闇夜の輝石

草森ゆき

闇夜の輝石

 榧本かやもとは左瞼に銃口を押し当てると躊躇いなく引き金を引いた。なめらかな動きだった。脳にはいかないよう角度が調整されており、吹き飛んだ眼球と皮膚と肉、削り取られた骨と突き抜けて壁にめり込んだ銃弾が、ほんの一瞬の自傷を物語っていた。

 命に別状はなかった。榧本は自分で病院に行き、手当てを受けて金を払った。

 その一週間後には自傷した銃を携えて、都市部の一角を訪れた。


 大都市燈京には祭りと呼ばれる催しがある。前後に言葉はなく、その他に埋没するように、ただの祭りだと謳って行われる。

 その実、混沌を煮詰めた闇市だ。存在の詳細を知る者たちは皆揃って日陰に生きている。

 今回の祭りも裏では知られた人間ばかりが足を運んでいる。禁止されている薬の売人、暗殺を請け負う業者、政界を裏から眺める道楽者などが軒を連ね、主催は燈京有数の大企業である。

 出入り口を固める門番は毎回同じ業者がやっており、大概の人間は顔を通行証として中へ入る。門番としては退屈で、ごく稀に訪れる見知らぬ一般人を元の道へ誘導する程度の仕事しかない。

 しかし今回は、初めて見る顔である榧本がやってきた。門番は当然迷い猫の類だと考え、入り口前で留めた。ここは招待状がなければ入れない。もしくは、出品するものがなければ入れない。

 そう伝えた門番に、榧本は招待状を見せた。間違いなく祭りへの招待を促すもので、門番は瞠目した。何せ榧本は一般人にしか見えない。多少引っ掛かる部分としては黒い眼帯があてがわれている左目だが、抗争などによる負傷には思えなかった。

 門番は躊躇する。榧本は黙ったまま、早く通せと右目だけで伝えている。

 膠着を解いたのは、少し遅れて入り口にやってきた黒いスーツの男だった。

「よう、榧本くん。こんなところで会うなんてなあ」

「……ももさん」

 榧本と視線を交わし合った百は八重歯を見せて笑ってから、当惑気味の門番に目配せをした。こいつの素性は俺が保証する。そう言外に牽制された門番は深く頭を下げて、二人を中へと誘導した。榧本は顎をしゃくった百の半歩後ろを歩き、祭りの中心部に向かって歩き始めた。

 祭りの会場は地下である。最奥に設けられたホールの丸い舞台の上で、様々な催しが行われる。その舞台までの道は数本あり、簡素な蟻の巣のように這っているが、どう進んでも最後にはホールへ辿り着く。

 道の左右にはいくつか店がある。榧本は肉の焼ける香ばしい匂いを吸いながら、左側に見えてきた焼肉店に目をやった。軒には、焼かれた肉が逆さに吊られていた。

 どう見ても、最近行方不明になったと言われている政治家だった。

「ここで使い過ぎての破滅だろうな」

 百が店を見ずに言った。

「榧本くんは初めて入るだろうから初見のもんばっかりだろうけど、珍しい光景でもないぜ」

「……そうですか」

「価値が高すぎて売れ残った宝石、持ち主を憑き殺す毛布、手間暇がかかるが絶世の美男美女、何にでも使える戸籍のない孤児、降った小さい隕石と付着してた未知の菌。色んなモンが競り落とせるからな。身の丈ってのが、みんな馬鹿になっちまうんだ」

「百さんの仕事相手も、馬鹿になった人間ばかりですか?」

 百は大きな声を上げて笑い、半歩後ろの榧本を振り向き見た。

「お前も俺の仕事相手にならねえようにな」

 名の通った殺し屋はそう言ってから前を向いた。軽口にも忠告にも聞こえる言葉に、榧本は黙ったまま唇を僅かに引き絞った。


 二人は立ち並ぶ店には寄らず歩き続けた。喧嘩の怒声や発砲音がいくつか耳に届き、粘ついた鉄の臭いが鼻腔を舐めて、店の合間に吐かれた吐瀉物などが目についた。無法の散らばり方が場末だ。血のような色の石が売られた店の横を通り過ぎる。

