第35話 共に
ティエリ王子の頬へ打ち込んだ右腕を力いっぱい振り抜く。
勢いに押され傾いたティエリ王子の身体が強く地面へ打ち付けられた。
「カハッ……」
喀血を吐いたティエリ王子が白目を剥き倒れ込んだ。
――気絶したようだ。顎に垂れる汗を拭う。
『勝った! 完!』
『フラグを立てるなフラグを』
『窓の外見ろ、魔物が退陣してる!』
『よかった……助かったんだ……』
映像記録コウモリが伝える街の様子を聞き、ほっと一安心。
無事、勝てたんだわ……。あとは階下へ行くだけ。
「シノ、ユリアン、エミール様。行きましょう、地下四階、へ……!?」
振り返った瞬間とほぼ同時だっただろうか。
足元がグラつく。反応した時には既に全身が浮遊感に包まれていた。
――落ちている。地割れに飲み込まれた?
「リリアナ――!」
手を伸ばすユリアンの姿が見えた、けれどもう視界から消えてしまった。
気付けば周囲は真っ暗だった。
階下に落ちたにしては暗過ぎる。おかしいわ。ここはどこ?
疑問に応えるように音が響いた。
『――望みを答えよ』
その音は言語を発していたが……人間の声ではなかった。
この期に及んで新たなる敵? 身構えようとして気付く。
握り拳を作ろうにも、力が入らない。身体が極めて観念的なものになっている。
肉体に現実味がない。ここは現実ではない……?
『我の力で汝の欠落を埋めよう。望みを述べるがよい』
欠落。望み。
昨日、エミール様が仰っていた発言を思い出す。
迷宮に喰われた人間は心の内に、満たされない
「あなたが……迷宮の主?」
返事はなかった。――肯定の返事があったと捉えるべきかしら。
『望みを答えよ』
ティエリ王子、聖女アネットが迷宮に喰われた際も同様の問答があったのか。
マディやホンザ様も迷宮の声に導かれ望みを口にして――階層ボスとなったのだろう。
「今度は私を
呆れた。吐き零した溜息は風を起こさず概念の中へ消えた。
強がりで辟易しているわけではない。頭の中は冷えている。この上なく冷静。
だからこそ客観的に断言できる。
遅すぎるわ。私を勧誘しようというのならば。
昨晩、私を覆いつくした温もりを思い出す。
ユリアンの温度を――能力を使用してもなお凍てつくことのない、優しく穏やかな体温。
知らないままであったのならば、迷宮の誘いに乗っていたかもしれない。
でも、今はもう違うわ。
「聞きなさい、迷宮。私の望みは――ユリアンと共にあること。あなたに叶えられるものではない」
空間を包んでいた静寂にヒビが入る。
暗闇の縫い目を
確かなことは、その生命体は剥き出しになった人間の眼球を幾つも身体に付着させていること。
眼球の根本から数多の触手が生えていること、その二つだけであった。
『欠落し者よ。汝の不完全さに何故気付かぬ?』
「あなたの言う通りよ。私は完全無欠ではない」
再度手のひらを握り込む。
今度こそ力を入れることができた。手の中に、掴むべき物質を見出すことができたからだ。
捕まえた物の形は木刀によく似ていた。
しかし材質が違う。ざらざらとした木ではなく、滑らかでとても冷たい。
ユリアンの氷だ。直感的に思う。
氷の剣。現実のユリアンが作り出したものなのか、それとも私の想像でしかないのか。
どちらでも構わなかった。一人では握れなかった武器も、ユリアンがいてくれれば。
そう思えるだけで充分だった。
『汝を必要とする存在は、我だけであるというに……』
必要だから力をくれてやろう、愛してやろう――って?
