第37話 一方通行の言霊
磨きこまれた廊下は、犬の足では滑るようだ。小股でよたよたと歩く姿は、かわいらしかった。
「ああ。さっきの犬か」
杜天佑は、近づいてくる白い犬を見下ろす。
しかし、犬のほうは杜天佑を見ない。犬が見つめるのは、彼の背後にいる江若雪だ。
江若雪もまた、犬をじっと見つめ返す。
白い犬は「きゃん、きゃん!」と江若雪にむかって吠え、しっぽを機嫌よくふる。
犬が吠えるのにあわせ、ぱちぱちと江若雪はまばたきした。
――会話でもしているようだ。
杜天佑とともに犬と幽霊の交流を見ていた雷嵐が「いいところに、やってきたな」と口にし、江若雪に近づいた。彼は、彼女の耳元でパン、パン、パン、パンと四回、手をたたく。
雷嵐が手をたたき終わった直後。江若雪は、目を大きく見開いた。すかさず、雷嵐は彼女の耳元に顔をよせて「この屋敷の書房はどこかと、その犬にたずねてくれ」とささやく。
江若雪は、ふいに困惑した顔をみせた。しかし、すぐに普段の無表情を取り戻すと、彼女は犬にむかって口を動かした。
江若雪が犬に話しかけていると雰囲気でわかる。ところが、杜天佑には江若雪の声は聞こえない。
ただ、白い犬の耳は江若雪のほうを向いていた。ぴくぴくと耳を動かす犬は、何かを聞いているようだ。しばらくして、白い犬は「きゃん!」と吠えると、ちょこちょこと客間から出て行った。
すると、江家の屋敷内でもないのに、江若雪が杜天佑の背後から離れ、白い犬の後を追いはじめる。
「さあ。わたしたちも追うぞ」
白い犬と江若雪の後につづき、雷嵐も客間を出た。
杜天佑は「え? あ、はい!」とまぬけな声をあげ、雷嵐の背中を追った。歩きながら彼は驚愕の表情を浮かべ、「あなたは、小雪と話せるのですか?」と、雷嵐の背中にむかって質問した。
振りむきもせず、雷嵐は「ああ。手をたたいて
答えはもらった。それでも、杜天佑には雷嵐の話がわからない。思わず眉をよせ、彼は黙りこむ。
雷嵐の話はつづく。
「一、天。二、地。天地和合。最初の二拍をもって、天と地を結ぶ。三、有象。四、無象。万物和合。次の二拍手をもって、
一、二、三、四と、雷嵐は利き手の指を立ててみせた。
――ほんの一瞬でも、この世ならざる存在と交流できる。それは確かじゃないか!
雷嵐が重要な情報を杜天佑に教えていなかったと感じ、彼は「だったら」と言って、声を荒げる。
「あなたはなぜ、彼女の未練を彼女自身に質問してくれないのですか?」
――何に未練を残しているのか。それを直接、彼女の口から聞けばいい。そうすれば、彼女をすぐにでも輪廻のなかに戻せるはずだ!
怒る杜天佑に「話せるとは、少し違うのだ」と淡々と言い、雷嵐はさらに説明を加える。
「わたしの言葉を一方的に聞かせただけで、わたしには彼女の声は聞こえないのだよ。一方通行なのさ」
思ったより不自由な技らしい。希望が消え、落胆した杜天佑が「そうですか」と肩を落としたときだった。雷嵐が「目的地に着いたみたいだぞ」と足を止めた。
幸いにも、目的の書房は客間の隣室だったらしい。開き戸の前で、小さな白い犬は「きゃん!」と誇らしげな吠え声をあげた。
◆
杜天佑が代表して、隣室の開き戸を開ける。
扉が開くと同時に、まず白い犬が部屋のなかに駆けこんだ。犬につづいて、杜天佑たちも部屋に足を踏み入れる。
部屋にはたくさんの棚が置かれ、巻物が積み上げてある。その光景は、江家の書庫に似ていた。ただ、整然と置かれているぶん、この部屋のほうが整理が行き届いて見える。
巻物の体裁をとった書も数多くあるが、大量の巻物、それに絵師の屋敷ともなると、書だと考えるのは不自然だ。置かれているのはきっと、絵師が描いた絵にちがいない。
部屋のなかをぐるりと眺め、雷嵐が言う。
「巻物の内容を確認しよう。おまえは、そっちの年季の入った装丁の巻物。わたしは、比較的新しい装丁の巻物を確認する」
雷嵐がてきぱきと指示する。
しかし、指示に明確でない部分があると感じ、杜天佑は「確認するとは、巻物の何をですか?」と、雷嵐に質問した。
はやくも巻物を手に取り、巻紐を解きながら雷嵐が答えた。
「わたしの推測どおりなら、見れば気づけるはずだ」
書画に明るくなく、気づける自信がない。杜天佑は「はあ」と煮えきらない返事をした。ただ、雷嵐が「絵師が戻って来ないうちに、早く!」と急かすので、しぶしぶ確認作業をはじめる。
なにを調べているのか理解できぬまま、杜天佑は部屋の中央に置かれている長机に手当たり次第巻物を広げていく。そして、広げる作業のなかで多くの絵を見るうち、違和感に襲われた彼は思わず疑問を口にした。
「これらがすべて、方清舟の作品だなんて信じられません。彼の作品ではなく、彼の収集物では?」
花や鳥を描いた華やかな花鳥画、山河の自然の風景を描いた山水画。たおやかな美女や雄々しい武人を描いた人物画、それに閻魔大王の絵は宗教画だろう。ほかにも、風俗や伝説上の生き物を描いた絵まである。百歩譲って、そこまではいい。方清舟自身に見せてもらった絵も、画題は様々だったから。しかし、広げた数々の絵の空気感にはまとまりがなく、一人の人間が描いた絵とは、どうしても思えなかった。
雷嵐が近づいてきて、杜天佑の肩越しに長机の上の絵の数々を見る。そして「はは!」と笑い飛ばして言った。
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