頑なな態度

 亜紀はそれから「らきらき」に入り浸るようになった。朝起きて夫の達也を仕事に送り出すと、壮一を連れて「らきらき」へ向かう。「らきらき」には同じような境遇の母親が数人いて、すぐに仲良くなれた。


 亜紀は特に自身をここへ導いた正木に懐いた。正木は夫と死別し、育て上げた息子とも離れて生活しているという。だからせめて自分のように子育てで悩む母親を救いたいと児童センターでボランティアをして、有志を募ってこの「らきらき」を運営しているとのことだった。


 亜紀は朝から晩まで「らきらき」で過ごすようになった。昼食は「お母さんたちは疲れているから甘えていいのよ」と言って、運営スタッフたちによる軽食が振る舞われた。いつまでも甘えているわけにもいかないと、亜紀はスタッフのために菓子や料理を作って「らきらき」へ持って行くこともあった。


「お前、昼間は何やってるんだ?」

「子育てサークルよ」


 亜紀はすっかり達也に愛想を尽かしていた。育児に非協力的なオスはいらない、これからは優しい「らきらき」のメンバーたちと一緒に壮一を育てていくのだとその時は強く思っていた。


「サークルもいいけど、もっと家のこともやってくれよ」


 達也は達也で、亜紀の変貌ぶりが心配になってきていた。朝から晩まで「らきらき」にいるため、亜紀は家の掃除を怠っていた。ごみは放置され、洗濯物もくしゃくしゃのままだ。達也の食事も簡単なものになっていき、最近は達也の携帯電話に「ご飯作りたくないから外で済ませてきて」とメールが届くようになっていた。


 いくら壮一のためとは言え、流石に日中一切在宅せずにサークルにのめり込むというのは度を超していると達也は考え始めていた。


「家のことを女に押しつけるのは女性差別よ! これだから日本の男は外国の女からモテないって言われるのよ!」


 急に難癖をつけるようになった亜紀に、達也は参っていた。以前の亜紀は、何を言ってもおとなしく言うことを聞いていた。そんなおとなしい性格を気に入って結婚したというのに、これでは人生の計画が狂ってしまう。


「なあ、一体どうしちまったんだよ。俺の何が悪かったって言うんだ?」

「全部よ、全部!」


 すっかり亜紀は達也に興味をなくしていた。それどころか、こんな男に騙されて孕まされたという事実が亜紀の嫌悪感をかき立てていた。


「私には壮一がいればいいんだから!」


 つかまり立ちをする壮一は、そんな自分の父親と母親をきょとんと眺めていた。


***


 翌日、亜紀は正木に自分の家庭について相談することにした。


「私、もう限界なんです。あんな男に騙されて、どうして私はって思うと、壮一まで愛することが出来るのか自信がなくなってくるんです……」


 弱気になった亜紀を正木は優しく抱きしめる。


「辛い思いをしたのね。大丈夫。女はね、強いからいくらでもやり直すことができるの。安心してちょうだい。あなたが安心して過ごせるよう、私たちがしっかりサポートするわ」

「本当ですか!?」

「もちろんよ、私の仕事は、あなたのような人を救うことなんですから」


 正木の笑顔に、亜紀は全てが洗われたような気分になった。

 もう亜紀に迷いはなかった。


***


 急に突きつけられた離婚届に、達也は動揺するしかなかった。


「待てよ、少しでもいいから話し合おう。壮一だってまだ小さいんだぞ!?」


 この時既に亜紀は達也を一切信用していなかった。話し合いに値しない男だと達也を見ていなかった。


「あなたが私の信頼を損なったことが原因なの。もうあなたとは暮らしていけない」

「じゃあ壮一はどうするんだ!? お前がひとりで働いて育てられるのか!?」


 達也は亜紀の人付き合いが悪いところをよく知っていた。これからシングルマザーとして自立する亜紀の姿を想像できなかった。


「お前はそれで満足かもしれないけどな、壮一のことがあるんだ。まずはどうして離婚することになったのか、その原因から摺り合わせるべきだろう!?」

「お話することなんてこれ以上ないわよ。自分の胸に手を当ててみたら」


 その後、亜紀は正木が手配した母子シェルターに移った。亜紀は達也からDVを受けていたと周囲に吹聴し、弁護士を通した話し合いにも応じなかった。それどころか、正木がどこかから手配した弁護士が強引に離婚を成立させようとした。虚偽のDVをでっち上げられたと達也は訴えたが、亜紀の証言が全面的に認められた。


「確かにちょっと冷たくしたかもしれないけれど、それって離婚するほどのことなのか!?」

「あなたが私を軽んじていたことは間違いないでしょう、さようなら」


 こうして離婚を成立させた亜紀は姓を旧姓の千堂せんどうに戻し、正木の指導により新たな施設へと導かれた。同じように「らきらき」で知り合った先輩ママもいるということで、亜紀はこれからの人生が明るいものに見えていた。


「ようこそ、天使の翼会へ。救われたあなたは新たに救済の翼を市民に与える義務があるわ」


 正木は「天使の家」と呼ばれる「天使の翼会」の本部施設へと亜紀を連れてきていた。


 天使の翼会、とは開かれた人宗源聖光そうげんせいこうを教祖とした世の人を救済するために作られた教団であった。救済された者は宗源の元で救済師きゅうさいしと認定され、入団を許可される。そして救済の輪を広げるために活動をしていくのであった。


 それは、世間的に「新興宗教」と呼ばれるものであった。

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