そんなの真っ平ごめんだわ。
氷の剣を振り下ろす。
手応えはなかった。けれど剥き出しの眼球が血飛沫を上げ潰れていった。
「――リアナ! リリアナ……!」
瞳の裏に薄らと光が宿り始めた。目を開ける。眼前にはユリアンがいた。
必死の形相。心配、かけちゃったわね。
「大丈夫ですわ、旦那様。私、ここにいますから……」
――ユリアンの隣に。
それが迷宮の主へ押し付けた、私の答えだった。
*
ユリアンに抱きすくめられる。
私の顎がユリアンの肩にくっ付いた。視界の先、天井には穴が空いている。
地下三階の床が抜け、地下四階に辿り着いたようだった。
天井の穴からは氷の階段が伸びている。ユリアンが階下へ降りるため作り出したのだろう。
階段の脇には意識を失ったティエリ王子が寝かされていて、その様子をすぐ近くでエミール様が見ていた。
『
『抱けえっ!! 抱けっ!! 抱けーっ!!』
『
『コメント欄荒れ過ぎててマジ草w』
コメントに煽られるように――旦那様が私を抱き起こし、自らも立ち上がった。
そのまま一目散、ユリアンが映像記録コウモリの視界から外れる場所まで遠ざかる。
「ったく、せっかくシノが遠慮したってのに。ヘタレ過ぎて泣けてくるっすよ」
シノが私の腰に抱き付きながら悪態をついた。
地面を凝視するユリアンの背中が寂しい。
私はもう少し、くっついていたかったけれど。荒れたコメントを気にするな、と強制するのも旦那様には酷だろう。
ふと気付けば右手に何かを握り込んでいる感触。
徐ろに手を開く。赤い玉。
「王位継承の珠……」
『は? 珠? タマナンデ?』
『本来ティエリ王子が獲得するやつだろ』
『でも俺、
私の呟きに反応してコメント欄が騒ぎ出した。
軽率だったわ。焦燥を覚えつつ、助けを求めようとエミール様を振り返る。
エミール様は映像記録コウモリを見つめ笑顔を浮かべていた。あら? てっきり怒られるかと。
『
――は?
『そうだよ、王位継承の珠獲得したの
『
『推しが戴冠!!??』
『
『ティエリ王子よりは断然いいだろ』
「クソ王子と比べてるやつ誰っすか? クソ失礼っすよ? リリアナお嬢様のが良いに決まってるじゃないっすか」
無邪気に無茶を言うコメントに唖然とし思考停止する。
私が国王――無理に決まってるじゃない!
エミール様に助けを求めようと視線を送るも、意味深にニコニコとされたまま。意図が分からない。
他に頼れる人もいない、シノはコメントの風潮を煽りかねないし。
ユリアンは……言うまでもないわ……。
「視聴者の方々、お待ちください。私は国王になどなれません」
『えー残念』
『でもさあ
「……仰る通りですね」
覚悟を決める。私の技量では場を収められないのだから。
巻き込むしかない。エミール様を。
一歩踏み出す。エミール様が笑顔は絶やさぬまま少しだけ目を見開いた。
「エミール様。これを」
王位継承の珠を差し出す。
エミール様が、わざとらしくゆっくりとした動きで珠を受け取った。
意味を正しく読み取ったのであろうコメント欄が騒つく。
『
『これ国内勢力図に影響あるんじゃね』
『影響ないわけねーだろ! ハイデッガー辺境伯がエミールを支持してるってことだぞ!』
「!?」
名指しされたユリアンが動揺を見せた。
……そういえば王位継承の珠の件も、エミール様を支持し動いていることも。
ユリアンにはまだ、伝えていないんだった……。
「ユリアンは最初からオレ派だよね〜? オレ以外の貴族とマトモに喋れないし」
『よりヤバい情報出してくんな』
『
『氷の板に文字刻んでたのかもしれねーだろ!』
言われ放題のユリアンであるが、本人としては現況を理解するので精一杯。
反論の余裕など無さそうだ。
……余裕があったとて、反論などは難しいだろうけれど。
尚もユリアンの話題で盛り上がるコメント欄を尻目に、エミール様が懐に手を入れる。
再び我々の眼前に現れたエミール様の右手は、赤い玉――王位継承の珠を三つ、握り締めていた。
「さ、これで珠も三つ全部揃ったわけだけど」
『は? 超展開やめろ』
『最初からティエリ王子出し抜く気満々だったのかよ!』
「王にし甲斐のある男に成長してほしいという兄の願いを先に裏切ったのは
『――
急に矛先を向けられ戸惑う。
『王にならないにしても、王妃になる選択肢はあるだろ』
『ええ? お前さっきまでの配信見てた?』
『見た上で言ってる。
爵位を呼ばれたユリアンの肩がビクリと浮いた。
『悪い言い方すれば、
俯くユリアンの首の角度が、どんどん深くなっていく。
その姿を見れば――分かるわ。悪意がなかったことくらい。
だから、返事はもう決まっているけれど。
少しくらいは意趣返し、してみようか。
「――ユリアン、私を騙していたの?」
「ッ……、……」
「酷いわ……乙女心を弄んでいたのね……?」
「それ、は……! いや……俺が、悪かっ……」
口元が笑ってしまう。
――駄目ね、これ以上は上手く続けられなさそう。
「なんて、冗談よ」
「……!」
「リリアナお嬢様にしては迫真の
顔を上げたユリアンの表情は不安と歓喜の両方が混ざり合って、少しだけ幼く見えた。
その姿を可愛いと思う自分がいるのだから、もう他の選択肢なんてないのにね。
ユリアンと共にいる以外の未来なんて、あり得ないわ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます