家の中と外
茉莉が外へ出て神社の入り口に帰ってくると、佐野が鳥居の側にぼんやり座り込んでいた。相変わらずの黒ずくめのその姿は、吉川の話を聞いてから改めて見ると酷く痛々しく見えた。
「……で、どうだった?」
茉莉は佐野を直視することが出来なかった。それまで佐野のことは少しふざけた奴だと思っていた。しかし、今となってはどんな顔をして佐野と対面すればいいのかわからなかった。
「どうも、ないです。ただ、重いなあって」
「だから言っただろ、複雑育ちでは負ける気がしないって」
茉莉から見て、佐野はへらへらと笑っているように見えた。しかしそう見えるだけで、胸の内に癒えることのない大きな傷があることを茉莉は知ってしまった。彼が十五年、どのような心持ちであったのかを考えるとますます佐野を見れなくなっていく。
「それで、私に何が出来るんですか?」
「茉莉センセの力を借りたい」
佐野はマスクをとって、茉莉に告げた。
「でも、私が何をすればいいって言うんですか?」
「何もしなくていい。ただ、茉莉センセのその危機回避能力をわけてほしい」
佐野は茉莉に真っ直ぐ向かって、続ける。
「俺としては野崎壮一については見なかったことにして、別に放っておいても構わないと思う。だけど、一度関わってしまった以上最後まで付き合ってやりたいという気持ちもある。現に怪我をしたり亡くなっている人もいる。茉莉センセも、その回避能力がなければ亡くなっている人のリストに入るところだったんだ」
茉莉は佐野の「亡くなっていたかもしれない」という言葉に震える。
「それに、このままだと柴崎さんや塾の他の人たちまでどうにかなってしまう。だから、この先怪しいことがあったらすぐに茉莉センセに相談する。その判断で、俺は動く」
ふと、茉莉は佐野の能力について具体的に知らないことに気がついた。
「でも佐野先生も運勢とか見えるんじゃないですか。それではダメなんですか?」
「俺の場合はある程度の道筋が見えるだけで、正解不正解まではそのときになってみないとわからない。その点、茉莉センセは見えない道でも高確率で正解を導ける」
「そういうものなんですか?」
「もう十年以上付き合ってるから、慣れたものだ。その辺の話は長くなるから、今度ゆっくりしてやるよ。今度は俺の話、聞けるだろう?」
茉莉はゆっくり頷いた。佐野の言うとおり、第三者として吉川に話してもらわなかったら今までの話を受け入れる気にもならなかった。それ以上に、大前提として必要な自分の家族を殺された話を佐野自身の口から語りたくなかったのだと思った。
そう思った瞬間、目の前の男の話を聞きたくないと強く思った。同じく死にかけた身として同じような力を備えていても、佐野と茉莉には決定的に違う点があった。茉莉が死にかけた件に関しては、あくまでも事故は過失だったので茉莉も加害者を哀れんでもそれほど恨んでいなかった。それに対して、佐野は茉莉には計り知れない絶望と憎悪を抱え込んでいるに違いなかった。
「それじゃあ最後にひとつ、聞いてもいいですか?」
「何だ?」
茉莉は、なるべく関係のないことを尋ねようと思った。
「どうして、私のことを茉莉先生って呼ぶんですか?」
当初から、茉莉は不思議に思っていた。塾の他の人からは全員「鳴海先生」と名字で呼ばれていた。ところが佐野は塾では「鳴海先生」であったが、二人のときは「茉莉先生」と呼ぶのであった。
「キーホルダーに名前が書いてあったから、俺の中ではまつりちゃん。それ以上深い意味はないよ」
思いのほか、単純な理由に茉莉は気が抜けた。そして、佐野が得体の知れない化け物ではなく心の通った人間であることを再認識する。
「そうですか」
茉莉はようやく心の底から息が出来たような気がした。そして、再度ここを訪れて詳しい話を聞くことを約束して神社を後にした。
***
その日、茉莉が家に帰ると家族がいつも通り過ごしていた。茉莉は母親の作った料理を食べて、父親とテレビを見て、高校生の妹と何気ない話をした。普通の、ごくありふれた家族の団欒風景だと茉莉は思った。茉莉は改めて事故の時の話を両親に聞きたかったが、この幸せな時間を壊したくなくて聞きそびれてしまった。
事故にあってから、茉莉はある日突然自分が死んだらどうするかということはよく考えてきた。しかし、ある日突然同じように家族が全員死んでしまうこともある。そう考えると、家の外に佐野がいるような気がした。ある日いきなり家族や明るい未来を奪われて、それでも必死に立ち上がろうとする佐野の姿を思うと、自分の何気ない幸せが怖くなってきた。
『貴女は無意識に危機を回避する力を持っています』
茉莉は吉川の言葉を思い出す。そして、自分のことより知らなければならないことがあることも思い出した。
佐野がシキになったというこの事件について知らなければ、自分の状況も見えてこないと茉莉は思った。当時、母親がこのニュースが始まるとテレビを消していたことだけは覚えている。
茉莉はスマートフォンを取り上げた。検索しようと思っただけで、嫌な気分が喉元までこみ上げてきた。「それを調べてはいけない」と体中が警告をしている。それに構わず、茉莉は検索窓に「源東市一家殺傷事件」と入力した。
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