コミュ障同士

 佐野と壮一の授業は予定通り行われていた。数回授業を繰り返しただけの佐野と壮一の関係は、それほど変わっていなかった。おどおどする壮一にのんびり佐野が付き合う授業が続き、少し互いに警戒心を抱かなくなったくらいであった。


「お、分数の計算全部正解じゃん! すごいすごい!」


 宿題のプリントの答え合わせをしながら、佐野は大げさな声を出す。


「別に、中学生なら全部出来て当たり前だし……」

「人は人、自分は自分! 昨日の自分を超えられたならそれでヨシ!」


 佐野は卑屈になる壮一を賢明に励ます。


「ほら、俺だって高校行ってないけどこうやって立派にやってるんだから今からでも勉強すれば何とかなるって!」


 佐野は生徒たちに先回りして「高校には行っていない」ということを強調していた。柴崎塾長からは「そんなに言うと、生徒もじゃあ俺も行かなくていいやってなるからほどほどにしておけ」と言われていた。


「入院、していたんでしたっけ?」

「そうそう。中学後半から高校生全部くらい、病院か家かのどっちかだったよ」

「それ、辛くなかったですか?」

「辛いに決まってるじゃないか。それでもこう、何とか頑張って、そう、何とかだ」


 佐野は努めて明るい声を出した。


「そっか、頑張れば何とかなるんですよね」

「大体はな」

「じゃあ、頑張ってその病気ってもう治ってるんですか?」


 壮一の質問に、佐野は頭を抱える。


「まあ、治ってるといえば治ってるような、そうでないような。今でも病院通ってるし、一生モノなんだな」

「じゃあ、頑張ったって意味ないじゃないですか」


 壮一は低い声で呟いた。すかさず、佐野が暗い雰囲気を掬い上げるように反論する。


「そんなことはないぞ。病気も含めて、今の俺がいるんだ。そういうのを認めないと、なかなか苦しい。そこを認めるのを『頑張った』かなあ、俺は」

「……そういう頑張りなんですか」

「頑張り、というか諦めだな」


 佐野の言葉に、壮一は敏感に反応する。


「諦めるのを、頑張るんですか?」

「そう。どうせ俺はもうダメだから、ダメならダメなりに何とかするしかないって思ったら、それなりに生きやすくなった気はする」


 佐野は、壮一が自分の言葉の何かに食いついたのを感じた。


「じゃあ、僕もダメだからダメなりに頑張ってみます」

「何言ってるんだ、野崎君はまだ中学生なんだからダメ判定早すぎ。ダメ判定は二十五歳超えてからするもんだ」


 冗談交じりに言っても、壮一はまだ食いついてくる。


「何ですか、そのダメ判定って」

「社会に適応できるかどうかの判定だ」

「じゃあ僕ばっちりダメですよ、コミュ障だから」

「そんなこと言うなよ、俺たち友達じゃないのか?」

「え、友達だって思ってるんですか?」

「コミュ障同士、仲良くやろうぜ」


 軽口を叩きながら、馴れ馴れしさを佐野は壮一に見せた。


「じゃあ先生もコミュ障なんですか? そう見えないんですけど」


 壮一は佐野の外見を観察する。それなりに社会人として適切な格好をして、少なくとも自分と気さくに話せている佐野がコミュ障であると壮一は思えなかった。


「すげーコミュ障だよ。ここの面接受けるとき、失神するんじゃないかってくらいビビってたし」

「でも、塾長と結構仲良し……」

「昔の知り合いだったから、話しやすいだけ。初対面の人だったら、くじけてたかも」


 その言葉に嘘はなかった。試しに講師を募集しているか電話をかけてみたところ、柴崎塾長と電話越しにやりとりが出来たことですんなりと採用までこぎ着けていた。


「……先生、喋りやすくていいです。コミュ障なんかじゃないです」


 壮一は思ったままを口にする。すると、佐野が壮一の言葉を混ぜっ返す。


「じゃあ野崎君も喋りやすいからコミュ障じゃないな、はい論破」

「なんですか、それ」


 会話が楽しい、と佐野は壮一相手に思った。ただ思いついた言葉を交わしているだけだったが、壮一と会話しているとある種の隔たりがないことを感じていた。


「よし、じゃあ今日の範囲始めていこうか。とりあえず期末テスト終わったと思うから、今日はテストの見直しから。わかる範囲でやっていくぞ」

 

 佐野は問題の解説をしながら、改めて壮一を観察する。「そばにいるだけで運勢が悪くなる」というのは数回壮一の授業を担当して、確信を持った。そして、運勢の悪くなる壮一と悪い運勢を回避し続ける茉莉にある共通点があるのも発見していた。あとはそれをどう本人たちに伝えるかということを、佐野はしばらく悩んでいた。


 その日の授業は当たり障りなく終わり、佐野は今日の授業の様子をまとめた指導報告書と宿題を壮一に渡した。


「そういえば野崎君は、こういう流行り物って見るのか?」


 帰り際、テキストなどを鞄にしまう壮一に佐野は軽い気持ちで島村マナブのアクリルキーホルダーを見せた。それで話が弾めばいいし、持っていないなら誰か友達に託すか捨てるかしてくれないかという目論見があった。佐野も茉莉から託されたものを捨てるのには少し気が引けたのだった。


 しかし壮一は島村マナブを見た途端にぎょっとした顔をして、すぐに目を伏せた。


「え、あんまり、興味ないんでよくわかんないですさようなら」


 そう言うと、壮一は急いで帰り支度を済ませると足早に塾を後にした。


「なんで、あんなに急いだんだろう……?」


 佐野は首を傾げ、島村マナブのキーホルダーを眺めた。島村マナブは眼鏡をかけた優しい微笑みで天使のような翼を広げて揺れているばかりだった。


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