第4話第二幕・対立
第二幕
第二幕は4つの構成要素からできている。
前半部
ミッドポイント
後半部
セカンド・ターニングポイント
第二幕前半部
第二幕前半部はファーストターニングポイントでおこった問題を主人公が解決するように動く。
本作では、漫画=絵+お話と言うことを京本の賛美により教えられ、再び漫画を描くことを再開した藤野が、京本と共にマンガを描くパートである。
中学生になった二人は共同で漫画を作り、持ち込みをし、漫画賞に準入選する。
お金を手に入れ、藤野に街に連れ出された京本はここで街を楽しいと感じ、社会との接触に成功する。
ここで第一幕で存在した京本=絵画=アート=上位=父権vs藤野=漫画(ストーリー)=エンターテーメント=下位の二項対立が逆転し、
町に連れ出す藤野=社会性=父権=上位vs街に連れ出される京本=非社会性=子供=下位となる。
藤野は第一幕で父権を自分の権能で弾き返したが、京本は素直に藤野の父権をいったん受け入れる。
そこから二人は何作も読み切りを漫画雑誌に掲載していく。
二人で社会に出ていき、二人で取材し、二人で描く。二人が同じ方向を向いている描写が続く。
しかし、その描写の中には不穏さが漂う。
京本が藤野の社会性を吸収し、藤野が京本のアートに侵食されていくのだ。
京本が社会性を手に入れていく過程は、二人の取材シーンにあらわされ、藤野が京本のアートに侵食されていく様は読み切りの題名と表紙に現れる。
そして京本の中にも社会を知ることにより自分の中のアート(絵=絵画=風景画)に侵食されていく。京本はエンターテーメント=漫画=藤野から離れたくなっていく。
そんな折に二人は漫画雑誌に連載が決まる。
藤野は連載を素直に喜ぶが、京本はアートの渇望が臨界点に達していた。
京本は絵がうまくなりたいから美大に行きたいと藤野に話す。
ここでも絵の話しだ。京本がこの物語に提示した漫画=絵+お話とルールがある。京本は、エンターテーメント=漫画とアート=絵画に上下関係はないと思っているが、別のものだと感じている。そして本作もその考えに沿って進んでいるように思う。
この連載を二人で行うことを拒否するシーンが京本のストーリーであるサブプロットではミッドポイントになるだろう。
ここから藤野は連載を一人で始め、ヒット作家になっていく。
連載している漫画は巻を重ね、アニメ化していく。
その作品は今まで京本と作っていたアート色が強い作品ではなく、エンターテーメント性と少年漫画感が強い作品の題名となる。藤野は京本と決別することによりアートに偏りつつあった自分のバランスをしっかりエンターテーメントに戻したことが描かれている。
ミッドポイント
ミッドポイントとは作品全体の中間地点で、前半部分と後半部分を別ける場所である。ここでは前半部分の世界の常識が一気に変わる、常識やルールが反転する。
主人公の危険度が一気に上昇する地点である。
本作でのミッドポイントは京本の訃報を藤野が知るシーンであろう。
ここから本作は別の物語へと変わる。
京本の死因は美大の中に入っていった異常者が、自作をパクられたと勘違いし無差別に生徒を殺したことによるものだと知る。
ここで初めて京都アニメーション放火事件と本作は接合を見るのである。
第二幕後半
第二幕後半はミッドポイントで一変した世界や価値観の中、最初に提示した問題、セントラル・クエスチョンに立ち返り、変わった世界の中でそれを完結するために動く。
本作のセントラル・クエスチョンは「権能を失い筆を折る藤野」である。
第二幕後半は回想シーンから始まる。回想シーンで京本に自分が背中を押し、画力向上に向かわせ、決別を生んだことを思い出す。
京本の葬儀の後、京本の部屋の前で、自分が京本を外の世界に連れ出したことを思い出す。
