第38話 美人画から消えた美女のその後
「節操がないにもほどがある。だが、これらは方清舟が描いた絵で間違いないだろう」
雷嵐の口調があまりにきっぱりとしていたので、不思議に思った杜天佑は質問する。
「どうして方清舟の作だと言いきれるのですか? 主題がさまざまなだけではない。筆運びや絵柄も、何もかもが違うのですよ?」
書や絵には製作者の個性が出ると、書画に明るくない杜天佑でも知っている。よって雷嵐の言いぶんが信じられず、彼は主張を強めた。
感情的になる杜天佑とは逆に、雷嵐は淡々と「彼にはこれらを描く技術があるからね。それに机の上の絵がすべて本物なら、古今東西の名画だらけだ。それは、さすがにあり得ないだろう」と、淡々と口にする。
聞いたばかりの言葉を処理しきれない杜天佑は「名画?」と言い、きょとんとした。ほどなくして狼狽し、絵を凝視した杜天佑は「そんな、まさか……」と言いよどむ。
――これらの絵は、すべて偽物?
いつの間にか自分の作業にもどった雷嵐は、作業の手を休めずに「そう。すべて贋作だよ」と軽い口ぶりで答えた。彼は「ただ」とつづけ、言う。
「わたしたちが探しているのは贋作ではない。まあ、わたしの推測の裏付けにはなるけどね」
杜天佑と話しながらも、雷嵐は新しい装丁の絵巻物をどんどんと開いていく。そして「あったぞ!」と声をあげると、長机に広がる贋作の上に、ふたつの絵巻物を広げてみせた。
雷嵐が広げたふたつの絵を見た途端。書房の絵を雷嵐が何の目的で調べていたのか、杜天佑にも考えるまでもなく理解できた。
――なるほど。たしかに贋作は事件とは、まったく関係ない。
「方清舟は、詐欺師なのですね」
確信した言葉を、杜天佑が言った直後だ。きいっと木のきしむ音がして、閉じておいたはずの書房の扉が小さく開いた。
「白虎、ここなの?」
何者かの名を呼ぶ可愛らしい声がした。同時に、書房のなかを歩きまわっていた白い犬が「きゃん!」と吠え、扉に走りよる。
突然の人の声と犬の鳴き声。驚いた杜天佑は長机にぶつかり、がたりと音をさせてしまう。
――まずい!
隠す時間もない。わかっていたが、杜天佑は思わず長机の上の絵巻物を見た。
目についたのは、堂々として威厳のある恐ろしい顔つきの閻羅王だ。死者の魂を審判し、行き先を決定する大王の目は、杜天佑に観念しろと言っている気がした。絵を片付けるどころか、身を隠せる場所もない。
杜天佑が逃げられないと諦めた直後。部屋の扉がさらに開き、何者かが白い犬を抱きあげた。
犬を抱きあげた人物と、部屋の入り口を凝視していた杜天佑の目が合う。
書房の入り口に立っていたのは、身なりのいい一人の少女だった。彼女は、もともと大きな丸い目をいっそう丸くして、杜天佑たちをじっと見つめた。家人でもない男たちが、長机に無造作に絵を広げ、手にも絵巻物を抱えているのだ。どう見ても、杜天佑たちは不審者。少女が目を丸くして驚くのも無理はない。
弁解の余地はなかった。黙りこんで少女を見つめ返すしか、今の杜天佑にはできない。
ところがだ。
――おや?
いやおうなく少女の顔を見た杜天佑は、一つの違和感に気がついた。彼は思わず、ぽつりと言葉を漏らす。
「その目元の泣きぼくろ。胡さんの言っていた絵から抜け出した女みたいだ」
『左目に泣きぼくろがあるのも、絵と同じでした』
美女が消えた美人画の持ち主である胡逸然の言葉が、杜天佑の脳裏によみがえる。ほどなくして、彼が消えたのは若い女だと言ったのも思い出した。
杜天佑がつぶやいた直後、少女はかっと頬や耳を朱に染めた。彼女は顔をそらし、手で目元を隠す。
好奇心が先に立ち、杜天佑は目元を隠す少女に疑問をぶつけた。
「お嬢さん。あなた、胡逸然の屋敷を知っていますか?」
質問したのは不審者だ。悲鳴をあげるなり、逃げるなりしてもいい。しかし、少女は視線をさまよわせ、「わ、わたしは」と口ごもるばかりで、動けずにいる。終いには、荒い息をして青ざめた。
少女の異変に気づき、心配になった杜天佑が彼女に近づこうとしたそのとき。
「そこで、なにをしているのですか?」
きびしく問いただす男の声がした。
少女もふくめ、杜天佑たちの意識が書房の外にむく。すると、外廊下に立つ方清舟の姿が目に入った。あわせて、彼の背後にいる見知った顔にも杜天佑は気づく。
泣きぼくろのある少女が「お父さま」と口にし、杜天佑が「段頭領! どうして、ここへ?」と質問したのは、ほぼ同時だった。
方清舟は、はっと表情を強張らせた。慌てて背後を見た彼は「段頭領? あなたは、李さんと名乗って……」と言いよどむ。しばしの後、段志鴻をにらみつけ、方清舟は言う。
「破迷司の段志鴻さまなのですね? 弟子入り志願は作り話。ぜんぶ、わたしを追いつめるための芝居だったのか!」
非難めいた声をあげ、方清舟は段志鴻から距離をとろうとした。ところが、段家の従者が行く手をはばんでしまい、離れられない。
身動きが取れない方清舟に、雷嵐が「どうやら、段頭領の顔までは知らなかったみたいだね」と話しかけながら近づいた。いやに丁寧に「方画仙」と呼びかけると、彼は言った。
「絵に命が宿る話は、あなたが仕組んだ虚構だ」
雷嵐の言葉に、方清舟は目をするどくした。それから彼は「あなたたちは、なにを言って」と言いかけ、長机の上の二枚の絵を見て言葉を飲みこんだ。並行して、彼はまっ青になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます