第5話 シキ

八霞神社

 ついに大抵のカレンダーは最後の一枚を残すのみとなった。北風はますます強くなり、道を行き交う人々もどこか気ぜわしい。


 学習塾において、冬休み前のこの時期は最後の追い込みへの準備期間であった。志望校の合格に燃える受験生は机にかじりつき、イルミネーションには見向きもしない。それ以外の生徒はクリスマスにお正月と楽しい行事が続くこの季節に浮き足立っていた。


 そんな中、茉莉は「壮一のことで話したいことがある」と佐野から呼び出されていた。しかもなるべく多く時間を使いたい、ということでわざわざ日曜の午後を待ち合わせの時間に指定された。


「それで、わざわざ時間をとってどんな話をするんですか?」


 茉莉は曇り空の下、待ち合わせ場所にいた黒ずくめの男に声をかける。佐野は塾でこそスーツ姿だったが、私服は全て黒一色で外では黒いマスクまでかけている徹底ぶりだった。


「それは、とりあえずついてきてもらってから」


 そう言うと佐野は茉莉を別の場所に連れて行こうとした。


「ついていくって、どこに行くんですか?」

「俺の家、ここから歩いてすぐだから」


 茉莉は佐野が何を言っているのか即座に理解できなかった。


「それで、話してもらうのは、俺じゃなくて親みたいな人で」

「親ぁ!?」


 ついに茉莉は大きな声で聞き返してしまった。途端に道を歩いている人皆が振り返ったような気がして恥ずかしくなり下を向いたが、誰も二人に注目はしなかった。


「そう、だから、その人に会ってもらいたくて」

「親に会えって、いきなりどうしてそうなるんですか?」


 異性の知り合いから急に親に会ってくれと言われても、茉莉はどうすればいいのかわからなかった。そもそも佐野とはそれほど深い間柄ではなく、いきなり家に呼ばれて親に挨拶しろと言われても茉莉には戸惑いしかなかった。


「だから正確には親じゃなくて親みたいな人で、えーと、何て言うんだろうな……」

「それに、どうして佐野先生が直接話さないんですか!?」

「それは……」


 佐野は反論せず、黙り込んでしまった。それから、言葉を選ぶようにゆっくりと声を出す。


「君と、あと野崎壮一についての大切な話になる。今はそれだけしか言えない」


 そう答える佐野の声は、どことなく震えているように茉莉には聞こえた。


「とにかく、話を聞くだけでも聞いてほしい。君自身にも関わる大事な話なんだ」

「話を聞いてほしいというのはわかったんですけど、なんで佐野先生が直接話さないのか教えてくださいよ」


 普段と違って重苦しい雰囲気を出す佐野の様子から、何か深刻な事情があることは茉莉も承知した。しかし、それを頑なに佐野が話さないことが気になった。


「じゃあ茉莉センセ、君は幽霊を信じるか?」

「急に話をそらさないでください」

「ほら、俺が話してもまともに聞かないだろう?」


 今度は茉莉が反論できなかった。


「……つまり、幽霊とか呪いとか、そういうのと関係あるってことですか?」

「そういうものかもしれないし、そうとも言い切れないところでもある」


 茉莉は、佐野に何か特殊な力があるのかもしれないという懸念を思い出していた。相手の運勢が見えたり茉莉の過去をぴたりと言い当てたことは不思議と言えば不思議であったが、今のところ「偶然である」と言い切れるようなものでしかなかった。


「さて、着いた」


 茉莉が佐野への質問を考えている間に、目的地についたようだった。


「これ、何て読むんですか?」

八霞はつか神社」


 そこは住宅地の中にある神社だった。それほど大きな神社ではなかったが、立派な鳥居が目を引いた。いよいよ幽霊や呪いが現実味を帯びてきたが、それよりも茉莉は気になることがあった。


「おうち、神社なんですか?」

「そう。叔父がここの宮司。中学の頃から世話になってる」


 茉莉は佐野が「複雑な育ち」と言っていたのを思い出し、茉莉まで少々複雑な気持ちになった。佐野が今から何を話そうというのかも気になったが、そもそもこの男が何者なのか、茉莉はよく知らなかった。


 茉莉が佐野について知っていることは、柴崎塾長と顔見知りで子供に勉強を教えることができるくらいには頭がいいが定職にはついてなく、道ばたで怪しげな占いをしていたことくらいだった。特に敵意や下心を感じないことから茉莉は何となく彼に付き合っていたが、今のところ彼について知っていることは姿形以上のことはあまりなかった。


 それもこれも、佐野が自分の話をしたがらなかったからである。「複雑な育ち」が何かを意味するのだろうと茉莉は深く尋ねるようなことはしなかったが、


「あの、ひとつだけいいですか?」


 鳥居を潜る佐野に、茉莉は呼びかける。


「これ、まさかマルチとか変な宗教の話じゃないですよね? 変な洗剤とか水晶玉買えとか、そういう目的だったら帰りますよ」

「誓って変なものは買わせないし、今回は本当に話を聞くだけでいい。もしそういう素振りを見せたら、遠慮なく帰ってもらって結構だ。そして二度とこの件に関する話はしない。なんなら、やっぱり怖いから今から帰るというのも悪くない」


 怖いから何も聞かずに帰る、という選択肢が佐野から提示された。しかし、ここまでやってきた茉莉の中には話を聞くという選択肢以外なかった。


「いえ、せっかくですから話くらいは聞きます」

「……やっぱり、君はいい判断をする。さすが不幸を回避し続けてきただけはある」


 思わせぶりな態度をとる佐野に連れられるまま、茉莉は本殿ではなくその脇の住居へ案内された。


「連れてきたよ」


 佐野が玄関を開けると、男性がすぐに出てきた。宮司と思わしきその男性は、茉莉を見てやはり驚いた表情をする。


「貴女が、鳴海茉莉さんですね? 祥悟から話はよく聞いています」


 宮司はそれから茉莉をじっと見つめた。それは最初に夜道で佐野に出会ったときと同じような目つきであった。


「私、この神社の宮司をしています吉川隆兆きっかわたかかずと申します。いつも祥悟がお世話になっているようで」

「ええ、はあ、まあ」


 茉莉は頭を下げて挨拶をしながら、自分が場違いな空間にいるような気がした。吉川と対面したとき、直感的に「この人から聞く話はとても恐ろしいに違いない」という予感が体中を駆け巡った。

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