 ホールまではまだ距離があった。道はゆったりとカーブしながら下って行く、螺旋階段のような構造になっている。

 百は長さに暇を持て余したのか、競りについての説明をすると話し始めた。

「概要自体はわかってるだろうがな。物品が紹介されて、欲しけりゃ買う。基本的にはこれだけだ」

「はい、……他には?」

「そうさなあ、さっきの吊るされてたおっさんみてえになりたくないなら、守るべきルールがひとつだけある。なんだと思う?」

「競り落とすものはひとつに絞る、ですか」

「いや、競り落とされる前に殺す」

 榧本が眉を寄せると、百は八重歯を覗かせながら笑った。

「榧本くんならできるだろうからな。結局のところ、それができねえやつが吊るされるのさ」

 またどこかで悲鳴と怒声が上がった。榧本は頷き、天井に取り付けられている暗い電灯をちらと見た。どこから入ったのか、羽虫が数匹散っていた。

 電灯の隣から顔を突き出すスピーカーがザザッと鳴った。

『間もなく時間です。オークションに参加される皆様は、ホールまでお越し下さい』

「お、ちょうどいい具合いだな」

 百が愉しげに言った。榧本は何も答えなかったが、無意識に左眼だった箇所を掌で覆った。

 ──はやくあいつの目を入れたい。

 そう心の中で渇望しながら、百と共にホールの入り口へと進んで行った。


 ホールの中は静かで、シンプルだった。様々な人間が散らばって席についており、榧本は百に会釈をしてから離れて座った。グルだと思われるのは不味いのだと、百がホールに入る前に言った。榧本も同意であったため大人しく従った。

 顔を上げるとステージが見えた。映画スクリーンのような白い幕がかかっていて、その手前には簡素な台とマイクがあった。

 程なくしてスーツ姿の男が壇上に現れた。マイクを取り、会場内を見渡してから、作り笑顔と分かる満面の笑みを張り付けた。

「お集まり頂きありがとうございます! 司会を努めさせて頂く日暮ひぐれです、本日もよろしくお願い致します」

 拍手はひとつも起こらないが、いつも通りだ。榧本は初見でありつつ空気でそれを感じ取り、動かないまま日暮の次の動きを待った。視界の端に、離れて座った百が見える。近くには足を組んで座る神父風の男や、赤黒いドレスに身を包んだ年齢不詳の女がいて、全員が榧本と同じく物音を立てずに待っていた。

 日暮はそれらを面白がるように歯を見せて笑い、

「では一つ目の商品です」

 片腕をすっと上げて物品を持ってこさせた。

 かけられていた白い布が外されたところで、やっと会場内に客の音が生まれた。誰かが息を飲んだ音だった。

 一つ目の商品である絵画は真っ赤に燃え盛る炎が描かれた芸術作品のようだった。

「やがて燃え尽きる人、と名付けられた油絵です」

 日暮は説明したあとにまた片腕を上げた。背後のスクリーンに、絵画と女性の写真が映る。榧本は知らなかったが、カルト的な人気を誇っていた画家だ。「やがて燃え尽きる人」は彼女の遺作であり、唯一最後まで手放さなかった作品であり、火事で燃えた彼女の家でなぜか焦げすらしていなかった遺品なのだと、日暮が身振り手振りを加えながら話した。

 その後にスクリーンの内容が切り替わった。三年、と表示されていた。

 榧本はわずかに眉を顰め、眼帯をした左眼に触れた。

 あいつの言った通りだと思った。ここのオークションで支払うものは寿だと、あいつは世間話のように言っていた。

 

 日暮がぱしんと手を打ち鳴らす。

「それでは皆様、三年から始めます。どうぞ挙手なさってください」

 断ち切るような笑顔で言い放った瞬間に、会場内の空気が一気に変わった。

 榧本は視線だけを動かして、他の客の様子を窺った。遠くに座るスーツの男が手を挙げながら「五年」と短く言った。日暮が煽るように「五年! 他は?」と客席を見渡して、別の誰かが「六年」と嗄れた声で続けた。

 声質が老いていたため、榧本は多少気になり視線で追った。細い杖を左手に持った初老の男性だった。六年分支払えば後何年生きられるのか、見た目だけでは見当がつかなかった。

 五年と言ったスーツの男が小さな舌打ちを落としつつ「八年」と唸り気味に告げた直後の動きを、榧本は見た。

 スーツの男性ではなく、杖の男性だ。

 杖を手の中で半回転させたかと思えば、スーツの男性に向けて鋭く投擲した。最小限の動きの、的確な狙いの射出だった。

 杖は男性の胸元に真っ直ぐ突き刺さり、男性は数回痙攣してから血を吐き出し死んだ。それを眺め終わった後に日暮は拍手した。

「お見事です、では六年で成立としましょう!」

「ああ、頼むよ日暮くん」

 初老の男性は立ち上がり、突き刺さっている杖を抜いた。その間に日暮が壇上の奥にいるスタッフへと指示を出す。小型の箱を持って現れたスタッフは立ったままの初老の男性にそれを差し出した。箱の蓋が勝手に開き、絡み合ったコードがゆっくり現れた。

 寿命を支払う装置だ。榧本は顎を引き、男性の手に絡んでいくコードの動きをじっと見た。無痛らしく、男性は身動ぎもしない。支払いが終わった後に箱はまた勝手に閉じた。

「あの絵画、六年の価値があるの?」

 近くの席にいる赤黒いドレスの女が言った。

「ロッド氏は呪物フェチですからね」

 独り言のような返事を神父服の男が呟き、榧本はふとそちらに顔を向けた。神父服はすぐさま榧本と視線を合わせ、穏やかな笑みを浮かべた。何とも言えない不気味さが感じられて、無視はせずに軽い会釈を返した。

 

 死体はその場に放置されたまま、オークションは続いていった。

 商品は美術品だけに限らず、色々と出品された。名の知れた人物が使っており暗殺された時の血痕が残るティーカップ「殺意の器」、血筋に一切の混ざり物がない血統書付きの人を殺せる番犬「ジュークドッグ」、自害した世界的な文豪の遺品をすべて集めた「驟雨」などが、榧本が眺めている間に競り落とされていった。

 寿命を十年以上使った者はいなかった。神父は「驟雨」を落とし、赤黒ドレスは「殺意の器」を落とした。二人はそれぞれ五年の寿命を差し出して、それぞれ一人ずつ他の客を殺した。

 榧本は商品そのものよりも二人の動きに意識が向いた。

 神父は視認しずらいワイヤーを武器として使用しており、競りの相手の首を一瞬で切り落とした。赤黒ドレスは武闘派で、優雅に立ち上がったかと思えば鋭いヒールで相手の急所を蹴りながら刺した。

 会場の床は血に塗れた。鉄分の粘ついた匂いが鼻の粘膜だけでなく、吸う酸素にもこびりついており、榧本は一度だけ咽せてしまった。

「それでは次が本日最大の出品物、最後の商品でございます」

 日暮が笑顔の質を変えないまま高らかに言った。

「皆様、私に素晴らしい殺しの技術を見せてくださり本当に嬉しく思います……さあそんなあなた方に朗報とも言えてしまうこの商品! 橙京における国家レベルの秘匿組織、MMFに所属していたとあるメンバーが死亡したことはご存知でしょうか? 指折りの強者であり、戦闘面以外でも頼りにされていたその人物……十六夜陸斗の遺品と言える代物でございます!」

 榧本はわずかに身を乗り出した。その直後にステージ脇から台車に乗せられた商品がゆっくりと運ばれてくる。

「過去視、未来視、千里眼……いくつもの能力を有した十六夜陸斗いざよいりくとの両目、その名も闇夜の輝石! さあ、競りの始まりでございます!」

 日暮の張り上げた声と共に、後ろのスクリーンに「十五年」と表示される。誰も支払わなかった高額な寿命に会場内はしんと静まり返っていた。

 榧本は息を吐き、椅子の背もたれに体重を預けながら少しだけ昔を過らせた。

 陸斗、と声には出さないまま呟いて、自分の唯一の友人について思い返した。

 

 十六夜陸斗とは所謂孤児院で出会った。しかしそれは名ばかりで、橙京の裏側で通用する殺し屋や後始末業者、その系列で働ける人材を育成するための隠された施設だった。

 榧本と十六夜は年齢が近く、打ち解けるまでは早かった。無口な榧本に十六夜は笑顔で話し掛け、食事を共にとり、部屋を一緒にしてくれと職員に頼んだ。二人は同じ部屋で過ごすことになり、そうすれば榧本も気が緩み十六夜とよく話すようになれた。

