第1話 禍福はあざなえる縄の如し

黒ずくめの占い師

 日が落ちるのが早くなり、星が瞬くのが日に日に早まっていく季節になった。その日は雲もなく、星がきれいに天に張り付いていた。


 しかし鳴海茉莉なるみまつりは星を見上げることもなく、すっかり自信をなくしていた。アルバイトが終わって電車で最寄り駅まで来たところで、時刻は夜の十時を回っていた。同じ道を歩いているのは、家路を急ぐ勤め人ばかりである。


「全く、どうしてこうついてないんだろう」


 教師を目指していた茉莉は近隣の大学にある教育学部に進んだが、自分に何が出来るのかわからなくなってきていた。今日も模擬授業の講義で用意してきた指導計画の一式を忘れ、発表の順番を最後に回されることになったり学食で注文を忘れられたり駅構内で変な男に体当たりされたりと散々な目にあっている。


 それもこれも、自分が不甲斐ないからではないかと茉莉の気持ちはどんどんネガティブな方向へ向いてしまう。模擬授業の教授には冷たい目で見られ、学食のおばちゃんにはいない者のように扱われ、挙げ句痴漢紛いの行為まであった。未だにぶつかられた左肩がじんじんと痛む。


「お祓いでもしてもらったほうがいいのかな」


 思えば、ここ数か月にわたって運が悪いと思うようなことが多かった。友達と会う約束をすれば乗った電車が人身事故に合って何時間も電車に閉じ込められたり、長年愛用していたカップが割れてしまったり、高校時代片思いしていた男子に彼女が出来たという噂を聞いてしまったりということが続いていた。出来事をひとつひとつ見れば「運が悪いよ」「落ち込んでしまうね」ということで片付くようなことであったが、あまりにも不運が続くために茉莉は心配になってきていた。


 特に今日のぶつかり男には異様に腹が立った。グレーのスウェットを着た、いかにも社会の負け組というような汚い男であった。ぶつかられた痛みもあったが、茉莉には知らない男に触れられたという屈辱のような感情も湧き上がっていた。


 ついには先ほど、アルバイト先でクレームを入れられてしまった。ここまで負の連鎖が重なったことで、落ち込んでいるのだか腹を立てているのかよくわからないほど茉莉の気持ちは暗闇に沈んでいた。


 その時、茉莉は道の片隅にぼんやりとした灯りを見つけた。


「うらない……?」


 「占」の字を出した白い紙が貼られた小さな卓に置かれた卓上ランプと、その向こうに座っている三十歳くらいの男がいる。黒いフードを被って黒いマスクをしていて、いかにも占い師という格好をしている。


「占いか……厄落としになるかな」


 占い師が男、というところで茉莉は不安に思った。しかし、ここは駅から住宅地までの一本道で人通りもまばらではあるが途切れているわけではない。何かあれば大声を出して走って逃げようと考え、茉莉は占い師に近づいた。


「すみませーん」

「え、あ、お客さん?」


 占い師は茉莉の呼びかけに応じ、急いで背筋を伸ばす。よく見れば黒いフードは厚手のパーカーで、黒いジャージを履いて黒ずくめを演出しているだけだった。


「あの、占ってもらいたいんですけど……」


 茉莉は卓の前にある小さな椅子に腰を下ろす。占い師は黒いフードとマスクの間から茉莉をじっと覗き込み、きっぱりと言い放った。


「やだ」

「やだ?」


 予想外の言葉に茉莉は面食らう。


「どうしても占ってほしいなら……即金で十万円」


 占い師は茉莉に手を差し出す。


「そ、そんな大金持ち歩いてるわけないでしょ!」

「じゃあ無理だ。帰んな」


 占い師は、茉莉を汚いものでも見るような態度で追い払う仕草をする。


「な、なんでそこまでアンタに言われなくちゃいけないのよ! このぼったくり占い師!」


 あまりにも失礼な態度に、茉莉は激昂する。


「それなら正直に言ってやるが……近い将来、アンタはただでさえついてないところなのに死ぬほど酷い目に合う。それが嫌なら即金で十万、これはビタ一文まけられない」

「やっぱりぼったくりじゃない!」


 茉莉は椅子を蹴飛ばして立ち上がる。その様子を見て、占い師は笑ったようだった。


「帰るならそれでもいいが、お前は必ずここに戻ってくる。賭けてもいいぞ」


 客を客と思わないような無礼な態度に、茉莉は更に腹を立てる。占い師のほうを振り向きもせずに、茉莉はその場から立ち去った。


「なんなのよ、いきなり失礼すぎるでしょ!」


 初対面の人間にいきなり「死ぬほど酷い目に合う」と言われても納得のできるものではなかった。しばらく歩いているうちに盛んに動き回っていた腹の虫が落ち着き始めて、茉莉は冷静に占い師に言われたことを思い出していた。


「でも……最近とことんついてないのも本当だし、これからもっと悪くなるのかも」


 ふと茉莉は寒気がこみ上げてきた。あの占い師には自分の身の上は一切話していないはずなのに「ただでさえついていないところに」と茉莉の悩み事を見抜いていた。


「いや、テキトー言っただけでしょ。占いってそういうものだって何かで読んだし」


 占いとは不特定多数に当てはまるようなことを言って、その大枠に当てはまったことで「当たった」と思わせると茉莉は何かの本で読んだことがあった。男性なら仕事の相談、女性なら恋の悩みなど思わせぶりなことを言って、それから相手の反応を見ながら相談内容を探っていくのだという。


「つまり、詐欺師じゃない」


 そのまま歩いて両親が待つ家に到着した茉莉は、玄関を開けようと鍵をカバンから探す。


「……ない!」


 急いで茉莉は来た道を引き返す。駅で定期入れを出すときには確実にあったはずだった。そうすると、落としたのは駅から家までの間の道程に違いない。


「どうしよう、どうしよう」


 スマホのライトを付けながら茉莉は夜道を走った。歩き煙草をするサラリーマンと何度かすれ違ったが、誰も茉莉には興味が無いようだった。もし鍵を紛失した場合、どうなるかを茉莉は思い描く。玄関ドアの鍵の交換、両親の鍵の交換、それに纏わる費用。運のなさもここまで来ると偶然で片付けたくなくなってきた。


「あーもう。誰かに拾われていたら、警察に持っていってくれるかなあ?」


 焦った茉莉が地面を眺めながら歩いて行くと、先ほどの占い師のところまで戻ってきた。


「ほら戻ってきた。探してるのはこれだろう?」


 占い師の手の中で、茉莉の家の鍵についているアクリルキーホルダーが揺れていた。

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