不幸のキーホルダー
次のアルバイトの日、茉莉は島村マナブのアクリルキーホルダーを講師休憩室にいた佐野に押しつけることにした。
「……で、これを俺にくれるのか?」
大学の友人に渡すことも考えたが、そもそもVtuberのグッズをわざわざ布教として渡すのも子供じみていると思われそうで嫌だった。それに、いらないものを友人にプレゼントはしたくなかった。そこで、茉莉は手近なところでキーホルダーを押しつける人物を選定した。
「いらなかったら、他の人に渡してくださいってことですよ」
「捨てろよ」
「なんか嫌じゃないですか、人型のモノ捨てるのって」
「俺だって嫌だよ」
佐野も島村マナブについての話は生徒たちから聞いていたようで、目の前で胡散臭そうにキーホルダーを揺らしている。
「そんな、いらないんだから他人に押しつけろって不幸の手紙じゃないんだから……」
「何ですか、不幸の手紙って」
「この手紙を何人に回さないと不幸になります、って奴だよ。昔流行っただろ」
「ああ、ありましたね。何人にメッセしないといけないって」
「最近はメールじゃなくてメッセージなのかよ」
時代の流れを佐野はしみじみと感じる。
「俺たちが中学の頃はさ、まだスマホが一般的じゃなかったから学生なんて全員ガラケーでさ、メールだぜメール。着信音とか個別で選ぶんだよ。好きな人はラブソングとか、友達は踊る大捜査線のテーマとか」
「何ですか、その文化」
「さあ、何だったんだろうなあ……着信音変えたり、アンテナ光らせたり、ストラップじゃらじゃらつけたり、プリクラ電池のところに貼ったり」
知らない文化の話をされて、茉莉は異世界の話を聞いたような気分になっていた。
「今だって推し活とか言って推しのアクスタ並べて記念撮影、とか推しカラーでコーデとか意味わかんねえことしてるじゃん。あれと一緒だよ、多分」
佐野は島村マナブのキーホルダーをぶらぶらと揺らす。翼を生やしたキャラクターはにっこりと微笑んでいた。
「しかし、妙だよな」
佐野はキーホルダーそのものに疑問を持っていた。
「これ配っているって言うけど、一体どこのどいつが配ってるんだ? アクリルキーホルダーって言ったって、そんなに安いもんじゃない。どいつもこいつもカバンにぶら下げて例の『一日一学』とか言ってるけど、発生源はどこなんだ?」
確かに、塾に来る生徒だけではなく近隣の中高生の鞄には大抵島村マナブが揺れているような気がする。茉莉も、それがいつからと認識できなかった。気がついたらみんな持っていた、という感覚でしかなかった。
「動画見たら、それ以上に妙ですよ。ああ、あれでいいんだーってなります」
「中高生向けコンテンツなんて全部『あれでいいんだ』だろ?」
確かに、茉莉も低年齢層向けのコンテンツの質が低いことはわかっている。しかし、中には中高生が見よう見まねで作っているコンテンツもあるためにあまり大それたことは言えなかった。島村マナブも案外小学生が作った質の低いコンテンツのひとつではないかという疑いもあった。
「それにしても、度が過ぎているっていうか、なんていうか……プロの仕事じゃないっていうんですか?」
茉莉はこの島村マナブの人気そのものにも疑問を持っていた。明らかに動画から得られる情報も特になく、動画が面白いかというとそうでもなくて扱っている情報に間違いがある可能性もあった。それを面白い面白いと連呼する中学生たちが少し不気味に思えていたところだった。
「流行に乗るなら、もっと事務所とかに所属してる公式のVtuberを推した方がいいと思うんだけど、そうでもないんですよね」
「あー、そうやって若者の心に寄り添わない老害が発生するんだ」
茶化す佐野に、茉莉はあきれて言い返す。
「誰が老害ですか、私より年上のくせに」
「俺は複雑な人生経験は豊富なんだよ。特に複雑な若者には、な」
茉莉は佐野の背後に広がっている事情が気になったが、それ以上佐野の言葉を追求することはためらわれる気がした。
「それで、そのアクキーどうします?」
「生徒との雑談に使うから、一応もらっておく」
そう言って、佐野は島村マナブのキーホルダーをポケットにしまった。
「そう言えば、壮一君どうですか?」
一瞬気まずくなった雰囲気を変えようと、茉莉は話題を変える。
「元気だよ。分数のかけ算とわり算はマスターしたと思う」
「本当ですか!? わあよかった!」
茉莉は手を叩いて喜んだ。
「あ、そこだ。そこだと思う」
急に佐野は茉莉を指さす。
「何ですか、いきなり」
「その、壮一君がNG出した理由だよ」
手を叩いただけで何故そう言われなければならないのか、茉莉は理解できなかった。
「つまりはだな……茉莉センセってどっちかというと陽キャなんだよ。しかも女。陰キャの男としてはもうやりにくいしうぜーって感じになるんだ」
「それどういう意味ですか!?」
喜びから一転、茉莉は失礼な物言いに腹を立てる。
「別に、相性が悪いだけで茉莉センセが悪いわけじゃない。なんつーかさあ……こう、余裕みたいなのがあるんだよ。恋愛強者で愛されてきた感がすごい」
「彼氏なんて生まれてこの方いませんけど!?」
「雰囲気だよ雰囲気。真面目に勉強して大学行って夢を叶えるんだー、なんてもう俺は目が潰れそうだよ、見ていられない。俺でもキツいのに、今どん底状態の奴ならどう思うと思う?」
あくまでも自分は「陰キャ男である」と主張する佐野に、茉莉は違和感を覚える。
「でも佐野先生、私としっかり喋ってますよね」
「十万円のアテがあるからな。仕事ならしっかり喋るさ」
「あの、これ仕事なんですか……?」
「俺はまだ諦めたつもりはないぞ。ひとつの答えが出せたら、十万円ってな」
夜道でした話のことを、茉莉は思い出す。
「まあ十万円もらえて、ついでにバイト代も入ってくるならいい仕事だと思うだろう?」
授業の時間が迫ってきたので、茉莉はそれ以上佐野と話すことはできなかった。ただ、本当に壮一の何かが解決するなら佐野に十万円を渡さなければならないのかと少しだけ不安に思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます