聴衆)のノリがよければ、自然とDJの気分もアガる。意識先行型のキッカはなおさらで、額の汗を飛び散らせながらどんどんヒートアップしている。浮かんだ笑顔は心底楽しそうで、目が合った百合香にも手を振ってくれた。

-よかった、サバサバしたキャラで。

 安堵の思いでかたわらのパッシーを見上げると、やはり楽しげな表情。百合香の視線に気づくと「ギミーファイブ!」とハイタッチを求める仕草。

-パーリーピーポーって生き方も楽しいかもね。

 勢いよくタッチをかわした百合香は、まさしくハイな気分になっていた。

 やがて大盛況のうちに、岬まつりが終了するとパッシーやキッカ、それに百合香までもが即席の打ち上げパーティに招かれた。地酒がたんまりとふるまわれた席では、まつりのスタッフが互いをねぎらい、大勢が酒を酌み交わしていた。

「さっきはガミガミと勝手なこと言って、ごめんね」キッカが酒の入った紙コップを持って、百合香の前に現れた。盛り上がったプレイが、妙なわだかまりを溶かしたのだろう。彼女の顔に含むところは見えなかった。

「とんでもないです。インタビューの前にきちんとお話していれば……」

「いいえ、悪いのはいい加減な稲垣さんだし」と、キッカは大笑い。つられるように百合香も吹きだし、「稲垣のボケナスめ」とふたりして腹を抱えた。

「ところで、キッカさんていて座ですか?」笑いがおさまったところで百合香がたずねた。

「え? ヤギ座だけど、どうして?」

 ここでも吹きだした百合香。

「いや、世の中テキトーなひとが多いなって」陽気に笑う百合香を見て、キッカもまた笑う。

 しばらく女同士の会話が続いたところで、キッカは輪になって飲んでいたスタッフに混じっていった。百合香も誘われたが「展望台で風にあたってくる」と、その場を離れた。打ち上げだけに何度となく乾杯が繰り返され、律儀にコップをあけていた百合香は-ちょっと飲みすぎた。と感じていたのだ。

 地上五階ほどの高さがある展望台を見上げると、酔った足元が心配になる。ちらっと人だかりを振りむけば、パッシーが老婆となにか話し込んでいる。

-お祭りのスタッフかしら。それとも、前世の恋人だったりして? などとひとり笑いが浮かぶ。

 手すりにつかまりながら慎重に足を運び、ようやく一番上までたどり着いた。期待通り、浜辺よりも気持ちのいい風が吹いていて、百合香は全身で受け止める。夜の海でも展望台からの見晴らしは良く、自然と視線が地平線の彼方へ向いていた。

-カーメは海の子、だっけ? どんだけテキトーだよ。 ひとりゲラゲラと笑う。

 すると、風の音にまじって「寒くないかい」とかすかに聞こえた。耳鳴りかと、首をめぐらせるとブランケットを片手にしたパッシーがいた。

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