 施設の中では誰が話を聞いているのか分からず、榧本はほとんど口を開かなかったのだ。十六夜にはそれがわかった。夜の闇のようである真っ黒な目の中に輝く光が、すでに様々なものを見通していた。

 十六夜自身が、ある日の真夜中にひっそりと打ち明けた。

「榧ちゃん、俺は大体のことが視えるんだよ」

「……どういうこと?」

「そのまんまの意味。昔に何があったのか視えるし、これから何があるのか視えるし、今どんな会議でどんな施策が決まっているのかも視える」

「それは……」

「同じだよ、榧ちゃん。君と同じ。この施設のせいでできちゃった、変な特技」

 十六夜は苦笑いを浮かべていた。榧本は誰にも話していない「特技」について触れられて、彼が本当のことを話しているのだと理解した。

 二人は共に成長し、共に暗部の機関に拾われた。

 所属は違ったがそれでもよく会い、物事を共有した。十六夜は最も秘匿されている部署にいた上に、見ようとすれば大概の物事は視界に映し出せたため、自分の最期すらわかっている状況だった。

「それは、回避できないのか?」

 最期について聞いた榧本は思わず漏らした。十六夜がいなくなる現実に意味を感じず、暗い気持ちばかりが募っていた。

 榧本の様子を十六夜は笑い飛ばし、首を横に振った。

 しかし、告げた。

「榧ちゃん。俺の目は出品される。この蠱毒が発展したような都市の地下奥深くに、要人くらいしか入れないオークション会場があるんだ。俺が死んだらそこに行って。俺の目は、榧ちゃんのためにあるんだよ」

 十六夜はここまで話してから表情を緩めた。

「支払うのは寿命だけどねー、面白いこと考えるもんだよ」

 世間話のように付け加えてから、複雑な表情をする榧本を抱き締めた。

 自分を宥めるための抱擁だったと、しばらく思っていた。だが違った。あれは十六夜が、陸斗が、陸斗自身を納得させるための最後のコミュニケーションだったのだ。

 十六夜はその話をした後、一週間もせずに死んだ。規格外な能力を恐れた者による暗殺であり、訃報の翌日、榧本の元にはこの闇市への招待状が届いた。

 差出人は、十六夜だった。何が起こるのか察するには充分だった。

 

「さあ、誰もいませんか?」

 日暮の明るい声に、榧本の意識は現実へと引き戻された。

 しんとしたままの会場内を見渡してからスッと片手を上げて、こちらを向いた日暮に言った。

「三十年。足りないなら、四十年」

 会場にいる全員が榧本を見た。目を丸くする赤黒ドレス、呆れたように笑う神父、初めて笑顔が崩れた日暮。

 それから、納得した顔で自分を見る百。

 水を打ったような静謐の中で榧本は、もうステージ上にしかいない親友のためだけに片手を上げ続けていた。


 榧本は三十年と引き換えに、親友を取り戻した。

 そしてここから、オークションの余興じみた妨害が始まった。

 

 オークションが終わり、会場に凝っていた空気は霧散した。榧本のところに歩いてきた百は肩を竦めつつ、榧本の背中をぱしりと叩いた。

「商品受け取り口、わかんねえだろ。案内してやる」

「……ありがとうございます」

「まあ、目的はそいつだろうなと思ってた。十六夜はお前の話ばっかしてたしな……」

 言葉は返さずに立ち上がり、百と共に歩き出す。

 受け取り口は出入り口付近にあるらしい。市場内を通っている最中に奪われる可能性を考えての配置だと百は言うが、あまり意味はないとも付け加えた。市場は相変わらずの悪臭だ。杖に胸を貫かれたスーツの男が、解体ショーの道具として既に使われていた。開かれた胸の中は橙の照明の下では殊更赤黒く、肉と脂肪の絡みついた肋骨は左側だけ丸い形に抉れていた。

