その後の話
茉莉が再び八霞神社を訪れたのは、吉川から話を聞かされた二日後であった。その日はバイトがなく、授業も午前中で終わったので佐野の話をしっかり聞く覚悟であった。
佐野はこの前と同じく、黒ずくめの格好で鳥居の側に座り込んでいた。だんだんと厳しくなる寒さに、茉莉は身につけているマフラーを直す。
「寒くないんですか?」
「寒いとか暑いとかで命の危険がない限り、なるべく外にいるようにしてるんだ」
「何か理由が?」
「家の中にいると落ち込むから。寒いなら中に入ろうか?」
佐野が気を利かせて立ち上がろうとしたが、茉莉はそれを制する。
「ここでいいです。あんまりくつろいで聞く話でもないと思うんで」
そう言うと、茉莉は佐野の隣に腰を下ろした。
「……悪いな。春になると、ちょうど日向で暖かくて気持ちいいんだけど」
それから、しばらく静かな時間が流れた。冷たい風が二人の間を駆け抜け、ようやく佐野が話し始めた。
「そうだ。この前するって言ってた話、してやるよ」
「あの、運勢が見えるって話ですか?」
「それ。だけど、聞いて後悔するような話かもしれないから覚悟してほしい。でも、その前に」
佐野はポケットから古い写真を取り出した。
「家族写真。全員写ってるのがなかなかなくてさ、俺が小学生の頃の写真しかなかった」
それは家の前で並んで記念撮影をする家族の写真だった。
「これが父親の
茉莉の中で、事件が更に具体的になった。この家族が数年後、凄惨な方法で殺されると思うと茉莉は運命の残酷さを呪わずにはいられなかった。
「事件のこと、調べたか?」
佐野の言葉に、茉莉は小さく頷いた。
「それなら話は早い。俺は、本来そこで死ぬはずだった。でも生き返って、俺が目を覚ましたのは事件から一週間後だった。腹を随分切られていたから、しばらく動くことも食べることもできなくて痛みすら全部夢を見ているようだった。今でも実はこれは長い長い変な夢で、目が覚めたら全部元に戻ってるんじゃないかって思うよ」
佐野は下を向いていたので、茉莉はその表情を見ることはできなかった。
「どうしようかな、こうやって事件について話をするのは初めてだから何をどう話せばいいのかよくわからない。そもそも、この前の叔父さんの話だって完全に信じてるわけじゃないだろう?」
そう言われて、茉莉は困惑する。
「確かにすぐには信じることができないけど、その事件のことは本当なんでしょう?」
危機回避能力のことをまだ茉莉は信じ切れずにいた。しかし、佐野が口にするのもおぞましい凄惨な事件に巻き込まれたということだけは受け止めることにした。
「嘘だったらいいんだけどな」
佐野は下を向いたまま、ぽつぽつと語り出した。
「目が覚めたら、事件から一週間が経っていた。家の中が血まみれだったのだけは覚えていたから、家族が全員殺されたって聞かされてもやっぱりそうなのか、って妙に冷静に納得していた。本当は死んでいるくらいの傷を負ったから、退院まで半年かかった」
「退院しても元通りにはならなかった。元の家には住めないし、家族もいないし俺がいない間に時間が経ちすぎてた。下手に俺が歩くとマスコミがどこにいるかわからないから、怖くてずっと叔父さんの家に隠れていた。叔父さんは遺族代表になってくれて、俺のことを徹底的に守ってくれた。それは感謝してもしきれない」
「それで、俺は俺で頑張って生きていかなきゃって通信制の高校に入学して死ぬほど勉強した。それで中学で勉強できなかったところと受験勉強もやって、途中で入院したりしながらなんとか兄ちゃんの志望校に意地で合格した。兄ちゃんはA判定もらってたのに、俺はB判定でギリギリだったけどさ」
茉莉は大学の名前を聞いて、小さく息を飲んだ。それは茉莉の通っている大学よりもずっと入学が困難な大学であった。
「だけど、人生甘くなくて。当たり前だけど俺以外の学生はみんな目的意識があって、すっごくキラキラしてんだ。新歓、サークル、研究室。親に何かを買ってもらった、今度の休みは家族で旅行に行く、そういう話ばっかり。そういうのに負けたくなくて、必死で授業に食らいついた。友達なんかいないし、根暗な奴って思われたと思う」
「その頃は随分頑張ってたと思う。だけど、どこで情報が漏れたのか俺の素性がバレてさ。ゼミの時に教授に『そういえば君、源東市の事件の生き残った家族なんでしょ? 大丈夫なの?』って言われてブチ切れて教授と喧嘩になって、そのまま大学は辞めた」
「それから叔父さんの家に戻って、バイトしたり正規で雇ってくれるっていうところに行ってみたけど、どこでも一緒だった。むしろこっちに戻ってきたほうが俺の素性を知ってる奴らが多くて、どうにもならなかった」
「それに叔父さんの家には娘さんがひとりいて、病んでる俺のことをめちゃくちゃ嫌ってた。大学辞めて帰ってきた俺を露骨に避けて『あの時一緒に死ねばよかったのに』ってはっきり言ってきたから、これはもう死ぬしかないって」
佐野は境内に生えている木を指さした。
「あそこで首吊って死のうと思った。刃物は一度刺されたからもう使いたくなかったし、オーバードーズは失敗したら苦しいって聞いてたから首吊りだなって直感的に思って、すぐロープを買いに行ってよし死ぬぞ、これでみんなのところに行けるって木にロープを巻いてたら叔父さんと叔母さんに止められて。それで長期入院。今思うとあのテンションは異常だった。本当に病んでた」
「それで退院してようやくヤバい希死念慮が消えた代わりに、人生の目標みたいなのも全部消えて完全の無になってた。いろんな人の勧めで障害者手帳取って、それ作業所とか訓練校みたいなところにも通わされたけど全部馬鹿らしくてさ。結局引きこもってぼーっとしてたけど、何かしないといけないな、俺ももうすぐ三十歳だしなーって思って」
そこで、佐野は初めて顔を上げて茉莉を見た。
「……それで、あそこで占いやってたんですか?」
「そう、これが簡単な今までのあらすじ。本当はもっといろいろあったけど、イベントだけ掻い摘まむとこんな感じ」
茉莉は時折挟まる「入院」という言葉が気になったが、詳しく聞く気にはなれなかった。
「それじゃ、例の能力の話をしようか。気分は大丈夫か?」
茉莉は静かに頷いた。それは佐野の気遣いではなく「これから更に酷い話になる」という合図のように感じられた。
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