第八章 命を宿す絵の謎
第35話 真摯な絵師と魅力のない絵
客間に到着した杜天佑たちは、絵師の方清舟と簡単な挨拶をかわした。
品のいい着物をきっちりと着こなす方清舟は、壮年の男だ。まとめ上げた髪には乱れがなく、面長の顔は整っていて、体格もほどよい。彼を絵師だと知らぬ人ならば、きっと高貴な家の家長だと思うだろう。
穏やかにほほ笑む方清舟にすすめられ、杜天佑たちは客間の中央に置かれた長方卓に着く。
席に着くとすぐだ。ふいに眉をよせた方清舟は、おずおずと話を切りだしてきた。
「杜大人は、破迷司のお役人でいらっしゃるそうですね」
胡逸然の紹介で、杜天佑は客として方清舟と面会している。破迷司の役人だとは、絵師には話していなかった。驚いた彼は、「どうして?」とつぶやきをもらす。
方清舟はほほ笑むと、「お客さまに似合う絵をご提案するには、お客さまをよく知る必要があるのです」とだけ教えてくれた。
――顧客と会う前に、事前に調査するのか。人気絵師との面会日がすんなりと決まったのは、わたしたちが破迷司の人間だと知ったからかもしれないな。
杜天佑は瞳に警戒の色を強めた。
逆に、方清舟の表情には不安がよぎる。彼は神妙な様子で杜天佑に質問した。
「わたしは、王太子殿下のご機嫌を損ねてしまったのでしょうか?」
どうやら、破迷司が王太子直属の機関で、迷信の裏に隠れた真実を解明するのが仕事だとも、彼は知っているようだ。方清舟は答えを待たずに、さらに話をつづける。
「わたしの絵に、不思議が起こるとの話があるのは存じています。しかしながら、わたしは糊口をしのぐために絵を描く、しがない絵師なのです。誓って、自分の絵に命が宿っていると吹聴して絵を売ったりはしていません。むしろ、お売りした絵がうごくとはかぎりませんよ、とお客様にはいつもお伝えしているのです」
哀願の目で杜天佑を見つめ、方清舟は必死に無実を訴えた。
――絵が動かないと忠告するなんて、絵を売る機会を逃しかねない行為だ。
方清舟の発言に、誠意を感じた。同時に、事件性はないのかもしれないと思いはじめる。よって、彼は穏やかな態度を心がけて返答した。
「そのお話が本当でしたら、恐れる必要はありません。客に忠告しているし、あなたに罪はありませんよ。ただ、破迷司としては流言の真偽を確かめねばならないのです」
好意的な答えと受け取ったらしい。安堵の表情を見せた方清舟は「そうですか」と相槌を打つと、使用人たちにうなずいてみせる。
主人のうなずきを合図に、使用人たちはいくつかの巻物を長方卓の上に広げはじめた。
使用人たちの作業を見守りながら、方清舟は並べられつつある絵の説明をはじめる。
「今、手元にある絵すべてをご覧いただくのは、数が多くて時間がかかります。ですから、書房に保管してある絵をいくつか選んできておいたのです」
言い終わると、杜天佑たちにむかって両手を広げた方清舟は「どうぞ、ご確認ください」と丁寧に告げた。
うながされるまま、しっかりと調べようと杜天佑は長方卓に身を乗りだす。
風景画、美人画、花鳥画、説話の一場面と思われる絵など、並ぶ数々の絵の画題は多岐にわたっていた。
――どの絵も描き方すら、わたしにはわからない。だが……
段志鴻の知人である胡逸然の屋敷にあった美人画は、絵のなかの女が消えていた。だから、主題がいないせいで面白みに欠けるのだと思った。ところが、目の前の絵は美女や動物などの主題が描かれた完成品であるのに、杜天佑は味気なく感じてしまう。構図が悪いとかいう話でもない。彼は、露天で売る安っぽい絵にすら心を動かした経験があるのだから。ところが、美しく豪華な絵であるのに、杜天佑の心は方清舟の絵にあまり反応しないのだった。ただし、だからといって妙なところもない。
不思議な絵と信じるにも、疑うにも確信が持てず、杜天佑は思わず眉をよせた。
難しい顔をしている杜天佑に、方清舟が「いかがですか?」と声をかける。
まさか面白みのない絵だとも言えず、杜天佑は「うごきだしそうな兆候はないですね」と冗談で誤魔化した。
杜天佑の冗談に、方清舟は「そうなのです」とまっすぐな相槌を打ち、言葉を足す。
「わたしの絵が全部、命が宿るわけではないらしいのです」
「さきほども『うごくとはかぎらない』とおっしゃっていましたね。描いた本人であるあなたにも、命が宿る絵を見分けられないのですか?」
杜天佑の質問を聞いて困り顔になり、方清舟は「ええ」とうなずいた。
すると、会話の成り行きを黙って見守っていた雷嵐が「おや」と声をあげ、二人の話に口をはさんだ。
「わたしは、命が宿る絵の特徴を言えますよ」
初耳だった。杜天佑は「本当ですか?」と驚いて声をあげた。
方清舟も驚いているらしい。目を丸くして口元を引き結び、緊張している。
雷嵐は「ああ。ここへ来る前に、少し調べたんだ」と短く返事をし、平然と語る。
「金持ちが買った絵に、命が宿った例はほとんどない。命が宿ったと主張しているのは、町人とか農民みたいな一般の好事家ばかりだ」
杜天佑は「へえ!」と感心する。
開け広げに目を見張る杜天佑の様子を目にし、ため息をついた雷嵐は「破迷司は、ほんとうに素人ばかりだな。本来は、お前が調べるべき情報だぞ」と釘をさす。
杜天佑たちのやり取りを見るうちに表情を緩め、方清舟が口を開いた。
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