第3話第一幕・設定

第一幕


 第一幕は5つの構成要素によりできている。


 バックストーリー


 セットアップ


 インサイティング・インシデント


 セントラル・クエスチョン


 ファースト・ターニングポイント





バックストーリー


 バックストーリーは、そのままこのお話の前におこったストーリーである。


 本作はバックストーリーの記述はない。しかしスナイダーの分類ではバックストーリーの代わりにオープニングイメージがここに入る。


 オープニングイメージは、本作を象徴し、そして本編の導入として最大のフックとして機能する場面だ。


 本作は表紙の藤野が机に向かう後姿が、力強いオープニングイメージとなり、バックストーリーの代わりをなしている。




セットアップ


 セットアップとは、主人公が誰で、何をするのか、どのような状況なのかを提示する。

 本作では1~3ページがこれに相当する。


 藤野は学級新聞に四コマ漫画を描いていて、クラス内でその才能は高く評価され尊敬されている。藤野自身もその才能を信じており、自分を特別だと思っている。


 そしてここで初めて主人公藤野が描く漫画が初出する。「ファーストキス」と題名されたその作品は起・承・転・結、掴み・ブリッジ・ヤマ・オチがしっかりしているが、作画はつたない。これは言い換えればストーリーや漫画の本質的エンターテイメント性は理解しているが絵の技術は未熟であると言う今の藤野の漫画家力の提示で、完璧なセットアップの大きな部品となっている。


 この1~5ページの主な登場人物は主人公(藤野)・クラスメイト・教師である。ここで対立構造と救い出せるのは、


①藤野(子供)vs教師(大人)


②藤野・クラスメイト(子供)vs教師(大人)


③藤野(才能があるもの)vsクラスメイト・教師(才能なきもの)


④藤野・クラスメイト(漫画を基にするコミュニティの中の人)vs教師(コミュニティの外の人)


 となる。


 ここで大切になるのは才能のあるなしと、子供か大人かである。


 藤野は才能がある子供で、クラスメイトは才能がない子共、教師は才能がない大人、子供は漫画コミュニティの中にいる人間で、大人はその価値基準社会の中にいない。


 だから藤野のの才能の発露の場である聖域的学級新聞の四コマ漫画に、土足で新参者の登場を許すのである。それはそのコミュニティの存在価値を気にしていないからだ。


 藤野はこの土足で神域に入り込むがごとき教師の提案を表面的には快く受け入れ、挑発的言葉を投げかける。


 その挑発的言葉は新しく漫画を描く京本に投げかけているようで、教師に向かい放たれている。


 これは自分が中心である漫画を基にするコミュニティの強度に、その中心であり続ける自分の才能に自信があるからであるし、才能に対する信仰であるだろう。


 次のシーンでその自信は打ち砕かれ、才能に対する信仰は形を変え純化するわけだが。




インサイティング・インシデント


 インサイティング・インシデントとはきっかけとなる事件のであり、今後おこるファーストターニングポイントのきっかけとなる。


 本作では学校の教師に呼ばれ、学園新聞の四コマ漫画に一枠を不登校児の京本に譲ってほしいと相談され、一枠を譲り、藤野と京本の作品が並んで学級新聞に並んで掲載され、その画力の違いに驚嘆する部分に当たる。


 クラスメイトは藤野と京本の漫画を見比べその絵の力にとらわれる。 


 ここで使われている言葉として面白いのは、皆絵のことを誉めて、藤野の絵を普通だと言うことだ。


 京本の絵は漫画ではない、風景画だ。「放課後の学校」と題名された四枚の絵であり、四コマ漫画としては成立していない。


 写実的技法を使った風景画にはその後ろにナラティブを含み、通底する感情を、余韻を有するが漫画的ストーリーを持たない。つまり失敗作である。


 しかし、藤野を中心とした漫画を基にするコミュニティの構成員たち(クラスメイトと藤野自身)はその差に気がつかず、漫画=画力となって認識してしまう。つまりここでゲームチェンジがおこり漫画を基にするコミュニティのルールが変わってしまう。


 画力が高い=漫画がうまい、に。


 この後のシーンで、藤野の思い出が藤野の画力を誉めている回想シーンも藤野の中の漫画がうまい=画力が高いを強化してしまう。


 そして藤野は画力を上げる決意をするのだが、そこで使うテキスト群には画力を上げるテキストばかりで、漫画のスートリーやシナリオの本はない。


 つまり、ここでも藤野は漫画ではなく、画力の向上を目指し、漫画家ではなく、画家としてスタートするのである。


 ここでの二項対立は漫画vs絵画だろう。


 これは、


①漫画(エンターテーメント)vs絵画(アート)


②漫画(ストーリー)vs絵画(余韻)


③漫画(下位存在)vs絵画(上位存在)