 まず出会ったのはその丸い形を作った初老の男性だった。

 杖をついたまま微笑み、榧本を見つめていた。

「競り落とした目は、その眼帯の下に使うんだろう?」

 男性の問いを榧本は無視するが、百が一歩踏み出してチッチッと舌を鳴らした。

「ロッド兄さん、らしくないですよ。普段はこんなことしないのでは?」

「はは、普段はね」

 ロッドは携えていた杖を剣のように持ち上げる。

「十六夜陸斗の目玉であれば話は違うさ」

 言い終わるや否や、ロッドは杖を榧本へと投げつけた。百と榧本はそれぞれ左右に飛び退いてそれを避けたが、杖は鋭く飛んでいき、解体中の死体を再度貫いた。

 その間にロッドは地面を蹴り榧本に向かって行った。懐から取り出された短刀は彼がいつだったか競り落としたいわく付きのもので、ほんのわずかでも傷をつければ相手を痺れさせ昏倒させることが可能の代物だ。ロッドはこれまでなんでも競り落とし、競り相手を殺した。十代の頃から暗殺を生業としていた故の培った経験が彼を生かし続けてきた。

 しかしそれはあっさりと終わった。

 ロッドが狙った榧本の右腕は刃を通さず跳ね返した。衣服の下から現れた腕は鋼鉄で出来ており、ロッドが目を見開いている間に右腕の形ではなくなった。

 ライフルだった。自分の左眼すら貫いた、長年の使用武器だった。榧本は右腕だった部分を無表情で動かし、ロッドを至近距離から撃ち抜いた。弾丸は心臓を突き破り露天の合間の壁に刺さった。百が歓声がわりの口笛を吹いた。

 ロッドは何が起こったのか理解する前に沈んだ。榧本はライフルを露出させたまま百に歩み寄り、いきましょう、と低く告げた。

 

 通路の中程まで行くと、赤黒ドレスに立ち塞がれた。榧本と百は立ち止まり、彼女は微笑みながらドレスの裾を持ち上げた。

「クイーンと呼んで。俗称よ」

 クイーンはそう言ってから腰を落として拳を握った。手の甲には武闘家が好む武器の一つである鉤爪が装着されている。

 榧本は息を吸った。分が悪い、と密かに思った。十六夜だけが知る自分の「特技」を持ってしても、相性のいい相手ではなかった。

 飛びかかってきたクイーンの攻撃を受け止めたのは百だった。スーツの裾をはためかせながら、鉤爪を小型の拳銃で弾き飛ばした。

「百さん」

「そこで見てろ」

 百は懐からナイフ、ハンマー、ピストルなどをバラバラと出した。その中にあった棒状の武器、警官などが主に携帯する警棒を両手に持って、更に向かってくるクイーンの攻撃を跳ね返した。

 榧本は百の戦闘を見ながら、十六夜の言葉を思い出した。

 百と十六夜は知り合いだった。同じ組織にいて、コンビの任務もそれなりにあったと聞いていた。十六夜は百を信用していた。面倒見がいい人だと、笑って話していた。だから榧本も入り口で話し掛けてきた百についていくことにした。

「あんた、なんなのよ!」

 クイーンの叫びに百は笑いながら答えた。

「百戦錬磨の百だよ、だっせえ俗称だけどな」

 警棒がクイーンの胴体に刺さり、百は握り手にあるスイッチを入れた。

 人が失神する強さの電流が一気にクイーンの体に流れ込み、彼女は叫び声を上げられもせずその場に頽れた。

 百はふうと息をつき、武器を片付けてから榧本を促した。

「百さん、ありがとうございます」

「気にすんな。十六夜の最期の頼みなら、まあ無碍にはできねえよ」

 百の双眸に微量の憂いが乗った。

 十六夜と百。榧本はこの二人だけの思い出があるのだなと気付いたが、ここでは何も言わないまま道を歩いた。

 

 もう出入り口だというところで待っていたのは神父だ。榧本は若干うんざりとしていたが、神父は嬉しそうに両手を広げて二人を交互に見た。

「交渉しませんか?」

 穏やかだが強い口調で神父は話した。

「あなたはその、眼帯をしている片目に移植するのでしょう? なら一つ余ります。その余りを私に頂ければ、何もせずにここを通します」

「……断る」

「そう言わず、もう少し考えてください」

「断る」

「お支払いしますよ? 寿命は無理ですが、私は今まで色々と買っておりまして、」

「断る」

 榧本の態度に神父は漸く口を閉じ、あからさまな溜め息を吐いてから広げていた両手を緩く振った。

 細いワイヤーが素早く飛び、榧本のライフルに巻き付いた。百がすぐさま切り落としたため無事だったが、あと少しで銃身が切り落とされていた。

 神父は薄く笑ったまま更に攻撃を繰り出した。ワイヤーは見えにくく、神父は二人とも始末するような動きの攻撃を繰り返す。

 榧本は避けながら百に横目を送った。任せてくれという視線で、百は把握して後ろへと飛び退いた。

 それを確認してから、膝をついて目を閉じた。十六夜の声が脳の中に蘇った。

 君と同じ「特技」。

 ──そうだな十六夜、おれはお前と同じなんだ。だからこそこれからはお前の分も背負いながら、この腐った坩堝の中で生きていく。

 視界を閉ざした榧本には全てのものが聞こえた。

 ワイヤーの音、百の心音、路地の店の音、呼吸音、駆動音、地上音、誰もが持ち得る急所の怯え。

 飛んでくるワイヤーは最小限の動きで避けた。その後にライフルを構え、撃った。弾丸は直線を描き飛んでいく。特殊散弾なため、途中で裂けてそれぞれが神父の急所を遠慮なく打ち付ける。

 神父の心音が途切れてから榧本は目を開けた。汚い血の臭いはこの場所によく合った。

 歩み寄って来た百が煙草を咥え、ニヤッと笑った。

「さあ、受け取り口に行こう」

 榧本は頷いた。路地にいる人間たちは争いに慣れており、事切れた神父を我先にと抱えて、商品にするため引きずっていった。

 

 受け取り口では日暮が待っていた。司会者がここにいることは珍しいと百が意外そうに言って、日暮は笑顔を見せた。ステージ上で振り撒いていた接客の笑顔ではなく、子供のような無邪気さが滲む笑い方だった。

「榧本様、百様、余興を観戦させて頂いておりました」

 日暮は愉しそうに話してから、厳重に密封されたオークション品を榧本に差し出した。

「闇夜の輝石、お受け取りください。またのご来場、是非ともお待ち申し上げております」

「三十年も払った奴に二回来させんなよ」

 百が呆れ気味に言って、日暮は笑みを浮かべたまま深々と頭を下げた。

 

 榧本は十六夜の両目を受け取ると、胸元に抱えながら外に繰り出す階段を登った。外は昼間で、光が眩しかった。榧本の隣で百がぐっと伸びをした。

「んで、十六夜の目は移植すんの?」

「……そうしようと思って、左目は吹き飛ばしたんですが」

 先程までの連戦や百との会話、闇のオークションのでの異常な光景、これまでの十六夜との思い出を鑑みると、榧本には違う思いが生まれていた。

「百さん」

「うん?」

「十六夜と、かなり仲が良かった、ですよね?」

 百は言い淀んだが、

「……まあ、そこそこな」

 と濁しつつ認めた。

 榧本は肩の荷が降りたような、安堵の気持ちを覚えた。

 十六夜は明るく、誰にでも分け隔てなく見えたが、実際は胸中をほとんど誰にも話さない。そんな彼が自分の最期に向けて親友を託した相手なのだから、深い仲に違いなかった。

「百さん。十六夜の目、片方持っていってください」

「は? いやお前が寿命払って」

「おれの腕この通りライフルです。無理な暗殺などもしたので、臓器もほぼ機械にしています。……日暮さんがおれに再来場を促したのは、それが分かったからですよ。おれは、寿命の概念から遠ざかりかけてるんです」

 だからこそ何の躊躇いもなく自分の目を吹き飛ばした。万が一目が手に入らなくても機械を埋め込めば良かったからだ。

 百はたっぷりと悩んでいたが、やがては頷いた。

「……十六夜は、俺が唯一本気で好きだった奴だよ」

 そう答えて、遠くを見るような寂寞を滲ませ微笑んだ。

 

 片目を譲渡してから、百とは別れた。

 榧本は親友の形見を腕に抱えながら道を歩く。橙京は今日も破壊的だ。殺しの依頼は膿のように常に溜まっている。いつかは自分もどこかの部位が出品されるかもしれない。

 諸々の思考を通りがかった下水へと放り投げ、榧本は高く登った太陽を見上げた。

 燃え盛る音が彼の耳にだけは真っ直ぐ届き、それは日常の合図として街の中に常に在る。

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闇夜の輝石 草森ゆき @kusakuitai

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