第36話 追い返すべきか、迎えるべきか
「市井の好事家の方々のなかには、衣食住を削ってでも書画骨董を集める方がいらっしゃいます。そんな彼らを憐れんだ天が、彼らの持つ絵に不思議な力を与えてくださったのかもしれませんね」
――衣食住を削ってでも、か。
方清舟の言葉で、杜天佑は胡逸然の屋敷の荒れようを思いだした。絵師の言いぶんも一理あると、彼は感じてしまう。
杜天佑が過去に思いを馳せていると、雷嵐が明るい口ぶりで「苦労した人ほど報われる。この上もなく、すばらしい話だ!」と絶賛し、方清舟から話を引き継いで語りはじめた。
「だが、絵に命が宿るとの流言がもてはやされるのは、あなたの絵が素晴らしいからだ。塗りむらはなく、線にも迷いがない。それでいて、多様な画題や構図に挑戦している。こんなに多くの技術を身につけた絵師を、私は他に知らない」
雷嵐の褒め言葉の数々を耳にしながら、杜天佑はだんだん混乱してきた。なぜなら、雷嵐が褒めた点が、方清舟の絵の面白みのなさの一因にさえ思えたからだ。技術的制約に縛られ、画面から活力が消えて見える。画題の多様さは、描くべき題材を決めかねているようだ。
――画仙の絵にしては、やはり感動が薄い。
ただ、何を言っても杜天佑は門外漢。話の流れに首をひねりつつも、墓穴を恐れて黙っていた。
その直後だ。ばたばたと、せわしない足音が聞こえてきた。慌てた声で「だんなさま」と呼ぶ声もする。
急ぎ足で客間に入ってきた使用人に、方清舟が「どうした?」と用件を問う。
使用人は、息をはずませながら主人に答える。
「急な来客がありまして、だんなさまの弟子にしてほしいと門前で騒いでいるのです」
弟子入り希望の来客と、押し問答でもしたのだろう。使用人は、ほとほと困り果てている。
――弟子入り希望者か。さすがは有名絵師。けれど……
門前で騒ぐなど、迷惑極まりない。追い払われても文句は言えない所業だ。そうであるのに、使用人は弟子入り希望の不埒者に対応しあぐねていると気づき、杜天佑は不思議に思った。
ただ、方清舟は気にならなかったようで「追い返しなさい」と淡々と使用人に命じる。
使用人にとって、主の命令は絶対。言われたとおり実行すればいいだけなのに、使用人の表情は晴れない。
「ほんとうに、追い返してもよろしいですか? たいへん身なりのいい若者で、従者も数人連れているのです。わたしには、良家のご子息に見えるのですが……」
断言を避け、使用人は上目遣いに念押しした。
杜天佑が不思議に感じたのは間違いではなかった。弟子入り希望者は、どうやら貴人らしい。
さすがに方清舟も普段とは違うと理解したのだろう。ほんの束の間、黙りこんだ彼は「お名前を聞いたか?」と、使用人に問う。
すると、使用人は首をふって「だんなさまにしか名を名乗らないと、教えてくれません」とため息まじりに言い、肩を落とす。
「会ってみるべきだ」
ふいに意見を述べたのは、雷嵐だった。
方清舟が「しかし」と視線をさまよわせたが、雷嵐は気にもせずに主張しつづける。
「わたしたちは、所詮は庶民だ。弟子入り希望者が思いあがった王侯貴族の御曹司だとしたら、無理に追い払えば禍根を残しかねない」
雷嵐の推測を聞いて、方清舟の顔はみるみる青くなった。動揺する彼は「そうですね。では、屋敷のなかへ……」と言いかける。
ところが、雷嵐が「それは、まずい」と厳しい口調で口をだし、低い声で忠告する。
「乱暴な人間だったらどうする。すぐに屋敷のなかに入れては危険だ。人目の多い門前で会い、屋敷に入れるのは問題ないと確信を持ててからだ。使用人も多く連れていくべきだろう。危険がない人物だが、ないがしろにもできないのなら、屋敷に入れればいい。わたしたちは、同席になってもかまわないから」
すらすらと助言する雷嵐の姿は、堂々として頼もしい。
方清舟は、青ざめた顔で雷嵐の言葉に神妙にうなずく。
しかし、杜天佑は不満だった。
――約束もなく弟子入りさせろと言ってくる人間と同席? 冗談はよしてくれ!
面倒に関わりたくなかった。杜天佑は、無言で雷嵐をにらんだ。
不満顔の杜天佑に笑んでみせ、雷嵐はさらに話をつづけた。
「ただ、方画仙が弟子入り希望者と対面されている間、私たちは手持ち無沙汰だ。この、すばらしい絵の数々を、じっくり鑑賞していてもいいだろうか?」
画仙との褒め言葉に、気をよくしたのだろうか。方清舟は厳しくよせていた眉を緩めると「かまいません。ゆっくり、ご覧になってください」と快諾し、言う。
「では、お言葉に甘えて、少し席を外させていただきます」
方清舟は言いおき、従者たちとともに外院のほうへ急ぎ足で歩き去った。
客間には、杜天佑と雷嵐の二人きりになる。静まりかえった部屋に「どういうつもりですか?」と、杜天佑の刺々しい声が響く。
批難されても、雷嵐は悪びれない。彼は飄々として言う。
「状況がわかってきたのでね。方清舟がいないほうが都合がいいのだ。弟子入り志願者が足止めしてくれている間に、私たちはあの絵師の絵を探そう」
「絵? 絵なら、ここにあるではないですか?」
疑問を口にし、杜天佑は長方卓の上に並ぶ絵に視線をむける。
ところが、雷嵐は「そうじゃない」と首をふり、言葉を足した。
「わたしたちに、彼が見せたくないと思っている絵を探すんだ。絵師自身も、ほかにも絵があると言っていただろう?」
杜天佑が「見せたくない絵?」とつぶやき、顔を上げたときだった。ととととと、と軽快な足音がした。
ついで「きゃん、きゃん!」と元気な鳴き声もして、開け放たれた客間の入り口から小さな白い毛玉が飛びこんできた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます