第4話 雷神からの思いがけない申し出

 杜天佑と段志鴻が首吊り鬼を追っているのは、それが彼らの仕事だからだ。自分の都合ばかりを優先できない。しかも、この仕事をはじめたばかりで慣れないからだろうか。近ごろ、杜天佑は疲れやすさを感じていた。首吊り鬼事件の真相を探りながら日々の仕事をこなすのは、骨が折れるはずだ。


 考えをめぐらす杜天佑は、辛気臭く見えた。段志鴻が呆れ顔で「きみは、真面目すぎる」と指摘する。さらに、彼は言った。


「すばらしい心がけだとは思う。ただ、首吊り鬼と疑われて一番困るのは、きみ自身だろう? きみは、もっと自分の心配をしたほうがいい」


 段志鴻にしては上司らしい助言だった。しかし、杜天佑は自分の思考にとらわれたままだ。彼は「そうですね」と短く相づちをかえしただけだった。

 部下に言葉が届いていないと気づき、段志鴻はため息をこぼして眉を下げる。

 杜天佑と段志鴻のやりとりを見守っていた雷嵐が、話に割って入った。


「なんだか、たいへんそうだな。おまえが望むなら、わたしが手を貸そう」


 この思いがけない雷嵐の申し出は、さすがに聞き流せなかった。驚いた顔で彼を見つめ、杜天佑は「あなたが?」と問いかえす。


 ――面倒ごとに自分から首をつっこむなんて、物好きにもほどがある。しかし……


『その腕輪を身につけた者を守ると約束したのだ』


 なかば呆れた杜天佑の脳裏に、聞いたばかりの雷嵐の言葉がよみがえった。


 ――さきほど言った約束を果たすためか? でも、わたしはそんな約束をした覚えがない。


 見ず知らずのうえ、自らを雷神と名乗る奇妙な男とは、早々に関わりを断つべきだ。そこで、杜天佑は「助けていただく必要はありません」と、丁寧に断った。礼儀正しく応じたのは、雷嵐が若いとはいえ、自分より年上に見えたからだ。決して「神ならば数百、数千年と生きているだろう」と考えたわけではない。


 ところが、そっけなく断ったにもかかわらず、雷嵐に気を悪くする様子はない。彼はさりげなく杜天佑の背後に視線をむけ、「ほんとうに?」と念を押した。

 雷嵐の思わせぶりな仕草を目にし、杜天佑は唐突に思いだす。


 ――そうだ。この男には、彼女が見えている!


 殺人犯にされかけ、すっかり忘れていた。雷嵐には杜天佑以外には見えないはずの者が見えているらしいのだ。


 ――事件捜査はともかく、この男に彼女が見える理由は知っておきたい。


 杜天佑は、雷嵐と別れるのが急に惜しくなった。とっさに「ただ」と口にし、さらに丁寧な口調を心掛け、提案した。


「疑いを晴らしてくださって、ありがとうございました。お礼に、このあと食事をごちそうさせていただけませんか?」


 まんざらでもない顔をし、雷嵐は「いいだろう」と杜天佑の申し出を快諾した。約束をした直後だ。彼はそっと眉をよせた。目をひとめぐりさせ、周囲に気をつける。


 ――なんだ?


 雷嵐の仕草に、杜天佑はどこか違和感を覚えた。ただ、それよりも段志鴻の意見を確認するほうが彼には重要だった。杜天佑は胸の前で両手を組み、拱手の作法で礼儀正しく頭を下げる。


「段頭領。先ほど捕吏を呼びましたよね。彼らが到着したら、わたしたちは解散してもよろしいでしょうか?」


 段志鴻は答えに迷ったのか、「それは……」と言いよどんだ。


 ――まだ疑われているのだろうか?


 段志鴻を警戒し、杜天佑は顔をあげた。場の空気が変わったと、雷嵐も気づいたらしい。彼も段志鴻に目をむける。その瞬間、杜天佑は思わず声をあげそうになった。なぜなら、雷嵐が段志鴻へ顔をむける直前、彼の瞳がぎらりと黄金に輝いた気がしたからだ。

 すると、しばらく止んでいた雷鳴がゴロゴロと低くひびきはじめた。しかも、音は真上から聞こえてくる。

 段志鴻はびくりとし、思わず空を見あげる。もともと曇っていた空は、さらに暗さを増していく。そのうち、雲間がパッと明るく光り、ピシャッと鋭い大きな音までした。


「ひえっ!」


 雷に驚き、段志鴻は思わず悲鳴をあげた。雨が降ると思ったのか、深くうなずいた彼は「そうだな」と口にし、自嘲気味に言う。


「捕吏がやってきたら退散しよう。どうせ彼らにとって、我々は邪魔者なのだから」


 ◆


 やってきた捕吏に遺体を引き渡し、杜天佑は段志鴻と別れた。幸い、今いる場所は杜天佑の生活圏に近い。雷嵐と連れ立ち、路地から表通りへ出た彼は、なじみの食事処へむかった。


「肉野菜炒めと羊雑湯、それから炒飯を」


 雷嵐の同意のもと食事処に入ると、杜天佑はすぐに厨房へ向かい、適当に二人分の食事を注文した。その後、空いている席に腰を落ちつける。

 席に着くと気が緩み、杜天佑はほっと息をついた。周囲を気にかける余裕が生まれる。そこで初めて、流しの講談師が名調子を響かせていると気づいた。


 貴族も通う一流の酒楼なら、お抱えの講談師や踊り子のために高座を設ける場合もある。しかし、杜天佑たちがいるのは庶民が集う大衆食堂だ。高座もなければ、釈台すらない。演者は、食事客と同じ食卓を使って語っていた。


「みなさまもご存じのとおり、虹海こうかい王国は、碧波へきは緋波ひは金波こんぱ白波はくは玄波げんぱの五つの主要な島からなる群島です。各島には島主が存在し、そのなかでも最も大きな碧波島の島主が、虹海国の国王となるのが習わしとなっています」


 ――今日の講談は、物語ではなく政談か。


 軍記物が聞きたかったな――などと杜天佑が考えている間にも、講談師は彼らの住む虹海国の情勢を語りつづけた。

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