北風抜ける境内

 自殺配信騒ぎから少し経った。ネットとテレビでは相変わらず「命を大事に」の大合唱が行われていた。それにも関わらず、若い世代でロープの売り上げが増えているというホームセンター店員のインタビューが夕方の情報番組で放送された。


『そもそも、思春期とははうっすら皆一度死にたがる時期なのです。それは成長の一過程であり、一度死んで生まれ変わる通過儀礼イニシエーションです。実際に死んではなりません』


 そんな専門家の声が空しく電波に乗っては消えていった。


***


 クリスマスの前の日曜日、茉莉は相変わらず黒ずくめの佐野と一緒に、八霞神社の鳥居の側で頭を抱えていた。


「天使の翼会は、今回の配信は自分たちと無関係だって言い張ってるらしいな」

「そもそもVtuberのキーホルダーを配っていたってことすら否定しているみたいですよ」


 天使の翼会は、公式ホームページに「お知らせ」と称して今度の騒動は教団として一切関わりがないこと、もし迷える魂があるなら救済をすることを掲載して一切沈黙を貫いていた。駅でパンフレットを配る者もいなくなり、ますます天使の翼会は守りの姿勢に入っていた。


 報道規制がかかっているのか、天使の翼会の名前は電波に流れなかった。そのせいでネットでまことしやかに囁かれる噂程度の情報しか天使の翼会についての言及はなかった。元信者を名乗る怪しいアカウントの騒動と全く関係ない自分語りばかりが拡散され、教団についての信憑性は有耶無耶になってしまった。


 この顛末に、せっかく掴んだ手がかりが霧散してしまったように二人は感じていた。


「今バズってるのは例の発言の切り抜き動画で、本物のアカウントは既に削除済み。別のアカウントで復活した島村マナブ曰く、クリスマスに自殺配信をしたらボクは完全復活する、君たちの死が僕を呼び起こす原動力なのさ、だそうです。ちなみにすぐそのアカウントも削除されてました」


 茉莉はあの後から、島村マナブの動向を追いかけていた。ネットでは成りすましが横行し、島村マナブが増殖しつつあった。それと一緒に着実にファンが増え、自殺配信を決行しかねない雰囲気がますます蔓延していた。


「それにしてもやっぱりおかしい。あのVtuberがまともでないことは大前提として、どうしてあいつの言葉に皆引き寄せられるんだ? おかしいだろ」


 佐野の疑問に茉莉は頷く。よく聞けば稚拙な言説であったが、何故か中高生たちは島村マナブを支持した。中高生だけではなく、感化された大人も大勢いるようだった。


「中高生だけじゃないだろう? あいつに感化された有名Vtuberも自殺配信するって言って何人かアカウント削除されてるんだ、ろくなもんじゃない。だいたいな、死にたい奴に死ねって言うのは本当にダメなんだ。何とか踏ん張ってここにとどまっている奴には特に、背中を押された気分になっちまう。しかも奴はファッション感覚で死ねばいいって言いやがった。一体何者なんだ奴の中身は」


 茉莉は一度本当に首をくくりかけた佐野だからこそ、この自殺配信の惨さが身に染みているのだと感じた。それから、はっとあることに気がついて佐野を見る。


「……佐野先生、今は大丈夫ですよね?」

「ごめん、その辺に関してはちょっとキツい。俺が勝手に死にそうになったら殴ってでも止めてくれ。こんな形で、死にたくはない」


 佐野の前には、見えない選択肢が見えていた。生きてこの苦痛を長引かせる道と、死んで全てを終わらせる道だった。何度も全てを終わらせる道を選ぼうとしたが、そのたびに苦痛を選べと強制的に生きる道へ連れ戻されたと佐野は思っていた。


 今は何とか終わらせる道を閉ざしていることで何とか生きていると佐野は思っていた。その道が再び開かれたことで、そこに踏み込みたい衝動と佐野は戦っていた。


「……わかりました。私はそのためにいるんですから、安心してくださいね」


 茉莉も、目の前で誰かが死を選ぶところは見たくなかった。


「でもどうしたものか、やっぱりこの変な宗教について調べないとダメってことなんだよな……?」


 佐野はため息をついた。島村マナブと天使の翼会、そして野崎壮一が何らかの形で繋がっていたことはわかった。しかし、そこに野崎壮一がシキ化した理由を探るには情報がまだ足りなかった。


「Vtuberの監視くらいなら出来ますけど、流石に宗教を調べるのはちょっと怖いですね」

「ああ、世の中で一番関わりたくないところだものな」


 佐野は壮一の母親を思い出していた。言葉は通じるのに話は通じない壮一の母親と熱心に会話を続けた柴崎塾長の手腕を今なら褒め称えることが出来る。そしてそんな壮一の母親だらけの場所に赴くと思うだけで身震いがする思いである。


 その時、神社の前で誰かがうろうろと中の様子を窺っていることに茉莉が気がついた。座り込んでいた茉莉は立ち上がって人影を覗き込んで、驚愕の声をあげた。


「……壮一君!」

「な、鳴海先生もどうしてここにいるんですか!?」


 神社にやってきたのは、野崎壮一だった。


「それはこっちの台詞だ。どうした、何かあったか?」


 佐野が壮一の前に姿を現すと、壮一はばたりとその場に座り込んだ。


「……ごめんなさい! 助けてください!」


 座り込んでから、壮一は地面に頭をつける。突然のなり行きに佐野も茉莉も驚いた。


「ちょっと、ちょっとどうしたの!?」


 慌てて茉莉が壮一を立ち上がらせる。壮一はぼろぼろと涙を零していた。


「俺が、俺が全部いけないんです! 俺のせいで……」

「落ち着いて……大丈夫だから、ゆっくり話してみて」


 茉莉は壮一の背中をさすり、しゃくり上げる壮一の言葉を待った。


「あれは、俺なんです」

「あれって?」

「島村マナブは、俺が作ったんです」


 その言葉に、佐野と茉莉の間に緊張が走った。佐野は辺りを窺い、壮一の告白を誰も聞いていないことを確認した。


「ここは寒い。話ならじっくり聞くぞ」


 そう言って、佐野は立ち上がると社務所のほうへ向かって歩いて行った。茉莉と壮一は慌ててその後を追う。静かに冬至に向かう季節の冷たい風が、八霞神社の境内を吹き抜けていた。


〈続く〉


***


 ここまでお読みくださり、ありがとうございました。


 次回から「新興宗教編」として壮一の過去と天使の翼会の詳細、そして過去と現在が交錯する中、運命の糸の絡み合いが激化していき、佐野と茉莉と壮一が自殺配信の正体に迫っていきます。


 お話はまだ続くので、引き続き応援よろしくお願いします。


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