第36話 (完結)薬指

 ティエリ王子を打ち倒し、王位継承の珠を全て揃えてからしばらく経った頃。

 その日、ユリアンは朝から明らかに緊張していた。


 身体が強張っている。朝食を運ぶ手元が覚束ない。

 いつもならば念入りに冷ましてから口にするトーストへ無防備に噛みつき、声にならない悲鳴を上げながら口元を押さえている。

 ……可哀想な様子ではあるが、しかし動作に可愛げがあるせいで頬が綻びかけてしまう。いけない、いけない。


「旦那様、どうぞ。アイスコーヒーでお冷ましになって」

「……ああ」


 私の手から受け取ったコーヒーをグイ、と飲み干そうとして、喉越しの勢いが良すぎたのだろうかユリアンがケホッと数回むせる。

 踏んだり蹴ったりね。同情しつつ席を立ち、ユリアンの背中をさする。


「やはり、緊張されますか……」

「あ、あ……ん、……!? ど、ういう意味だ……!?」

「今日でしょう、王国議会の結果が公表されるのは」


 ユリアンが口を半開きにし数秒硬直したあと、場の空気を誤魔化すように咳払いをした。

 違ったのかしら? てっきり、会議結果を案じ落ち着かずにいるのかと。


「エミールなら、……大丈夫、だろう」


 つっかえながらも、ユリアンが彼にしては長文を話す。

 ティエリ元王子を討伐して以降、ユリアンの喋る文字数は僅かながらではあるが増えつつあった。

 十文字を超えることも最近では珍しくない。……平均よりは断然、無口なままだが。


 でも、それでいいのだと思う。

 ユリアンがコミュニケーションに難を抱えた人物であることに変わりはないけれど。

 意思疎通のための努力をしてくれている。それで充分だ。


「そうですね。きっと王国議会も認めざるを得ないでしょう。エミール様の国王就任を」

「シノはどっちかってーと、エミール殿の国王就任より次期王妃選定の方が難航すると思うっす」


 壁際で給仕として待機しているシノが口を挟んだ。

 つられたようにマディが口元を手で押さえ苦笑を浮かべる。


「有名ですものね、エミール様のハーレム……」


 エミール様曰く、エミール・ハーレムは『ティエリ王子より反感を買っていた人々を集めた組織』とのことだが。

 ……それで納得を得られるかはまた別問題だ。

 は事実なのではと、疑念と反感を持つ次期王妃候補も多いだろう。

 それもこれも、婚約者選定をのらりくらり躱し続けていたエミール様の問題ではあるが……。


 ナァン、猫の鳴き声が耳に届く。

 音の方向を見れば、ユリアンの飼い猫がドアの隙間から朝食室へ入り込むまさにその瞬間であった。

 冷製スープに口をつけていたユリアンがぽつり、飼い猫の名を呟く。


「リリー……」

「改めて聞いても猫の名前が『リリー』って、やっぱストーカーっすよね辺境伯殿」


 ゲホゴホッ、とユリアンが盛大にせて咳き込む。

 スープが気管に入り込んでしまったのだろうか。再度ユリアンの背中をさする。

 ふと気付く、ユリアンの耳が赤く染まっている。何故だろう。


「旦那さ――」


 しかし私の発言は、映像の投影を始めた猫リリーの鳴き声により阻まれる。

 ――始まった。王家による強制配信。次期国王に選定された人物が遂に公表されるのか。

 固唾を呑んで見守る視線の先、映像内に姿を見せたのは……エミール様だった。


『やーほー、国民諸君~。今日は一個だけ残念なお知らせがあるんだ』


 ピリッと緊張が走る。……まさか。


『どうやらオレ、もう、きみたちの恋人を名乗れないみたいでさ……』

「……はあ? 何言ってんすかこの人」

『オレのお嫁さん、つまり次の王妃になる人は、ひとりじゃなきゃいけないんだって~』


 ――がっくりと肩が沈む。変に不安にさせないでほしいわ!