京本を閉じた世界から連れ出し、社会を教え、アートに対する渇望を生んだのは自分だと断定する。藤野は小学校卒業式の日、京本の部屋の前で、京本のために描いた四コマ漫画を破りその一辺が京本の部屋のドアに吸い込まれる。
ここから藤野は全く知らない、京本も死んでいるので全く知らない、パラレルワールドのような世界の物語に変わる。
ここでは京本と藤野が出会った小学校卒業式の日まで遡る。
京本はこの世界線では部屋を出ず、藤野と出会わない。
一人で背景美術と出会い、一人で社会性を獲得し、一人で美大に入る。
つまり藤野が気にしていた自分のせいで京本がアートに目覚め、死んだのだと言う説は否定され、藤野は免責される。
そして現実でおきた美大襲撃事件がおこり、京本は襲われ、それを藤野が助けると言うシーンになる。
藤野は京本と出会っていないので、京本の漫画=絵+お話というメソッドを知らず、筆を折ったままだ。だから筆を折っていた途中姉と通っていた空手を止めておらず、トレーニングのためランニングしその途中で犯人に気がつき京本を助けることができた。
京本は藤野がいなくてもアートに出会っていたが、藤野は京本がいなければエンターテーメントの道には進んでいなかったことになる。
京本を救った後また漫画を描き始めたと言うセリフがあるが、それにより藤野が現実の藤野ほど成功するかまでは描かれていないため未知数である。
京本の命が救われるパラレルワールドなら、藤野の成功が犠牲となり、藤野が成功する現実世界では京本の命が犠牲になるこの構図は、二項対立的にアート=京本で、藤野=エンターテーメントであるとするなら、アートを殺さなければエンターテーメント的成功はないと言う、元も子もない話になっているように思う。
なので目線を変えてみたい。
キーワードとなるドアの下を通る四コマ漫画の行き来は上下なく、しかし夜から昼へ、昼から夜へと行われている。
夜は藤野であり、喪服であり、葬儀の後であり暗闇と絶望である。
昼は京本であり、普段着であり、明るく希望でる。
この二項対立はもう一つの側面を持つ。
京本が助かった世界は読者にしか見えていない世界だ。藤野も京本も知らない読者しか知らない世界。
京本が死んだ世界は京本も藤野も知っている世界だ。
この二つの世界は読者のみ見えていて、読者の特権性を表しているとするなら、そして作者が主人公と同一性を持つとするなら、読者のみが幸福な世界を見て、作者は辛い現実世界を生きていることが現わされる。
読者=昼=幸せな世界vs作者=夜=不幸な世界
この対立構造がパラレル世界の存在を読者しか知らないことを踏まえると浮かび上がってくる。
またこの二項対立は、京都アニメーション事件との類似性という観点から見ると、本作作者は京都アニメーション事件の読者と言うことになり、
読者(ルックバック作者)=昼=幸せな世界vs作者(京都アニメーション)=夜=不幸な世界
と、言う構図が出来上がる。
それにより、事件の部外者である者たちが、部外者であるがゆえに、もしもの幸福な世界を見れると言う結果にもなる。
セカンド・ターニングポイント
セカンド・ターニングポイントとは、第二幕と第三幕を別ける分岐点である。
物語はより不穏な方向へ動き、主人公はより危険な状態に追い込まれる。
本作では、京本は藤野に救われ、家に帰り、一編の四コマ漫画を描き、それがドアの下から流れ出て、物語は現実パート、京本の葬儀の後に戻るシーンに当たる。
ここまでが第二幕であり、ここからが第三幕に変わる。
ここまでをまとめるとルックバック第二幕は4つの構成要素によりできている。
前半部(藤野と京本が共同で漫画制作をし蜜月を迎える)
ミッドポイント(京本の死の知らせを受ける)
後半部(パラレルワールドで京本を助ける)
セカンド・ターニングポイント(藤野の元に、パラレル世界で描かれた京本の四コマ漫画が届けられる)
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