第3話 土汚れが語る真実

 段志鴻の弁明に、雷嵐は「自分を踏み台にして、一人ずつ首を吊らせたと言いたいのか? そんな時間はなかったが」と皮肉たっぷりに応じ、首吊り遺体の足を指さして反論する。


「遺体の靴には土がこびりついている。彼が踏み台になって首吊りを手助けしたのなら、彼の背中なり肩なりが土で汚れるはずだ」


 段志鴻は遺体の足を見て、つぎに杜天佑を見た。

 着物の汚れを確認したいのだと気づき、杜天佑はその場で一回りしてみせる。


 杜天佑の衣服に汚れはなかった。段志鴻もさすがに納得顔になる。よって、彼は気まずそうにするだけだ。杜天佑への疑いをそれ以上言いたてたりはしなかった。


 二人のやりとりをよそに「それにだ」と口にし、雷嵐は吊るされた遺体のそばに近づいた。遺体の肌にそっと手で触れた彼は「この男たちはすでに冷たくなっている。死んだばかりとは思えない。きみも確認してみろ」と、段志鴻をうながす。


 段志鴻は「え!」と顔をひきつらせ、あとずさった。しかし、雷嵐が諦めずに手招きするので、しかたなく重い足取りで遺体に近づく。そして、恐る恐る遺体に触れた彼は「たしかに冷たい」とうなずくと、泣きだしそうな顔を杜天佑にむけた。


「大の男を二人、しかも首を吊らせて殺害する。彼が一人で実行するのは難しいか」


 段志鴻の言葉をうけて、雷嵐も杜天佑を見つめた。


「力自慢の侠客ならば、可能かもしれない。だが、この青年に短時間で男を吊り下げるほどの腕力はなさそうだ」


 二人に体力が足りないと指摘され、杜天佑は面子をつぶされた思いだ。ただ、不愉快ではあるが疑惑が晴れて安堵もした。文句を言って蒸しかえすべきではない。杜天佑が不本意ながら口をつぐんでいると、雷嵐が言葉を足した。


「犯行後、しばらくその場を離れ、後に戻ってきた。そうなると、この青年が犯人である可能性を否定できない。しかし、それを言うなら彼が犯人である可能性と同じくらい、わたしやきみにも犯人である可能性があるはずだ」


 青ざめた頬をひきつらせ、段志鴻は「わたしが犯人だって?」と非難がましい声をあげた。

 雷嵐は悪びれずに「ああ」と相づちすると、さらに話をつづける。


「今の状況をこの青年がつくるには時間がかかる。つまり彼の犯行であるなら、彼は現場に舞いもどっただけ。そして、舞いもどるだけならば、ここを訪れる順番は犯人であるかどうかには関係ない」


 理解しきれていないのかもしれない。少し黙りこんだあと、汗もかいていないのに「な、なるほど」と段志鴻は手巾を取りだして顔をふく。

 すると、雷嵐は「おや。すばらしい刺繡だね」と、段志鴻の手巾に目をこらした。

 途端、段志鴻は表情を明るくする。同時に「わかるのかい?」と弾んだ声でたずねた。

 杜天佑も、思わず上司の手元に目をむける。


 手巾の刺繍は、二匹の金魚だ。薄絹と見まがうほど繊細な尾をひらめかせ、萌黄色の水草がゆらめく水のなかを優雅に泳いでいる。


 雷嵐は「少しね」と返事をし、刺繍を批評する。


「今にも泳ぎだしそうな躍動感だ。こんなにも細い刺繍糸を、これほど正確に刺せる人間がいるとは。しかも、細かい刺繍であるのに布地にゆがみがない。その手巾に刺繍をほどこした人は、達人だ」


 雷嵐の話を聞くうち、段志鴻はうきうきしだす。彼は「そうなんだ。この手巾は金波で人気の刺繍匠ししゅうしょうに三度も頼みに行って、ようやく……」と手巾を手にいれた経緯を語りだそうとした。しかし、杜天佑が「あの」と段志鴻に声をかけたので、彼はつづきを語れなかった。

 話にわりこんだ杜天佑は、上司に問う。


「わたしへの疑いは晴れたと思って、よろしいですか?」


 話が脱線したと気づき、段志鴻はすぐさま真顔をつくる。こほんと咳もして、うなずいた彼は答えた。


「ああ。きみを犯人とするほどの根拠がないとわかったからね」


 上司の言葉に、杜天佑は胸をなでおろした。

 しかし、段志鴻は「ただ」とつづけ、重々しく言葉をかさねる。


「一連の事件が起こりはじめて長い。そろそろ収束させなければ、わたしが兄上に八つ裂きにされてしまう」


 話すうちに顔色をみるみる青ざめさせ、段志鴻はぶるりと身をふるわせた。それから「また首吊り鬼事件が発生すれば、きみの件を兄上に話さざるをえないだろう。覚悟しておいてくれ」と、杜天佑に暗い声で忠告する。 

 段志鴻の兄は段志豪と言い、段志鴻と杜天佑の上司でもある。段家は代々、国の大将軍をつとめる家系。そんな武人の家系の長子であるからだろう。段志豪は、苛烈な面をもつ人物だと有名だ。


 下っ端役人の杜天佑は、まだ段志鴻より上の上司と顔を合わせた経験がない。ただ、段志鴻が兄を恐れる様子からも、まだ見ぬ雲の上の上司は流言どおり厳しい人であろうと推測する。よって、段志鴻の忠告に「わかっています」と返事をし、杜天佑は深くうなずいて言う。


「義父母だけでなく、育ての親である温おじさんにまで罪人の身内の汚名を着せかねないですから」


 ――まわりの人たちのためにも、わたしは罪人になるわけにはいかない。だけど……


 犯人捜しをやりとげると、杜天佑はあらためて誓った。同時に、彼は不安にもなる。


 ――いまだに犯人につながる手がかりは、出没しやすい場所がわかった程度。ほかに対応すべき事件が発生すれば、首吊り鬼事件にかかりきりではいられない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る