第2話 雷神の証言

 男への恐怖は吹き飛び、杜天佑は勢いのまま「彼女が見えるのか?」と、質問に質問で返した。

 血相をかえて問う杜天佑に、男は短く「まあね」と応じる。そして、思案顔になると「しかも、ごく薄くだが、彼女とおまえのあいだには夫婦の縁まであるじゃないか」と口にした。

 男の言葉は、杜天佑をさらに驚かせた。言葉の真意を問おうと、杜天佑が口を開きかけた――そのとき。


「ひゃあ!」


 路地の入口から唐突に、おびえきった悲鳴がひびいた。

 杜天佑は思わず口をつぐみ、雷神と名乗る男の背後に目をむける。すると、驚いた拍子に転んだのか、身なりのいい若い男が道端に座りこんでいた。杜天佑と同年代に見える若い男はまっ青な顔をし、おびえきった目でこちらをじっと見つめている。その背後には、小ぎれいだが簡素な服装の男が二人おり、座りこんだ若い男を助け起こそうとしていた。


「段頭領!」


 まっ青な顔で座りこむ男を見て、杜天佑は彼が仕事上の上司である段志鴻だと気づいた。杜天佑も段志鴻も、国の機関である『破迷司』に所属している。杜天佑が首吊り遺体に出くわしたのも、この仕事の結果にほかならなかった。


 段志鴻は座りこんだまま、自分を助け起こそうとする男のひとりに「捕吏を呼んできなさい」と命じた。指示を受けた男は従順に「はい」と返事をし、表通りへ駆けだしていく。残った男の力を借りて体を起こすと、段志鴻は首吊り遺体を見つめ、それから不安げな目で杜天佑をじっと見た。


「杜天佑。もしかして……」


 ――段頭領はきっと、わたしを疑っている。


 杜天佑は、段志鴻の本音をするどく感じ取った。ただ、それも無理はないだろうと、彼は思う。


『首吊り鬼事件が起きた現場ちかくで、杜天佑を見た』


 そんな流言を、杜天佑自身も何度か耳にしていたからだ。段志鴻もその情報を知っているだろう。

 まっ青な顔の上司はごくりと唾をのみ、あらためて杜天佑に問いかけた。


「この男たちは、きみが?」


 ――感情のままに捕えたり、殺したりしないだけ、上出来だ。臆病ではあるが、段頭領は十分に思慮深い。


 自分に言い聞かせた杜天佑は、心を落ち着けて返答した。


「ちがいます。あなたの指示どおりに見まわりをしていて、たまたま見つけたのです」


 首吊り鬼事件は、人の多い場所の周辺地域で起きる。大通りの裏路地や街外れだ。そのため、杜天佑は事件現場と似た雰囲気の場所を重点的に見てまわっていた。


「たまたま最初に見つけただけだと?」


 あら探しだ。たずねかえす段志鴻の視線は、杜天佑の行動をじっと注視していた。

 疑いは晴れていない。わかってはいるが、杜天佑には無実を証明する方法がない。よって、彼は「ええ」とうなずくしかできなかった。

 杜天佑と段志鴻のあいだに、重苦しい沈黙が漂いかけたときだ。雷神を名乗る男が彼らの会話に口をはさんだ。


「この場に一番乗りしたからといって、その青年が犯人だと決めつけるのは性急すぎるだろう」


 会話に割りこまれた段志鴻は、初めて男をまじまじと見た。杜天佑とおなじく、彼も男のたたずまいに気品を感じたらしい。段志鴻自身も高貴な身でありながら、ていねいに「きみは、だれだい?」と男にたずねた。


――また、雷神だと名乗るつもりだろうか?


 他人ごとながら、居たたまれない気もちになり、杜天佑の心はざわつく。しかし、彼の推測ははずれた。

 名を問われた自称雷神は一瞬、思案顔をする。ただ、すぐに人懐っこく笑うと「わたしは雷嵐らいらん。この都に逗留中の旅人で、ただの通りすがりだ」と無難な返答をした。

 答えに納得しきっていない様子の段志鴻は「ふうん」と相づちし、雷嵐にむける目をすがめる。ただ、雷嵐の素性をさほど重要視しておらず、彼の敬意のない態度も気にしなかったらしい。邪険に手をふると、段志鴻は「部外者は口だししないでくれ」とだけ忠告した。

 すると、雷嵐は誇らしげに「部外者ではない。わたしは目撃者だ」と主張した。

 段志鴻は「目撃者?」と声をあげ、驚く。そして「きみ、首吊り鬼を見たのかい?」と、雷嵐を問いただした。

 質問に「いいや」と首をふり、雷嵐は答えた。


「大通りから彼がこの路地に入るのを見た。彼が見えなくなってすぐ、わたしもこの路地に入った。だから、男二人を吊るす時間は彼にはない」


――言われてみれば! この自称雷神は、わたしが首吊り遺体を見つけた直後にやってきた。


 無実の証拠などないと諦めかけていた杜天佑の表情は、一気に明るさをとりもどす。

 ところが、段志鴻は引き下がらなかった。


「脅すか、あやつるかして、自分で首を吊らせたのでは?」


 雷嵐は「あやつる、だって?」と、呆れ顔をする。ところが、段志鴻が真剣な表情を崩さないので、彼はため息混じりに反論した。


「ならば、踏み台が必要だ。だが、ここに踏み台のたぐいはない」


 訴えつつ、雷嵐はあたりを見まわす。路地の左右にあるのは、大通りに面した商店の壁だけ。ほの暗いだけで、きちんと整った空間だ。遺体が首を吊っている縄は、店の屋根の垂木に引っかけてある。縄に手が届くには、高く飛び上がらなくてはならない。雷嵐の言葉どおり、踏み台なしに自ら首を吊るのは難しいだろう。


 雷嵐の言葉につられ、遺体を見上げた段志鴻は眉間にしわをよせる。そして、たどたどしい口ぶりで「じ、自分自身を踏み台にしたのでは?」と、自らの考えを擁護した。

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