 しかし、この軽薄な言動もまたエミール様なのだろう。

 彼を国王に選んだのは他ならぬ私なのだから、仕方ないと受け入れるべきかもしれない。


 *


 話途中で強制配信が始まったため色々ユリアンに聞きそびれたな、と朝食後に気付いた。

 例えば――今朝は何故、あんなにも緊張していたのか、とか。


 初老の執事にサポートを受けながら書斎にて自家調達計画書を練りつつ、朝のユリアンの様子がどうにも脳裏にチラついてしまう。

 城主の妻としては超・未熟者であるというのに、この体たらく。駄目だわ、今は眼前の仕事に集中しないと。


「執事、冬季に向けた燻製と塩漬けの計画なのだけれど――」

「……リリアナ様、肉の量が過剰に思います」

「うう、やはりそうよね……執事、私の分は自費で出すから、それならいいかしら……」


 城内運営――使用人の配置から買い出し計画まで、家事全般の切り盛りはユリアンの妻たる私の役目だ。


 城下町巡回に迷宮探索と、外をほっつき歩いていた頃は全く職務を果たせていなかったけれど。

 ハイデッガー領・第一迷宮の出入口は地下三階の攻略終了後、驚いたことに自壊してしまった。

 それ以降、街中で魔物が目撃された例もない。


 故に、今は城を飛び出すこともなく。

 初老の執事よりハイデッガー城運営について指導を受けている。

 ゆくゆくは領統治のために必要な税金、裁判などの手続き関連についても教えを乞う予定だ。

 ユリアン不在時でもハイデッガー領を存続させられるように。


「……ふう……」

「お疲れですか、リリアナ様」

「あ、執事。申し訳ないわ……疲れたわけではないのよ。ただ、今後のことを思うと」


 ――身体を鍛えること以外なにもしてこなかったのだ。

 辺境伯の妻として覚えることは山積み。しかも正直なところ、まあまあ苦手分野……。


「マディが眩しいわ……彼女、計画立案も、法解釈も得意だものね」

「……マディ様も、そろそろご結婚のお年頃。嫁ぎ先で、見事な手腕を発揮なさるでしょう……」

「そうね、彼女の婚約者も鼻高々でしょう。……えっ、執事!?」


 涙を見せる執事に戸惑う。

 幼少期から成長を見守っていたマディが嫁ぐことに寂しさを覚えているのだろうか。

 悪いことをしてしまったわ。慌てて話題を変える。


「そ、そういう意味で意外だったのはアネットね」

「アネット様。確か、元・聖女の……」

「ええ。まさかホンザ様についていくなんて」


 ホンザ様は珠の力を用いて国内に混乱を引き起こしたとして引責。

 ハイデッカーとは別の辺境へ飛ばされたらしい。

 王国議会はティエリ元王子の企みを摘発した英雄として祭り上げようとしたらしいが、ホンザ様本人が固辞したと聞いている。


「ホンザ様に同行したというか、ホンザ様の着任先がアネットの故郷だったらしいけれど」


 ティエリ元王子が奪い取った聖女の能力は、階層ボスの力と共に失われた。能力がアネットの元に戻ることもなかったのだ。

 結果として我が国、アランブール王国はどんな能力も使いこなす聖女を失ったわけだが……それはアネットの喪失を意味はしない。


 聖女でなくなったアネットは、ホンザ様と共に故郷へ帰るようだ。ご両親も喜ぶだろう。

 ……ホンザ様と共に、という点が気にかかるけれど。



 アネットと別れた時の会話を思い出す。

 話を切り出したのは、訝しむ表情のシノだった。


『まさかとは思うっすけど……ホンザ殿は無関係なんすよね?』

『あー、噂になってるらしいですねー。わたしがホンザ様を好きなんじゃないかって』


 あはは、と心底おかしそうにアネットは笑っていた。


『……アネット。大丈夫? ホンザ様は多少改心されたようだけれど、ティエリ王子の元配下であることに変わりはない。……彼が近くにいると、嫌なことを思い出して辛かったりしない?』


