破迷録──雷神、虚実を暴く(リアリストな雷神は、怪しい流言が大嫌い!亡霊令嬢の美貌の花婿は、ちまたで話題の悪霊・首吊り鬼?)

babibu

第一章 雷神との出会い

第1話 守護の誓い

 遠くでゴロゴロと雷鳴が聞こえる。昼間であるのに、あたりは薄暗かった。光の当たらない路地ならば、なおさら闇は深い。


「九天に応じる雷声普化天尊よ、大いなる慈悲を持ち、衆生を救いたまえ」


 街はずれの道教寺院からだろう。雷鳴にまぎれ、重々しい祝詞がやけに耳にひびく。生ぬるい潮風にまじる磯の匂いは、ひたすら不快だった。

 しかし、不快さよりも切迫した状況があり、杜天佑はじっと路地の奥に目を凝らす。いつもは気さくな彼も、今は険しい表情で緊張していた。


 風をうけてか、縄が重みに耐えかねてか。杜天佑の見あげるさきで、その切迫した状況はぶらりぶらりと揺れていた。


「首吊り鬼?」


 つぶやいた杜天佑は、ぞっとして一歩あとずさった。


 杜天佑の視線のさきには、首を吊った状態で揺れる二人の中年男がいた。カッと見開かれた目は空虚で、だらりと開いた口からは舌がのぞき、唾液がたれている。その凄惨な様子から、彼らに息がないのは明らかだ。


 悲鳴をあげる、逃げる、助けを呼ぶ。とれる行動はいくつもあった。しかし、杜天佑はどれも選ばない。動揺を抑えこみ、胸の前で両手をかさねる。偶然、左手首の腕輪に指がふれた。冷たく硬い感触に刺激され、彼の頭はほんの少し冷静さをとりもどす。


 ――近ごろ、不運つづきだ。この腕輪や目の前の男たち、それに……


 もう一つの不運が無性に気になる。品のいい弓なりの眉をひそめた杜天佑は、不運の元凶を見るべく背後へと目をむけた。


「わたしの探し人は、ここか?」


 とつぜん、歯切れのよい快活な声がひびく。不意をつかれて驚き、杜天佑の視線は元凶よりも声の主へむいた。

 杜天佑が目をむけたさき、路地の入り口に一人の男が立っていた。表通りより暗い路地のなか、影絵のごとく男の体つきが浮かびあがる。


 背が高く、肩幅が広い。がっしりとしているが、腰は細い。立ち姿には品があり、顔を見ずとも風雅だと感じる。


 洗練された男のたたずまいに、杜天佑は息をのむ。その間にも男は迷いのない足取りで近づいてくる。近づくにつれて逆光がやわらぎ、男の顔や服装がはっきりと見えてきた。


 風雅な印象どおり、鼻筋のとおった涼やかな美男だ。全体的に色素が薄いのは血筋だろうか。髪も瞳も茶系で、このあたりでは見かけない色合いだ。とくに瞳は、見る角度によっては金色にもうつる。明るい場所で見れば、虎眼石タイガーアイのごとく美しく輝くにちがいない。


 美男は身なりも洗練されている。縁起のいい雲紋が金糸で大胆に刺繍された着物は、黒もしくは暗い青を基調としており、格調高い。


 ただ一つ惜しいのは、髪への気配りだ。せっかくの艶やかな長髪は、ゆるく三つ編みにまとめており、君子然とはお世辞にも言えない。衣服も美貌も、この美男におよぶ者を知らない。しかし、下っ端役人の杜天佑のほうが、まだ君子らしさがあった。


 ほほ笑みを浮かべた美男が、さらに一歩、杜天佑へと近づく。


 ――首を吊った人間が目の前にいるんだぞ。この男は、なぜ笑っていられる?


 場にそぐわない男の態度をあやしく思い、杜天佑は考えをめぐらせる。


 ――もしや、この男が首吊り鬼……?


 疑いの心が恐怖へと変わる。警戒した杜天佑は、男から遠ざかろうと身をよじる。ところが、退路には首吊り遺体が二つ。逃げ場はなかった。しかたなく、杜天佑は男をけん制する。


「何者だ? 死体が見えないのか?」


「わたしか? わたしは、雷神だ」


 杜天佑の問いに、男はけろりと答えた。そして、今さらながら首吊り遺体に目をむけると「気の毒ではあるが、わたしは彼らには用がない」と淡々と言った。

 思いもよらない男の答えに、杜天佑は「雷神?」と面食らう。

 うろたえる杜天佑をよそに、男は彼に近づくと、その左腕をひょいと掴みあげた。

 着物の袖がめくれ上がり、杜天佑の淡白い腕があらわになる。

 男はじっと彼の腕を見つめ、瞳を輝かせた。


「ああ、この腕輪だ。この腕輪を身につけている者に、わたしは用があるのだ」


 男の言う腕輪とは、先ほど杜天佑自身が指でふれたものだ。

 金製らしきその腕輪は、雷光のごとく荘厳な光沢をはなっている。だが、不思議と温かみのある質感もあった。


 初対面の男にいきなり腕を掴まれるなど、夢にも思わなかった。カッとなった杜天佑は「なにをする!」と怒鳴り、男の手をふりはらう。彼は、するどく相手をにらみつけて問いただした。


「つまり、わたしに用があると?」


 男は軽く「ああ」とうなずくと、ふいに真顔になり、杜天佑の腕輪を指さして言った。


「その腕輪を身につけた者を守ると約束したのだ。神ともあろう者が、約束を違えるわけにはいかないだろう」


 男は重々しく主張した。

 しかし『守る』やら『約束』やら言われても、杜天佑の疑問は増すばかりだ。彼は困惑し、眉をよせる。


 一方の男は、そんな杜天佑とは対照的に表情を崩した。彼は「それにしても」とつぶやいて、杜天佑の背後を見た。


 ――ついに首吊り遺体に関心をもったのか?


 杜天佑は期待して、男の言葉の行方を見守る。

 男はじっと杜天佑の背後を見つめ、問う。


「腕輪を身につけたのは、彼女のためか?」


 その問いに、杜天佑は驚きのあまり息をのんだ。

 なぜなら男の問いは、彼自身が切実に聞きたいと願っていた言葉だったからだ。


 男の言うとおり、杜天佑の背後には女がいる。ただ、彼女を視認できるのは今まで杜天佑だけだった。彼以外の人間が女の存在を言い当てたのは、これが初めてだったのだ。

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