であり、


 画力=アート=余暇を潰しひたすらの練習であり、その気づきとしてトラクターで田植えする農家の人が画面に現れ、


 田植えをする人=労働者→あの労働者は漫画(ここでは画力)がうまくない=漫画(ここでは画力)がうまい者は労働を放棄している。


 の、図式が出来上がる。


 藤野はここから労働(小学生の藤野にとってみれば学習や友達付き合い)を放棄し、画力向上に一心不乱になる。




セントラル・クエスチョン


 セントラル・クエスチョンとは、インサイティング・インシデントと対になり、主人公が解決しなければならない問題との出会いである。


 本作では絵画が漫画を凌駕するインサイティング・インシデントの対として労働を放棄する対価として画力を向上させようとする藤野が、また学級新聞の四コマ漫画で京本の漫画と並んで掲載され、自分の画力がいくら練習してもいくら労働を放棄しても京本にかなわないと思い知らされるシーンがそれにあたる。


 そこで書かれている四コマ漫画はインサイティング・インシデントで出てきたものと同じ構造になっている。つまり京本(絵画・画力・余韻・アート)であり、藤野(漫画・ストーリー・面白さ・エンターテーメント)である。


 そこには藤本の画力の向上が見て取れるが、それでも画力=アートという一点で京本に負けており、そこで藤野は漫画家であることと今は同異義語になってしまった画家でいる事を諦める。筆を折るのである。


 そこに至るまでの過程として、絵を練習する藤野に対し忠告する人間が二人いる。それはクラスメイトと姉である。


 二人とも座り絵を描いている藤野に立って話をしている。

 ここで、


 立っている(上位)vs座っている(下位)


 の図式が出来上がる。


 また、オイディプスコンプレックスでは父権は社会的規則と=であり、社会的規則は動物的本能を縛る、上から押さえつける上位として存在する権威である。

 つまり、ここでは、


 立っている=上位=社会=父


 となり、


 座っている=下位=動物的社会不適合=子


 となる。


 ここで藤野は子として父に反抗する立場をとるが、その反抗の基礎となる権能は絵のうまさであり才能だ。


 才能という権能があるため子(藤野)は父(社会・立っている者たち・才能なき者たち)に反抗できる。


 しかし、このセントラル・クエスチョンで藤野自身の才能(漫画のうまさと勘違いしている画力)が京本にかなわないことを思い知り、相対主義的に自己の才能を無価値の物と感じ、権能を失う。


 権能を失えば、反抗する剣はなくなる。


 オイディプスコンプレックスに従い、ペニスを奪われないように父の権力に迎合し、同一化する以外道はなくなるのである。




ファーストターニングポイント


 ファーストターニングポイントとは一幕目と二幕目を別ける分岐点である。

 主人公は安定した世界秩序から逸脱し非日常に移行する。


 インサイティング・インシデントで発生した事件を受け止め第二幕の世界と結合する。


 本作でのファーストターニングポイントは藤本が家に帰り、再度絵を描き始めるシーンだろう。漫画賞に応募するため四コマ漫画を止めたと噓をつき、京本が漫画賞に出す藤本を賛美するシーンを引き継ぎ、筆を取り戻す。このシーンから第二幕のストーリーが走り出す。


 京本が藤野のことを漫画の天才と認め、画もうまくなると同時にストーリーも成長していたことを認めたため、藤野=漫画=エンターテーメントと京本=絵画=アートの力関係が、藤野の中で逆転する。ここで初めて本作で漫画の中に、漫画=絵+話(ストーリー)という認識が出現する。


 その認識を運んできてくれたのは京本(アート)であり、漫画の認識が改まった藤野は権能を復活する。


 その結果としておこる漫画賞の嘘である。


 藤野と京本の家の道はフラットに書かれている。上下移動がなく、中間を表す。

 つまり藤野と京本はフラットな関係性であり、エンターテーメントとアートはフラットな関係であることを提示している。この時点では。


 そして藤野は筆を取り戻す。


 本作はこの先一番の蜜月である二幕目前半を迎える。


 ここで強調しておきたいのは、京本がずっとバックヤードで進めていたサブプロットの存在である。


 本作はここで初出の京本のサブストーリーが藤野の第二幕の多くを侵食する形で進む。


 ではどこから京本のストーリーが進行していたのだろうか。


 それは主人公である藤野のインサイティング・インシデントで初めて四コマ漫画が並んで掲載された時ではなく、セントラル・クエスチョンで藤野の権能が奪われ、筆を折ったシーンでもない。


 京本は作中では描かれていない藤野の漫画に初めて触れたシーンがインサイティング・インシデントで自分で作品を学級新聞に載せた時がセントラル・クエスチョンとなるだろう。その藤野の物語の下で流れているサブプロットがここで初めて観客の前に浮かび上がることになる。


 そして、藤野の物語と、京本の物語には時間的差異が出てくる。つまりここから先、藤野のプロットポイントと京本のプロットポイントがずれて二回出てくることになる。


 藤野のファーストターニングポイント筆を取り戻すシーンだが、京本のファーストターニングポイントは藤野を追いかけるため、家を飛び出し藤野と出会うシーンだろう。つまり京本は藤野よりストーリーを少し先に過ごしていくことになる。






ここまでをまとめるとルックバックの第一幕は5つの構成要素によりできている。


 バックストーリー・オープニングイメージ(表紙)


 セットアップ(最初の三ページ)


 インサイティング・インシデント(京本の絵に出会う藤野)


 セントラル・クエスチョン(権能を失い筆を折る藤野)


 ファースト・ターニングポイント(藤野が筆を取り戻す)




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