 アネットはティエリ元王子から暴力を受け精神的に支配されていた。

 ホンザ様の存在は、嫌な記憶を蘇らせてしまうのでは。

 ……そう、心配していたのだけれど。


『ホンザ様がいる時は、殴られなかったんですよ』

『……? ホンザ殿がクソ王子を止めてたとか……や、そんなわけないっすね』


 アネットが手を口元に添え、同意のニュアンスが含まれた笑い声を漏らした。


『わたしが命令の実行を少しでも躊躇したら、ホンザ様が即座に任務を代わってくれたんです』


 ……アネットに嫉妬し、少しでも手柄を横取りしようとしていたのね。

 ホンザ様の所業に呆れた私に気付いたのか、アネットが取り繕うように口を開いた。


『わたしの為じゃなかったことは分かってます。でも、ホッとしたから。だから大丈夫ですよー』


 微笑んだ元聖女の可愛らしい表情を見て思う。

 ……アネット、ティエリ元王子に目を付けられた件もそうだけれど。

 男運が、無いのかもしれない……。



「変な男に引っ掛かったりせず、故郷で元気に暮らしてほしいわ。今頃どうしているかしら、アネット」

「リリアナ様、御手紙をしたためるのは如何ですかな? リリアナ様のご鍛錬にもなりましょう」

「執事……痛いところをつくわね……」


 社交は貴族の妻の務め。手紙は重要な連絡手段コミュニケーションツール

 品も格もない手紙なんて書いていられない。一から勉強し直す必要があるわ。

 責務は山積み。頭も痛くなろうと言うものよ……。


 でも、弱音を吐いてばかりはいられない。

 ユリアンの妻として生きていくんだもの。やるべきことをやらなければ。


「リリアナ様の御尽力、使用人は皆よく分かっております。大丈夫ですよ。すぐ上達されましょう」

「ありがとう。執事の発言を真実にしないとね」

「はは、頼もしい限りで。――っと、もうこんな時間ですかな。リリアナ様、ここはおひとつ休憩を取られては?」


 朝と昼の中間点、定刻を告げる鐘の音が領内に鳴り響く。

 ――そろそろ、ユリアンも休憩に入る時間。執事もそれを分かって提案してくれたのだ。


 礼を伝え書斎を出る。行き先は貯蔵室。

 ユリアンの氷で冷えた室内は冷菓を保管しておくのにピッタリだ。


 *


「旦那様――」

「……ッ!?」


 冷菓を両手に、温室で休憩を取るユリアンへ背後から声を掛けたら驚かれてしまった。


 大きく肩が浮いたユリアンは、恐る恐るといった様子で私へ向け振り返る。

 表情は困惑に満ちて、眉の軌道が心なしか曲がりくねり歪んでいる気がする。


「旦那様、どうされました? もしや領内で事件でも」

「あっ、いや、そうでは……」


 慌てた様子で取り繕うものの、ユリアンの表情から憂慮の色が消えることはない。


「お悩み……ですか?」

「……、いや……」


 右手に持つ冷菓をユリアンに向け差し出す。

 小さな容器に、丸まったアイスクリームとスプーンが入った一品。


 ――お礼の品。の、つもりでもあった。いつぞやの農地査察で庇っていただいた時の。

 けれど最早、お礼の品など一つでは足りない。


 つど謝礼アイスクリームを贈っていては、ユリアンはすぐにぶくぶく肥えてしまうだろう。それも可愛いかもしれないが、健康には悪い。

 だからこれが最後だ。

 今後は――私がユリアンに助けられたように、私もユリアンを支えていく。


「甘いものでも、如何ですか? 気持ちも少しは晴れましょう」

「……、ああ」


 決意の表れでもある冷菓を、そうとは知らぬユリアンがおずおずと受け取る。

 温室設置の椅子にユリアンと向かい合わせに腰掛け、冷菓を一口。


「……!」


 ユリアンの顔色が変わる。

 雄弁な人なのだとようやく分かってきた。口下手を補って余りあるほど、表情はよく語る。

 きっと脳内では数多く喋っているのだろう。だから顔付きも流暢なのだ。


 言うまでもない、か。

 配信越しではいつも、たくさん声を掛けてくれていたんだもの。

 人前で話すことに慣れていないだけ。


 だから、もしかしたら将来的には。

 コメントの御方のように、ユリアンも自然に会話するようになるのかもしれない。


 そうならなくても、どちらでも良いけれど。


「お気に召したようで光栄です」

「……ああ」


 冷菓を食べ終えたユリアンが軽く息を吐いた。

 先程までと比べ落ち着き払った様子――いや、どうだろう。

 開き直ったようにも見える。


 ユリアンが懐から何かを取り出し、私へ向け差し出した。

 小ぶりの黒い箱。掌にすっぽり収まる箱の蓋をユリアンが開ける。


 中には――円を描く白銀色が二つ。

 周囲には煌びやかな輝きダイヤモンドが施されている。


「指、輪……」

「……渡せて、いなかったから」


 ユリアンが私の左手を取り、薬指をそっと撫で上げた。

 その温もり、その感触に――遅れて気付いた時には。


 手遅れなほど全身が沸騰していた。


 心臓が強く波打つ。

 血液が全身を急速に巡る。

 指先に集まった体温がドクンドクンと強く音を鳴らす。


 私の気を知ってか知らずか。

 ユリアンが黒い箱を机上へ置き、取り出した指輪を私の左手に添わせ、潜らせ。

 指の根元までしっかりとはめ込んだ。


「……、……」


 慈しむ瞳が私の左薬指の輝きを見て目を細めた。

 まだ、手は繋がれたまま。

 ……気付かれてしまっているだろうか。早過ぎる鼓動に。


「銀の、髪色に似て……」


 ぽつり呟いたユリアンの口元に、左手が吸い寄せられる。


「似合うと、思ったんだ」


 一瞬だけ、唇が薬指に触れた。

 似合わないことをやってのけたユリアンは――その後すぐ、俯いて表情を隠し、そのまま硬直。

 けれど隠しきれていない、癖の強い髪の隙間から覗くユリアンの耳は。……真っ赤に染まっていた。


「……ふふっ、ふふふふ!」


 気が抜けた笑い声が温室内に響く。

 ――なんて愛おしい人だろうか。

 思いに応えたくて。置き去りにされていた、もう一つの指輪を手に取った。

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ダンジョン配信唯一の視聴者は形だけの結婚相手【旦那様】なのだと私だけがまだ知らない模様です【カクヨムコン10】 ささきって平仮名で書くとかわいい @sasaki_hiragana

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