柔らかな孤立

 亜紀は天使の翼会で救済師きゅうさいしとして活動していくことになった。そして「らきらき」は救済師たちが世の母親を救うべく存在していることを明かされて天にも昇る心地であった。


「いい? あなたは救われたのよ。これからはあなたも一緒に救済の翼を広げていきましょうね」

「わかりました! 絶対私もこの救済を他の人に分け与えてみせます!」


 亜紀は壮一と一緒にしばらく「らきらき」へ通うよう指示された。正木が言うには、「同じくらいの子供を持つ母親がいると救済に繋がりやすいのよ」とのことだった。壮一が歩いて立派に喋るようになるまで、亜紀は「らきらき」でサクラを続けることになった。


 その日も正木が新たなカモを連れてきた。すっかり育児について自信をなくしている母親に、亜紀はかつての自分の姿を重ねた。そして亜紀は彼女を救済するべく、必死で彼女に話しかけた。


「子育ては大変ね、わかるわよ」

「そうなの、旦那が全然私を構ってくれなくて」

「それなら、思い切って離婚したらどうかしら」

「え?」

「離婚すれば、スッキリするわよ。私なんてサッパリよ!」


 亜紀はガッツポーズをしてみせた。母親は目を丸くして「そ、そう。考えてみるね」と返事をした。彼女が帰宅した後、亜紀は正木に呼び出された。


「千堂さん、あなたにはまず救済師としての心構えを教えなければならないようね」

「はい、なんでしょう?」

 

 正木はひとつため息をついた。


「救済は自分の心で行動を決めないといけないの。いくら良い結果に繋がる行動でも、相手に押しつけてはダメ。それは救済ではなく、あなたの自己満足よ」

「はい……」


 亜紀は自分の言動が拙かったことを反省した。


「あなたが良かれと思った行動でも、彼女にとっては意味のない行動かもしれませんよ」

「それでは、どうやって救済に導けばよいのですか?」

「相手に押しつけなければいいの。先ほどあなたは『離婚すればいい』と言いましたね。しかし、離婚して余計不幸になってしまったらどうしようと人は考えてしまいます。不安を与えてしまうわけです」


 正木は優しく諭すように亜紀にアドバイスを授けた。


「だから、私たちが全力であなたを守るというメッセージをお出しなさい。どんな結果であろうと、私たちは味方であることを示すの。そうすれば、私たちの方へどんどん心を開いていきますよ」


 正木の話を聞いて、亜紀は目から鱗が落ちる思いがした。


「そうだったんですね! わかりました、今度からもっと守るという言葉を使うようにします!」


 愚直な亜紀は正木の話をしっかり捉えたつもりであった。正木はにこやかな表情を崩さなかったが、心の中で小さなため息をついた。


 正木の懸念通り、逃げた母親は二度と「らきらき」には顔を出さなかった。


***


 それから、亜紀は独自に救済の翼を広げようと活動することにした。


「どうですか? 素敵な子育て支援施設があるんですけど、来ませんか?」


 そう言って亜紀は壮一の散歩のついでに「らきらき」のカードを世の母親たちに配ることにした。赤ん坊を連れた母親を見かけたら近づいていって、目の前にカードを突きつける。いきなり知らない人に声をかけられた見知らぬ母親は愛想笑いをして、それから自分の子供をしっかり抱えて走り去っていくことが多かった。


「まったく、自分から救済の手を振り払うなんて愚かですね」


 亜紀は諦めなかった。子供を連れた母親を見かけると見境なくカードを渡して回った。


「どうですか? 居心地の良い子育て支援施設があるんですけど」


 亜紀はいつかやってきた公園で、幼稚園バスを待つママたちを見つけた。彼女たちはいつか、亜紀を児童センターにつないだママたちであった。


「えっと、私たち知り合いだっけ?」


 いきなり親しげに話しかけれられて、ママたちはきょとんと立ち尽くす。


「いつかお世話になって、私救われたんです!」


 亜紀の不穏な言葉に、ママたちは顔を見合わせた。


「それで、このカードは子育て支援施設のものなの?」

「そうなんです! とっても素敵なんですよ! 子供の面倒は見てもらえるし、昼食はでますし、スタッフはみんな優しいんです! 私それで本当に救われたんですよ! あなた方のおかげです! 今度は私があなた方を守りますから!」


 さらに不穏な言葉をまくし立てる亜紀に、ママたちは警戒を強める。


「あ、あのこれから私たち子供帰ってくるから!!」

「貴重なお話、どうもありがとうね!!」

「考えてみるから! じゃあね!」


 ママたちはカードを受け取ると、亜紀を公園から追い出した。そして亜紀が見えなくなったところで、ママたちはひそひそと息を潜めて話し出す。


「やばいよね、アレ」

「噂で聞いたことあるんだけど、これ宗教なんだって」

「うわ、アレじゃん。やばっ」

「また来たら嫌だよね?」

「また来るようだったら、ここのバス停変えてもらおうか」

「事情が事情だもんねー」


 彼女たちの心配は杞憂に終わった。亜紀は二度とその公園に行くことはなかった。そしてますます、天使の翼会へ固執していくことになった。

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